小津安二郎


小津安二郎監督作品の感想 (2002年にビデオで観た分に関して)

 

…全作品と言いながら、途中で止まっていますが、その内、再開(する予定)。


「若き日」 「大学は出たけれど」 「朗かに歩め」 「落第はしたけれど」 「その夜の妻」

  「淑女と髭」 「東京の合唱」 「生まれてはみたけれど」 「青春の夢いまいづこ」

「東京の女」 「非常線の女」 「出来ごころ」 「母を恋はずや」 「浮草物語」

「東京の宿」 「一人息子」 「淑女は何を忘れたか」 「戸田家の姉妹」 「父ありき」


「若き日」 (1929)

  下宿学生二人の恋の鞘当てをコミカルに描く。後半のスキー場ロケの開放感が、当時はさぞ新鮮だったのではないだろうか。冒頭と結末の、横にパンするカメラも小津としては珍しい。

 な、長い。2時間以上のサイレント映画をビデオで観るのは結構辛いものが。
 当時のスキー場は駅から自力で歩いて辿り着くものだったらしい。一人がスキー場まであとどれ位かと聞かれて、間隔が非常に空いている電信柱の列を指して「あと136本」と答えた後、画面に電信柱を6本写して、「それから130本」と字幕が入るシーンが笑える (本数自体は不確か)。
 あとは、学生の試験勉強ネタ。教授にあだ名を付けて「むじなは40点は呉れるだろう」(実際は35点!)とかいう辺りの描写は今見てもおかしい。(5/22)
 

 

「大学は出たけれど」 (1929)

  当時の就職難を背景に、大学を卒業した若者が職が無くても暢気に過ごしていたが、妻の献身に改心して、めでたく就職するという話。全編のダイジェストとして、計10分間だけが現存。

 無職を妻に隠していた夫が問い詰められ、「サンデー毎日」を指差しながら、「毎日が日曜日なんだ」と告白するシーンはおかしい。「毎日が夏休み」なネタは、この時代にもあったのか。(5/27)
 

 

「朗かに歩め」 (1930)

 チンピラの青年と純情な娘の恋愛を描く物語。小津の中でも、最もハイカラ趣味を示す作品として有名。ロングコート。フォード車。横浜の埠頭。横文字のホテル。ビリヤード場。アメリカのギャング映画と思うようなファッション、舞台である。また、俯瞰、移動撮影、ズームアップ等、戦後の小津のイメージを大きく裏切るような様々な撮影技法が駆使されているのも興味深い。

 何というか、変。「当時の学生達が、ギャング映画の格好をして演じた」ような作品。コメディ、ではないのだけど、妙に笑える、というか、おかしい。変な挨拶をして登場する子分達とか。
 洋風なチンピラの青年と和風な娘の対比も、画面的に相当に不思議。青年が結局、娘の望むとおり、堅気になることを選ぶというストーリーは、後年の「淑女は何を忘れたか」「お茶漬けの味」に先行する「洋と和の対立と、後者の勝利」と捉えることも可能だと思われる。
 個人的に一番驚愕したのは、二人が鎌倉までドライブするシーン。何と、乗ってきた車を大仏の台座の真横に駐車していた。…当時は、大仏の周りって何も無かったのか。(6/9)
 

 

「落第はしたけれど」 (1930)

 当時の大不況を背景に、卒業しても就職出来ない同級生と、落第したけれど学生生活をエンジョイし続ける主人公ら落第生が対照的にコミカルに描かれる作品。物語のメインは、試験の回答を書き込んでいたシャツをクリーニング屋に持って行かれ、計画していたカンニングに失敗するという牧歌的な?学園生活。

