(挿話)
どこかの大学の部室。男2人と女1人。男2人は世間話をしており、少し離れた所で、女は文庫本を読んでいる。
男A(突然)「どうして正義の味方って、いなくなっちゃったのかな?」
他の2人 「え?」
かつて正義の味方がTVにあふれ、それぞれ悪の軍団やら宇宙人と戦っていた話。なんでいなくなったんだろう?
男B「それはあれだな。悪の組織を滅ぼしちゃったんだよ。環境保護がブームになる前だからさ」
男A「珍獣じゃないってば。そもそも正義の味方とは…」
以後、果てしなく続くAとBの議論……
そこに入ってくる女B(後輩)
女B「? 先輩たち、何盛り上がっているんですか?」
女A「放っときなさい。幼稚園から成長していないような連中は」
というわけで。どこの誰でもある日思いつく、この素朴な疑問。一度考え出すと、まず「正義の味方」とは何か、ということ自体、よく分からないことに気付く。従って、正義の味方そのものについて考察することで、最終的に、今でも正義の味方は復活しうるのかを考えてみる。
・正義の味方が現れるイメージ
・となるとお巡りさんみたいなものか。頼まれないのに助けに来る、というのが重要?
・しかし、何故、弱者は、既往の公的手続き(110等)に訴えないのか?
@緊急時の正当防衛(間に合わない)
A取り合ってもらえない(狼=かいじゅう、が来たんだ)
B警察や自衛隊では勝ち目がない
・いずれにせよ、既往の正義維持システムへの不信?
→では何故、「正義の見方」は信じられるのだろう? 状況証拠?
@上の例(助けに来てくれたから)
A刑事だから(何かの権威付け)
B悪い人に追われているから
C世の中には悪い人といい人がいて、この人はいい目をしているから
……う〜ん
・(注意)メディアとの係わり合いの中で考えること
「正義の味方」とはあくまでメディア上の物語の幻影。
(1)悪とは何か
(例)宮崎アニメ(当時)における悪を分析してみる
@女の子を追い掛けて捕らえようとする →弱者(イノセンス)に強制的な力を行使するのが悪
A約束(とりひき)を破る →目的のためには手段を選ばないのが悪
B世界を破壊する →現状(秩序)を壊そうとするのが悪
C大きな飛行機で上空を制圧する →高いところを支配するのは悪 (こんなことを言うのは、宮崎駿だけだ)
D富を独占する →自分の欲望(所有欲)のみを優先するのは悪
E人を殺す →人間を否定するのは悪
F人間以上のものを作ろうとする →同E
……宮崎アニメは、結局@に尽きる、という気がしないでも。あとは付けたしだ、きっと。
(2)現在、何故、悪が想定し難いのか?
昔)(1960年代)・勧善懲悪の読み物伝統
・高度経済成長の明快な価値観
今)@「悪人」のリアリティの喪失
A「共同体」systemが上手く働いており、その危機を感じさせない
B共同体の進むべき目標がはっきりしない
昔は、怪獣=ビルを壊す存在=悪。今は、ビルを壊すことが悪? 建てることが悪?
C共同体の倫理のなしくずし的崩壊
D「英雄」を必要としない時代?
E子供と大人の同質性
ウルトラマン等のヒーロー物は、子供と大人の社会的格差が歴然としていた時代の物語。
@勝利すること …悪に対して
A守ること …一体、何を?地球?平和?平和って何?
