森見登美彦作品の舞台について 2005.4.24
森見登美彦氏の小説「太陽の塔」「四畳半神話大系」。いずれも京大生妄想小説と呼ばれるように、登場人物もその舞台も極めて京都市左京区ローカルである。登場人物の行動の軌跡を、地図上に書こうと思うと、以下の通り、実際に書けるほど、現実そのままの地理感に基づいていると言って良い。
マピオンラボに書いてみた「太陽の塔」の主な舞台(地図1)。狭い… 他に「太陽の塔」の京都全体図(地図2)
同じく「四畳半神話大系」の主な舞台(地図 3)。めっちゃくちゃ、狭い(^^;;
しかしながら、「太陽の塔」に関しては、現地を久々に歩いてみた結果、叡山電車に関わる部分に関してのみ、幻想(フィクション)性が相当に入っていることを再確認したので、ここにご報告しておく。
勿論、幻想が入っていると言っても、叡山電車に乗っても普通、太陽の塔には辿り着かない、というような当たり前過ぎることを今さら言いたいわけではない。現実から地味に乖離してい くところを味わうことこそ、この小説の真の面白さなのである。多分。
「あてもなく街をうろついているとき、ふいに目の前の夕闇を叡山電車が駆け抜けることがあった。それはまるで、ごたごたと建て込んだ暗い街の中を、明るい別世界を詰め込んだ箱が走っていくように見え、私はひどく気に入っていた。」(19P)
「夕闇を駆け抜ける叡山電車を見るたび、手近な無人駅から飛び乗ってどこかへ連れて行ってもらいたくなるのだが、京都で暮らした五年間で、叡山電車に乗ったことは数えるほどしかない。」(19P)
この3行こそ、この作品の出発点であり、終着点である。
つまり、夕方から夜に掛けて目の前を横切る叡山電車を目撃し、しかも実際には殆ど使用しないままの人間(具体的に言うと、高野川より東、今出川通りより北で、かつ、せいぜい曼殊院道より南の土地に下宿している大学生)にしか実感として理解し難い 幻視感覚ということになる。というと、大袈裟だが、要は元田中の踏切で夕方、叡山電車が通り過ぎるのを待ったことがあるかといった程度の話である。
「森本さん、叡山電車が線路から外れて走るなんていうことありますか。そういうことって有り得ますか」(50P)
そういう人間が叡山電車に幻想性を付加しようとした時、その線路は現実のそれと微妙に乖離していくことになる。
元田中周辺図(地図 4)。
まず、水尾さんのマンションが有るとされている南西浦町であるが、実際には新築のワンルームマンションより木造建築が立ち並ぶ一帯である。少なくとも、目の前に叡山電車が通り抜ける道筋にはそれらしいマンションは存在しなかった。ここは水尾さんと叡山電車を結び付けるための幻想補正が働いていると見るべきかもしれない。もっとも南西浦町に新築のマンションが有るという設定自体はそれほど不自然ではなく、その場合、補正が掛かっているとしても100m位の範囲内と言える。
次に、田中東春菜町の廃墟ビル。最初に読んだ時は、京都から離れて久しかったので特に不自然に感じなかったのだが、現地を久し振りに歩いてみて、ようやく気付く。…この場所って叡山電車と繋がってないじゃん。叡山電車の線路が 接しているのは、田中春菜町の北と西、それぞれ田中北春菜町と田中西春菜町。田中東春菜町は当然ながら、全くかすってもいない。
つまりですね、田中西春菜町ではなく、あえて田中東春菜町という住所にすることで、(水尾さんの夢へ繋がっている)叡山電車の発車駅という来るべき幻想性を、既に予告しているのではないか。そういう企みがこの地名には秘かに籠められているのではないか。
…って作者以外、誰にも分からんわ、そんな微妙過ぎる土地勘は。まぁ、仮にそうだとして。ここでの現実との乖離は300m位か。
鷺森神社周辺図(地図 5)
唐突に登場する、夜の鷺森神社から叡山電車を追い掛けるシーン。詳しい説明は無いが、夜の鷺森神社が登場するというだけで、これは既に夢のシーンであることが明白である。というのは、主人公は物語中で自転車を失っており、白川の下宿から、ここまで夜歩いてくることなど (不可能ではないにしろ)凡そ現実的でないから。
文章を読んでも、ここだけは現実の地理感覚を無視して描かれており、叡山電車も(よく分からないものの)どうやら修学院の森にそのまま突っ込んでいくらしい。ここに来て、その線路は現実のそれから、方向自体が乖離して 、幻想の彼方に向かっていることが分かる。
とはいえ、出発点(田中)から既に微妙にずれていた、ということを前提にすることで、その軌跡のずれも初めて理解出来るのではなかろうか。
現地を久々に、実際に歩いてみた感想としては、そんなところかと。別の意味で、かなり妄想が入っている気がしないでもないが…
余談その1。「四畳半神話大系」より、もう一つの地図を作成してみた。超高性能亀の子束子探索行のルート(一部、推測による)(地図6)
余談その2。
今回、上記二作を続けて再読してみたら、特定の言葉が繰り返し使用されているのが印象的で、特におかしかったのが、「震える」と「ふわふわ」の二語に関する表現の多用だったので、使用例を一挙紹介。「ぷるぷる」怯えたり、怒ったり。「ふわふわ」も 、この世界における重要タームの様子。
震える。
「太陽の塔」
「四畳半神話大系」
ふわふわ/ふはふは
「太陽の塔」
「四畳半神話大系」