天沢退二郎氏の講演会(池袋)のレポート
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2005年5月13日に池袋リブロ主催で行われた天沢退二郎氏の講演会「オレンジ党シリーズ復刊完結記念〜宮澤賢治読みからファンタジー創作へ」の簡単なレポート。当日の写真はこちら(復刊ドットコム)。
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当日会場で書いたメモを元に一週間後に作成したものなので、聞き間違い、ニュアンスの違い等が多々有るかと。あくまで全体の話の印象ということでお読み頂ければ幸い。(千葉の地理の説明はもっと詳細でしたが、正確に覚えていないのと、地図が無いと分かり難いので、割と割愛しています)。
- 実際には丁寧な口調で語られていましたが、要約ということで「た」調で統一。
- 文章が長くなったので、大まかなtopicごとに分けて勝手に副題も付けましたが、実際は切れることなく続いています。
- 重要な言葉等を幾つかホワイトボードに書いて説明されていたので、その中で覚えているものは『 』書きしました。
天沢退二郎氏の講演内容配布した資料について、内容説明
- 1954〜56年頃の千葉から習志野辺りの地図。中学時代に歩いた地域。オレンジ党シリーズの舞台。
- 「夜汽車」という詩。1955年頃のノートのコピー。「不可、散文に書き直すべし」(当時自分で付けたコメント)の通り、後年に散文として書いたのが短編「夜の道」
とのこと。
- 「魔の沼」と「オレンジ党、海へ!」のメモ(各1Pに、粗筋を、状況を要約した言葉を線で繋げた形で書いたたもの)。このメモは必死に考えて一日で書く。
あとは文章を何ヶ月か掛けて書いていく。「光車」のメモは残っていたが、現在は行方不明。
今回の講演の内容について
- 「『賢治童話読み』からファンタジー創作へ」という題。今回、「賢治童話読み」
としての自分史を振り返ったことで、自分の人生と作品に通底するものに初めて気付いたことがある。前回、千葉で話した内容とは一部違う内容も出てくると思う。
幼少年期の宮沢賢治体験
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最初に宮澤賢治を読んだのは、小2。中国(満州)にいた。父が「風の又三郎」を知人から借りてきた。「銀河鉄道の夜」「グスコーブドリの伝記」
と当時出ていた宮澤賢治の主な童話集の3つは全て読んだ。
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その中で一番印象的だったのは「風の又三郎」。「銀河鉄道の夜」については小2では難しく、ほとんど何も覚えていない。「グスコーブドリの伝記」
は唯一買って貰った本で、繰り返し読んだ。「長い」という記憶。昼に読み始めて夜になってしまう。
- 「銀河鉄道の夜」で唯一覚えているのは「都会を歩く少年」というイメージ。当時住んでいたのが新京で、銀座のような所だったため。
内容はその歳では珍紛漢紛。
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昭和20年、敗戦となり、関東軍や偉い人が先にいなくなり「棄民」の状態の中、満州を逃げてきた。翌21年に帰国。新潟の母の実家に住む。本屋の裏で、毎日のように本屋に出入り
していた。と言っても読んでいたのは「怪人二十面相」とか。
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父はシベリアに抑留されていて、働いて生計を支えていた母が千葉で勤めることになり、千葉へ引っ越した。その際、選別として本を一冊買って良いと言われたので「注文のない料理店」
を選んだ。
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妹のために選んだのは「アーサー王物語」。まさか後年、自分が聖杯伝説を研究するようになるとは思わなかった。
- 昭和23年2月に千葉へ。雪国からトンネルを抜けると青空だったのが印象的だった。関東に着くまでに本は読んでしまった。
中学時代、物語創作の始まり
- 昭和24年、中1の時に「北斗物語」という(そんな題名は賢治の作品には無いが)代表作をほぼ収録した本が出て、読んだ。「銀河鉄道の夜」も再読
し、初めてそこで内容が分かった。
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中1の夏に肺浸潤という肺結核の初期に掛かり、夏の間、部屋で寝ていた。