・敵とヒーローと観客の3者関係について
正義の味方が登場する番組では、正義の味方と悪の敵対関係に加え、正義の味方を応援する存在(多くの場合、子供)が不可欠。この応援者が、番組内の世界で正義の味方の観客になると同時に、TVを観ている観客が感情移入する対象となる。
肝心なのは、「正義の味方だから応援する子供がいる」というのではなく、「応援する子供がいるから、応援されている存在が正義の味方である」と観客が理解する、ということである。この三角関係を抜きにした、孤独な正義の味方など存在しない。それは、単に正義の執行者である。
・まず、「ヒーロー」と「正義の味方」を分離して考えることが必要。
即ち A. ヒーロー =勝ち続ける存在
B. 正義の味方=ヒーローという存在の「正当性を保証する」理由(…だから、勝つ)
従って、ヒーロー原理(勝利)は不変。しかし、「正義の味方」は変化する概念(なくなることも)
Bに該当する、他の正当性原理の例
・スポ根→根性
・少年ジャンプ→努力、友情 (当時)
・西欧文明→文明、科学
・ギャグ→形式のみ
*しかし、「正義の味方」の場合、Aは顕示する「力」であり、B(正義の味方)は、隠すべき行いと、本来的には、相反する性質。
それを結び付けているのが、正義の味方のまとう「仮面」である。だから、正義の味方には「月光仮面」以来「覆面」が不可欠。
A=顕示する力 ← → B(正義の味方)=隠すべき行い
↓
独自のキャラクター 仮面 正体の不明
人格の誇示 匿名性の維持
非日常性 変身 日常性
・仮面とは、Bから見れば、匿名性の維持であると同時に、Aから見れば、力の誇示に当たる、ヤヌスの鏡として、両者を結び付ける。
・「正義」を前提とした力の行使は、非日常的状況下(正義が侵されつつある)においてのみ、許される。その際、ヒーローは、仮面をまとう、即ち、変身することで、日常性から離脱する。
・仮面は、日常性という地平に、非日常性のドラマを出現させる。→「変身」のダイナミズムこそが、物語の醍醐味となる。
・正義とはイノセンスという定義
・イノセンスの変遷(衰退)
(1)古典的構図(子供の正義の時代)
正義の味方(イノセンス=単純な善意) ←→悪(故意の悪意=「世界征服」等)
↑信じる=イノセンス
子供=観客(イノセンス=純真?)
⇒「正義の味方がイノセンス」であることは、観客のイノセンスによってのみ支えられている。
要するに、単純にそう信じている観客がいたからこそ、正義の味方はそういう存在に理解されていた、ということ。
(2)現在的構図(子供の正義が不可能な時代)
故意の悪意を持った悪役などいない、という認識 ⇒ 悪役=イノセンス(無邪気=自分の行動の是非が認識出来ない)な人々
と、イノセンスであることが、善から悪へ、180度価値が反転。
正義の味方(非イノセンス) ←→ 悪(イノセンス)
↑余り、信じられない?
子供(非イノセンス)
⇒「イノセントでない正義の味方」とは? ・消極的存在たらざるを得ない。
・正義の味方とは、何かを破壊することでしかないことを自覚している。
・必要悪。
・正義とは、共同体の維持を目的とする行為
すなわち、正義とは、単に現在の秩序の維持、数の正義に過ぎないのでは?
・共同体の正義のパターン2例
(1)共同体内の争い
数の正義、お上の正義
↑反抗 ↓権威付け
悪 ← → 正義の味方 (ex.大岡越前)
(2)共同体の枠組みを巡る争い
悪 ← → 正義の味方
差別、排斥↑↓侵入 ↓救援 ↑*感謝
< 共 同 体 >
*危機が去った後は、共同体への取り込み or 排除 に変わる
(共同体の価値以外、認めないという図式)
・自己防衛原則へ
上の(2)は、外から危機が訪れる際に、守ってくれる者も外から現れるという、言って見れば自分勝手な願望に支えられていた。
しかし、そういう、外からの庇護者としての正義の味方を信じられなくなってきた(6.A参照)。
残ったのは、「自己防衛原則」=正義とは自分が生き残ろうとする行為、でしかない。すなわち、「カルネアデスの舟板」。
ex.「宇宙戦艦ヤマト」から「トップをねらえ!」へ
@観客(子供)の「行為能力」説
・ヒーローは、社会的に半人前で物理的に脆弱な観客(子供)に、その超人的な活躍に感情移入することで、拡張能力を与える存在。法律で言えば、考える能力が有る主体ではあるが(権利能力は保有)、法律的に完全な行為をする能力はない(行為能力の制限)子供に成り代わって、後見人が法律行為を成すようなものである。つまり、ヒーローとは、子供たちに、行為能力を与えてくれるもの、といえる。
・これは、ロボットアニメと全く相似。巨大ロボットに乗り込む少年が、大人と同様の活躍をする(ex.ガンダムに乗り込むアムロ)ように。
・また、更に言えば、魔法少女アニメと呼ばれているものも実は、同じ構造を持っている。少女達は変身することで「大人」になることが出来る。
・少年がメカに、少女が魔法というテクノロジーに、それぞれ頼るのは何故か、というのは興味深いテーマだが、本論とは別の話なので、深入りはしない。ただし、80年代後半から、例えばサイボーグ少女という形で、奇妙にねじれた形で、能力の拡張は進化中( ex.士郎正宗の重機甲半裸少女)
Aヒーロー=アメリカ説
・正義の味方という存在を信じることの内には、外から助けてくれる存在が来てくれる、という都合の良い願望が存在する。しかし、その願望にリアリティがあったのは、(ここ十年、散々指摘されたことだが)当時の日本をとりまく世界情勢が、まさにそういう状態にあったからである。アメリカの庇護の下、高度経済成長を成し遂げた日本という現実を、物語は反映している。
・つまり、実も蓋もない言い方をしてしまえば、ウルトラマンはアメリカだった。「日本国民(の精神年齢)は12歳」 と、マッカーサーが述べた通り、政治的に「子供の国のぼくら」はアメリカという「ひかりの国」に頼っても不思議を感じなかったのだ。
・だから、日本が自立?していく過程で、それら正義の味方のリアリティが無くなっていったのも、また不思議ではない。
・もっとも、庇護者が現れる物語というのは、「西遊記」を始め、私達には昔より御馴染みである。それが、日本的な独自の精神構造によるものなのか、あるいは、物語の原型として世界のどこでも普遍的に見られるものなのか、それについては、検討の必要があると思われる。
・資本主義社会における正義の味方の存在矛盾
前提 @この社会において人は生活するために金を稼がなくてはいけない
A正義の味方は報酬を受け取らない、純粋に善意の行為をする存在
結論 B正義の味方はこの社会に存在できない
という三段論法をいかにして回避するか?