 ここで書くのもあれだが、小津のキャンパスライフ物は、実は苦手なので、現存分を見終えて、少しほっとした。登場人物の内面描写の重さと、それとは対照的に、無声映画的な、いかにも軽い、無思慮かつ幼稚な行動振りのアンバランスさが、今観る者としてはどうも居心地が悪いのだ。
 多分、当時の人は単純に笑って見たのだろうが。とはいえ、当時は、学生層が見て自分たちの姿を笑ったのか、それとも学生が下らないこと(カンニング等)をしているのを一般大衆が観て笑ったのか、 どちらが中心だったのかは気になるところ。
 この映画もそんなに好きではないのだが、突貫小僧(という芸名の名子役)が出てくるシーンのおかしさは、やはり絶品。「ラクダイって何?」と素朴な疑問をぶつけて周りが答えられな い辺り。
 あと、隣のパン屋の娘に2階の窓からパンを注文するシーンの、無声映画ならではのギャグ(手足と帽子等で「パン」の字を影絵で作る)は確かに笑える。(6/17)
 

 

「その夜の妻」 (1930)

 小津の映画で、しばしば登場人物の重要な動機となる「子供の病気」が描かれた最初の映画。しかも、診察代を工面するため、父親は強盗を働かざるを得なかったという、いきなり重い設定である。
 なぜピストルを持てるのかとか、よく考えれば、割と怪しげな設定でもあるが、アメリカ映画(犯罪映画)の常識で話が作られているため、なのだろう。実際、日本映画というより、アメリカ映画の文法を強く意識した作品となっていて、「朗らかに歩め」と同様の無国籍ぶりには不思議な印象を受ける。

 強盗をした後、警官に追われながら、夜のオフィス街を逃げ回るシーンのサスペンスも凄いのだが、病気の子供のいる部屋に父親を追って入り込んできた刑事に、若い母親が夫を庇って対峙するシーンが何と言っても見物。彼女は、夫から預かった拳銃を両手に構えて、刑事を追い出そうとするのだ。しかも、着物姿で。構えるなら2丁拳銃。まるで、伊藤明弘である。
 …冗談はともかく、後半は夫と妻と刑事が一室で心理戦を繰り広げる室内劇がずっと続くのだが、カットが緻密に構成されていて、この頃から小津の室内シーンの撮り方が格段に上達しているのが分かる。
 後年の小津からは想像しにくいが、その気になれば、サスペンス映画の監督としても大成したのではないか、そんなことも妄想させる興味深い作品。なお、私は、この作品は今回が初見。(6/22)
 

 

「淑女と髭」 (1931)

 現存している作品の中では、最もナンセンス・コメディと言える作品。髭面のバンカラ青年が、就職のため髭を剃ったところ非常な二枚目で、3人の女性から急に言い寄られることになる、という物語の中に、様々なギャグが 詰め込まれている。

 わはははは。いや、もう、傑作、というかケッサク。とり・みきの漫画で言えば「るん・カン」なみのギャグ密度。小津映画の会話のおかしさというのは、こういう作品で鍛えられてきた わけだ。
 ギャグのネタに「治安維持法」が登場したりする辺り、当時の世情も感じさせるが、(どうみても皇室と思われる)少年をネタにしたギャグが平然と出てくるのには、驚愕。この時期にもまだ、そういうことが許される雰囲気が残っていたのだろうか。
 小津がルビッチと非常に近いコメディセンスを持っていたことが、よく分かる。そういえば、ルビッチの「生きるべきか死ぬべきか」も、髭コメディの大傑作だった、と思い当たる。
 とにかく、こういう作品を見ずに小津について語る人など信じてはいけない。(6/25)
 

 

「東京の合唱」 (1931)

 「小市民映画」と呼ばれる、人生の喜劇的側面と悲劇的側面を共に描く、ほろ苦い作風の嚆矢として、また「子供の論理と大人の事情の対比」や「東京と地方」」といったこの後繰り返し描かれる要素を多く含んだ作品として注目される。ちなみに「合唱」は「コーラス」と読む(副題 は、仏語の「Le chorus de Tokio」)。