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寝たきりなので、ずっとラジオ(第1と第2)を聴いていた。「私の本棚」という朗読番組があった。「銀河鉄道の夜」も(恐らく一週間掛けて)朗読された。樫村治子という人が淡々と読む
。その時の作品で他に覚えているのは「動物農場」「不如帰」。
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当時のラジオは夕方5時まで放送の30分休みが有った。付けたままだと雑音だけが流れている。昼過ぎはメロドラマ(余り興味が無かった)。退屈なので空想に耽っていた。
頭の中で(本に出来るようなものではないが)物語を作っていた。
- 中2になると、体育(見学)以外の授業には出ていた。授業で作文があり、時間内にB5のザラ紙にびっしり書いた。そして、続きを何年
も掛かって書いたりしていた。
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その一つは以下のような話。
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「僕」が一人で診察を受ける。→症状が重いと診断されて、陸橋で身投げする。→(銀河鉄道みたいに)気が付くと鉄道に乗っている。→新潟にあった支線のような場所を通る。→夜
になる。色々な人が乗っている。→車両から降りてはいけない、というのが物語の設定で、周りの人が「僕」を色々な手段を使って降ろそうとする。脅すとか、誘惑する
とか。(絶世の美女が誘惑してきて…というのを書くつもりだったが、中学生ではやはり上手く書けないので(笑)断念した)→しかし、いずれにも負けず最後まで降りず
にいると、日が昇ると共に、太陽の光で魂もろとも消えていく(昇華される)。
「死後の旅路」の話
- つまり、死後の物語。『死後の旅路』。『中有』の世界での話。
- 中2で書いた物語に「ケン(表記不明)の旅1」というのが有る。これも死後の話。右へカーブしていてその先が見えない道を曲がりながら、どこまでも行く
。「ケンの旅1」は残っていないが、中3の時に書いた続編の「ケンの旅2」は今も残っている。中学に書いたものは結構残っている。
- 「死ぬ」ということを「他界」するというが、『他界』=another world=死後の世界。死後は別の世界に行くという考え方。
- オレンジ党シリーズでも「他界」の話が出てくる。母親は既に死んでいる。父親も母親に会いに死後の世界に行く。田久保京志の妹たち
は別の世界にいる、すなわち「他界」にいる(=死ぬこと、とは限らないしても)。
- ファンタジーを書く、ということ。「銀河鉄道の夜」のような(死後の)物語を書くというのが、ファンタジーの入り口としてある。
- 例えば、リンドグレーンの「はるかな国の兄弟」。アーシュラ・K・ル=グウィンの「ゲド戦記」。ファンタジーの基本的な始まり
として、死んだ後に行くところを書くというのがある。古くはダンテの「地獄篇」から有る。
- 今回振り返ってみると、自分に対して「銀河鉄道の夜」はボディブローのように)効いてきた作品だった。『伏流』のように(時間を掛けて影響が表に出てきた)。
自作の生まれた背景
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「光車よ、まわれ!」は1972〜73年頃に書いた。その前に「夢でない夢」という短編集を書いている。一郎と仲間の物語で、「海の向こうに本当のお母さん、自分がいる」という設定
は、後のオレンジ党シリーズにも相似したところが有る。中心となるのは一郎少年と清子だが、「光車」の「龍子」も実は元の名前は「清子」だった。校正刷りの段階になって(イメージが違うという編集意見で?)変えた。
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1960〜70年頃、ファンタジーを沢山読んだ。「ナルニア物語」、「指輪物語」、アーサー・ランサムの全集等。
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アーサー・ランサムは自分にとってはファンタジー。最初の2冊のみ翻訳で、あとはまだ翻訳が出ていなかったので原書で読んだ。英国に注文
したが、一冊読み終える事に次を注文していたので、最後まで時間が掛かった。読むこと自体は、当時は大学院生の頃でしかも児童文学なので、すらすら読めた。