(A)正義の味方、実は大富豪という設定(労働の必要性を回避) ex.バットマン
問題)一般大衆との距離(金持ちの道楽に見え、犠牲的行為でなくなる)
→その解決法の一案
モンテクリスト伯(岩窟王)方式 (但し、これを余り強調すると、公憤→私憤へと問題がズレる)
(B)別の働き口を持ち、普段は別人格として行動するという設定 ex.ウルトラマン
(付加条件)別の職も、正義の味方と根本的に矛盾してはいけないという前提が付く
長所)変身のダイナミズムの強調、収入の確保、日常性の確保
問題)突発的に、しかもしばしば職場放棄をするのに何故クビにならないのかという疑問
(C)正義の味方を国家公務員(Policeman)として設定してしまう ex.ガッチャマン
長所)グループ編成がし易い、正当化が楽
問題)純粋の正義から外れる危険。単なる命令の実行者(=下っ端)
⇒現在 (A)でいくなら、多分ギャグ?(即ち、説得力に欠ける)
(B)でいくなら自由業、フリーターの場合のみ可能か?
(C)でいくなら正義を実際有り得る所まで限定するか(パトレイバー)、世界を別のところに移すか、
何らかの世界観の構築が必要
・悪の矮小、善悪の相対化を踏まえ、正義の味方を現代に復活させるためには?
(1)共同体を、小さな弱い限定的なものにする。
ex.孤島、学校 =閉鎖的空間
(2)今の社会をひっくり返す程の外圧を想定する。
ex.宇宙人の侵略 …ただし、その理由付けが必要
(3)社会に強力な目標を(密かに)設定する。
(4)新興宗教に走る(全ての事柄が幻魔との戦いに…) ←これはオウムが出てくる前に書いている
(5)別世界のFantasy(=現実逃避)する。
・実際に、物語を考えてみる。
(1)ある星に不時着した男。その星の「正義の味方」と戦う羽目となり、死を覚悟するが、何故か勝つと、その後は、「正義の味方」として歓待される毎日。長い年月の後、ブクブク太った彼の前に、又、新しい男が…
(2)凶悪宇宙人を追ったウルト○マンは、地球人を守るべく地球へ向かうが、たまたま宇宙人より早く地球へ着いてしまう。自衛隊に攻撃され、つい叩き落してしまうウルト○マン。そこに現れた宇宙人は、地球人の声援を受け、ウルト○マンに向かっていく…
(3)古代文明の遺跡が発掘され、巨大ロボットが動き出す、それは一万年前の正義に則り、現人類の文明を次々に破壊していく…
(4)妖魔の王の子供として生まれるが、父殺しを恐れた父親によって捨てられ、人間の医者によって育てられるという前歴を持つ。以後、妖魔ハンターとして活躍するが、倒すまでは彼に必死に頼み込む民衆は、いざ敵が倒されると、彼をも化け物扱いする。(おおー、アナクロ、手塚だ) 父親への憎しみ、母親(人間)への想い、人間に対する複雑な感情。最終回近くになって、やっとめぐりあえた母親が、民衆の、恐怖から来た怒りの行動で殺されてしまうのを目にした彼は、怒りの矛先を人間に変えて…
……今読むと、どれも「一昔前」の捻り方だなぁ。まぁ、実際、一昔前に書いたことだから、無理もないのだけど。