 何と言っても印象深いのは、主人公の恩師が中学の体育教師を辞めて始めた洋食屋である。「カロリー軒」という名のその店は「一皿満腹主義」で「ライスカレーとカツレツ」だけがメニューらしい。「とんかつの誕生」という本によればカツ丼の誕生は1926年だそうだが、この時代だとカツレツの方が世間では知名度が有った(カツ丼はまだ広まっていなかった)ようだと推測される。
 …というのは、映画とは余り関係のないことだった。
 「子供の論理と大人の事情の対比」は「生まれてはみたけれど」にも受け継がれる主題だが、この作品での「大人の事情」(主人公の失業)は見ている者の同情は余り惹かない。というのも、失業した理由が、正義感といえば格好良いが、同僚を首にした社長に単に感情的にくってかかったからであり、ほとんど子供の喧嘩にしか見えないからである。
 ところで、この作品でも大きな役割を果たす「子供の病気」(失業中の主人公は診察代の工面のため、妻の着物を勝手に、全部売り飛ばしてしまう!)だが、後でキャストを見てみたら、病気になる子供を演じていたのが、高峰秀子だったのでちょっと驚いた。初映画?
 あと、「東京の合唱」なのに、主人公が東京に留まれないという結論が待っているところに、小津映画の辛辣さを見て取ることも出来るかもしれない。その意味で、後年の「東京物語」というタイトルの使用法に近いものを感じる。(7/2)
 

 

「生まれてはみたけれど」 (1932)

 言わずと知れた、サイレント時代の小津の代表作であり、日本映画を代表する傑作。上司におべっかを使わざるを得ないサラリーマンの悲哀を、その子供である兄弟二人からの視線で描いた作品で、生き生きとした子供達の生活の描写がとにかく素晴らしい。

 もう何を言う必要もない、というか。一つ一つの主題を取ってみれば確かに今までの延長線上なのだけど(この作品では「子供の病気」に当たるのが「飼い犬の病気」であるとか)、全体としてこれ以上手を加えるところは全く見当たらない。完璧な作品と言って良いのでは? しかも、これを小津が撮ったのは28歳の時らしい。……今の私より年下じゃん。
 生まれてはみたけれど、と思わず呟いてしまう。私はまだ何もなしえていないし、多分、この後も同様だろうと思うに付け。生まれてはみたけれど、それだけかという… (7/11)
 

 

「青春の夢いまいづこ」 (1932)

 かつての学生仲間を自分の会社の社員として雇うことになった主人公が、恋の三角関係で、仲間が(今や雇用主となった主人公のために)恋人を諦めようとしていることを知り、「友情の鉄拳」を仲間にお見舞いするという、小津映画らしからぬ「バイオレンス」?が物語のクライマックスとなっている作品。
 キャンパスライフ物とサラリーマン物のちょうど中間に属する作品だが、気楽な学生の共同生活にはもう戻れないと言う「取り返しの付かない」感覚が強く感じられる。

 応援団の練習風景から始まる。小津映画の学生生活の風景は、試験勉強と応援団しかないのか、という気が。まぁ、出てくる役者は毎回ほぼ同じなので、毎回応援団をやっていても不思議ではないのか。
 余談だが、応援団といえば学生服姿というアナクロなイメージだけど、この当時は一般の学生も学生服、制帽姿だったわけで、時代が経ち「応援団だけが学生服姿で取り残された」というのが真実のようだ。氷河が去った後に残った丘(ドラムリン)とかと同じ(?)だ。
 主人公の父親(いかにもアバウトな良い感じの親父さんなのだけど)が急逝してしまい、主人公が大学を中退し、その会社を継ぐ、という展開は、近親者の死が人間関係の再構築を促すという後年の構図に繋がるが、それでも友人の入社試験でカンニングに協力するあたりの暢気さはまだまだキャンパスライフ物のそれである。
 とはいえ、物語後半以降の調子は割と重苦しく、憂鬱といっても良いくらいで、主人公の江川宇礼雄の明朗さで、この映画は何とか保っているという印象を受ける。
 ラストは、仲間とその恋人が新婚旅行に出掛ける電車を、会社の屋上から、社長である主人公と他の仲間が見送るという、いわばハッピーエンドなのに、彼らがもう戻ってこないような不吉な予感がしてしまうのは、ラスト に電車が登場する小津映画の大半で、それが登場人物間の別離を示すからだろう。
 綺麗な状態のプリントで驚いたが、余り人気がない作品だったのかも。初見。(7/20)
 

 


参考文献:主として「小津安二郎を読む」(フィルムアート社)を使用


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