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少年少女のグループ、しかもその中に個性的な、タイプの違う女の子達がいる、というのが気に入った理由。ティティとドロシア。(スーザンという子は母親みたいタイプで好みではなかった)。ティティは水探しをする、つまり魔法を使う。
- 「ナルニア」は面白かったが、アスランに代表されるキリスト教的な世界観が気にくわず、自分には合わなかった。
- 「指輪」はキリスト教以前の世界というのは良かったが、やはり違和感が有った。
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一番好きだったのは、アラン・ガーナー(最近は流行っていないようだが…)。「ブリジンガメンの魔法の宝石」「ゴムラスの月」といった作品で、男女の兄弟の話であるとか、子供達のグループの話であることや、現代の話で昔の魔法が出てくるところが良かった。オレンジ党の古い魔法もここから。ウェールズの「マビノギオン」
の時代の魔法(キリスト教以前の)が出てくる。
- 「光車」の世界には当時住んでいた場所が反映している。独身時代の最後に住んでいた、目黒川の近くで(住んでいることを人に驚かれる位)光の差さないアパート。
結婚後、暫く住んだ妻の実家。成城と祖師谷に跨った場所で、「西条」はだから成城、環状9号線も近くの環8、環状8号線を変えたもの(笑)。
ただし、「光車」を書き終えたのは千葉に引っ越した後だった。
オレンジ党シリーズと千葉
- 「光車」は都会の子供達の話だったのに対し、オレンジ党シリーズは千葉の話。中3〜高2の頃(1955年頃)に野原を歩いていた頃の千葉のイメージ。
- この辺は戦時中、軍(グーンとは即ち軍)が使用していた地域で、兵器廠や陸軍学校が有った。「轟」は「軍が轟く」から来ている。
地図の「塵芥処理場」がまさに「オレンジ党と黒い釜」のゴミ焼き場のモデル。ここは地図を見て貰えば分かるが、針葉樹林
のマークだけで、当時(1950年代)は塵芥処理場の煙突が有るだけの場所だった
- 「オレンジ党と黒い釜」でルミが父とピクニックする森の「幾つもの林が集まって出来た森」という説明の通り、行けども行けども
林という地域。その雑木林をずっと歩いていた。低い土地では、軍が訓練用に作った塹壕の後に水が溜まって堀のようになっているところもあった。
- 宮ノ木という辺り。賢治に倣って、歩きながら詩を書こうとしていたが、歩きながら書くのは難しくて上手く行かない。途中からは賢治の真似は止めて歩くだけにした(笑)。
- ただし、歩いていると物語が立ち上がる気配を感じた。
- 千葉に越してきて、自転車で回っていると、様変わりしていても昔の名残があり、昔のことを思い起こ
したのが作品を書くことになったきっかけ。だから、オレンジ党シリーズは書いた時点(1970年代)の千葉ではなく、昔(1950年代)の千葉、そこで当時歩いていた頃のイメージが元になっている。
- 例えば作中に、ここは準工業地帯になるかもしれなかった(ならなかった)という台詞が出てくるが、実際はそうなった(苦笑)。
- 現在、4作目を書こうと考えている。
病と戦争の関係
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「魔の沼」の黒い沼は、70年代、全国的に汚染ということが言われた時代のメタファー。それだけを指しているわけではないが無関係ではない。
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ルミの体の中と黒い沼が関係していること。病気というのは重要なメタフォルである。
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「病気と戦争」というテーマで今書いてるが、戦争と病気には、それぞれ終結出来ない時期(戦争:終わらない時期、病気:完治しない時期)というのがある。病気には社会現象と深い関係がある。
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例としてバタイユという作家は第二次世界末期、重い肺結核になり「死者」という(「銀河鉄道の夜」とパラレルなところがある)小説を書く。45年6月に連合軍が上陸し、戦争が終結すると、バタイユの肺結核も治った。同時期にそのようなことが起きたのは、他にも
様々な例がある。
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戦争とファンタジーは一見無関係のようだが、C.S.ルイスの「ナルニア物語」の書き出しは4人の兄弟姉妹が空襲から逃れるという時代設定の中で、衣装棚に入り込むという話から始まる。
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アーサー・ランサムの小説も1930年代から始まる。単なる休暇物語に見えるが、1929年の大恐慌から第二次世界大戦の間の時代の話ということを理解する必要がある。この戦争とファンタジーの関係は「新潮」という雑誌に今度書くので、興味があったら読んで欲しい。
最後に
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主催者の方から、時間が押している旨、伝えられて(2時間の内、講演部分として予定された1時間ではなく1時間20分が経過)、「死後の旅路」、「another
world」といった今回話した内容にもう一度触れて終了。
マリ林さんの話
- 続いて、主催者より紹介があり、夫人であり、作品の挿絵画家でもあるマリ林さんからの挨拶。
- 一言、と言われたが、少し話させて頂く。
- 「池袋」は懐かしい土地。家事が嫌いだったので、立教の大学院に行ってフランス語を学んでいた。
- 経済学者の父が晩年、ここの本屋(libro)に行きたがったので、車で苦労して来たら、大変喜ばれた思い出がある。
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絵を描くようになったきっかけ。文章だと夫が手伝っていると言われる。絵だと一回も言われたことがない。よっぽど下手だったのね、貴方(と、氏に向かって)。ちなみに、氏とのなれそめは、「今ならセクハラと言われてしまうんでしょうけど(笑)」だそう。
- 最初に描いた絵は幼稚園での花火の絵。色の上に黒のクレヨンを塗り、黒を引っ掻いて花火を表現した。スクラッチ技法。
- 描いているのは油絵。「オレンジ党」の頃は彫刻刀で削っていた。
- 最近の「ペロー童話集」(岩波少年少女文庫、天沢退二郎訳。会場で回覧された)だとPCで色付けしている。
- 「もの狂いトゥリスタン」の挿絵はパリにいた時に描いたのが自慢です。
質疑応答
- 質問はいずれも熱心な女性の読者から。
- (一人目の質問は、誰もが気になっていると思うこと、としてオレンジ党の新作、4作目について教えて欲しい。)
- 3作目が出た時、別の件で出版社に電話すると、その出版社で勤めていた斉藤敦夫氏から「あれで終わりじゃないよね?」といきなり言われた。知り合いの子供
からも「続きは無いの?」と聞かれた。
- 以後も気になっていたが、最近、房総半島を(奥さんの運転で)ドライブしていて、構想が浮かんできた。
- 内容は「企業秘密」なので、ここではまだ言えない。
- 大学を定年退官して暇になるかと思い、小説が書けるとも思っていたら、別大学の非常勤講師になり、忙しくて当てが外れた。しかし、書くつもりではいる。
- (会場で配ったような)「メモ」は既に出来ているので、後は実際に書くだけ。最近の出版社は「カンヅメ」ということを余りしないが、カンヅメしてくれれば捗ると思う。
よろしく(とブッキングの人へ)
- (二人目。今日は小5の時に「光車よ、まわれ!」を読んでから25年来の夢が叶って嬉しい。実はそれ以来、ずっと気になっていたのが「ドミノ茶」とはどんなお茶かということ(会場、納得の笑)。エッセイで料理をする話も書かれているので、そういう話も伺いたい。)
- 困ったというか(苦笑)。草の茎を刻んだ、一種特有の匂いがするようなイメージのお茶で… 特にモデルはない。
- オレンジ党に「食べられる野草」という本が出てくる。野蒜は最近は店で売っている。スベリヒユは本に食べられると書いてあるので、出したが、自分では食べたことがない。タンポポ
はヨーロッパでは野菜として普通に食べる。日本のタンポポは西洋タンポポに駆逐されたのに、食べないのはおかしい位。
- 自分で作る料理は「炊事」であって大した物じゃない。(とここで、マリ林さんから「大変美味しいですよ。
」とフォローの声。「そう言っておかないと明日から作ってくれなくなっちゃう」)
その後
- 時間が来ているということで、質問の受付は終了。
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その後、氏とマリ林さんによるサイン会を実施。箱入りのオレンジ党シリーズを持参する等、コアなファンの姿が目立ったのが印象的(男女比でいうと、女性の方がやや多目)。終了は9時頃。
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