空の蒼さを 見つめていると
……16日振り?? もしかして、新記録かも。
更新していなかったのには、さほど大きな理由はなかったんですけど。
生活が微妙に変わったため、他に何かを書く時間と気力が自体、暫く無かったり、その後、ようやく心を入れ替えて、春アニメの感想を某所で今頃書き始めた結果(←心を入れ替える方向が間違ってます)、更にここを書く余裕が無くなったりと、まぁ、そんな感じで。
4月半ば以降は、自分の中での買い物月間だったので、元々はその辺のことを書こうと思っていたのだけど、それはまた後日ということで。
とりあえず、その間に見聞きしたものだけでも挙げておくと。
展覧会、は微妙に忙しくて余り行けず。「「写真」とは何か 20世紀の巨匠たち」@大丸ミュージアム(4/18)。「百花繚乱の絵画」(第2部:鎌倉館、第3部:鎌倉別館)@神奈川県立近代美術館(4/19)。「ガレとジャポニズム」@サントリー美術館(4/23)。「東西の水辺の情景」@鎌倉大谷記念美術館(4/29)、位かな。
イベント。「成仏」@日本青年館(4/27)。勿論、黒のスーツ姿で。
読んだもの。「ゴーストハント」10巻。どろぬま茶。というか、読んだのって、それだけ?(^^;;
そんなわけで、行ってきました>京都。
初日(4/11)は展覧会巡りで、「明治日本のギャグマスター
暁斎漫画展」@京都国際マンガミュージアム → 「生誕100年記念 秋野不矩展」@京都国立近代美術館
→ 「絵画の冒険者 暁斎 Kyosai
−近代へ架ける橋−」@京都国立近代美術館。
マンガミュージアムは初めて入ったのだけど、開架で置いてあるマンガが妙に「一昔前」だと思ったら、2005年に辞めた貸本屋さんからの寄贈らしい。まぁ、有る意味懐かしいけど、それだけでここまでまた来る意味があるかというと… むしろ、海外の作家の紹介の方が興味深かった。
麻生ローゼンメイデン(元)大臣の肝入りで始まったあの国際漫画賞の受賞作品とかも置いてあったし。中でもマレーシアのBENと言う人の「Le. Gardenie」は確かに良い絵だと思った。まぁ、割とベタなラブコメのようなんだけど、その辺も含めて日本でも普通に受けそうなクオリティの高さ。
企画展はコンパクトな割には充実していたかなと。
「秋野不矩展」は思ったよりも盛況。正直言って上手い画家かどうかさえ、よく分からないんだけど、でもとにかく立派な絵だという気はした。どっしりとして、ためらいが無くて。本当は、本人の美術館で、素足で寝っ転がって見たいところだけど、それでもこうやって見られて満足。と思いつつ、と最後に図譜を捲っていたら、巡回先に神奈川県立近代美術館葉山館の文字が。
何ですと−! 地元駅からバスで十数分のところで開催する展覧会を、わざわざ京都まで行って見たのかと思うと…… ま、まぁ良いや。場所が違うと、また受ける印象も違うし。
というか、内容は良かったので、近所でやるのなら、もう一度行くかも。
「暁斎展」は思った以上にガラガラだった。まぁ、無理もないというか。関西人に行かなきゃ損、と思わせるだけのネームヴァリューに乏しいし。でも、NHKがプッシュすれば変わるかも?
内容的には当然ながら面白くて。愉快な妖怪画、恐い幽霊画、端麗な人物画、人を食った風刺画といった、様々な作品が並んで、期待を裏切らない。あの巨大な幕も全部展示していたし。
しかし、展覧会の白眉は「地獄極楽めぐり図」。タイトルから、暁斎らしい、えぐい地獄絵図を予想していたのだが、これはそうではなくパトロンの娘さんが夭折したのを慰安するために制作された、楽しい極楽行きツアー。一言で言えば、優しく繊細な職人仕事。こういう側面が暁斎の作品にあるとは余り思っていなかったので、目から鱗、だった。
残念だったのが、この作品に限り、会期前半と後半で展示替えだったこと。せめて、図譜に載っていれば…と思ったのが、所蔵者の静嘉堂文庫美術館に配慮してか、ごく一部しか収録されておらず。もし全部載っていれば、あの重さでも持って帰ったのに! まぁ、静嘉堂文庫なら、いずれ全巻展示をしてくれそう、だとは思うのだが…
とりあえずは、近いうちにやるであろう、新日曜美術館の特集で、後半部分も出てくるのを期待。
ソメイヨシノは、ちょうど今散り終わったところ、という雰囲気で、やはり一週間前に京都の桜は終わっていた感じ。ただし、平安神宮の枝垂れ桜は(1,2日位過ぎていたものの)まさに満開という華やかさ。この時期の垂れ桜を見るのも久し振りだったので、それだけでも割と楽しめた。と負け惜しみ?
ちなみに、桜は4/11に半木の道と、(二条城の近くに泊まったので)二条城のライトアップへ。4/12は嵐山、天龍寺、大沢池(終わっていた…)、法金剛院(駅から桜が見えたので途中下車)、平安神宮、南禅寺近くの清流亭と、基本的には垂れ桜のみを半日強で訪ね歩き。こればかりは、京都に来ないと満喫出来ない桜なので、逆に見ると、今年も京都の桜を見た、という気になりますね。
散歩。桜も終わり間近、なので、周囲の山桜を眺めるため、近くの霊園まで往復。
Run&Walkによると、最高地点(一番上の広場)が標高117m。街道の29mからだと+88m。ちょうど近所の山の頂上と同じ高さ。往復1時間52分で8.1km。気温が高い分、思ったより疲れた。まぁ、山桜で色取り取りに染まる周囲の丘陵も見たし、これで今年の桜は一応、お終いかな。
…というわけでもなくて(笑)。今週末は京都に行く予定。ほら、そこ、またか、とか呆れ顔で言わない!
いや、今年はいつもと違って、1泊2日で展覧会2つ+花見1日のあっさりコースなので(と言い訳)。桜も(今が盛りの)ソメイヨシノはもう遅いだろうから、枝垂れ桜を中心に、無理をせずにさらっと見て(疲れない内に!)帰ろうかなと。展覧会は勿論、京博の暁斎展。 暁斎ということで、今回は京都に行くかどうか自体、随分と悩んだのだけど、行かないと後悔する展覧会であることは間違いないので、思い切って。
というわけで、宿だけは前から一応、市内で予約していたのだけど、テンションが上がってきたこともあり(?)、ようやく今日、行く決心が付いたところ。展覧会メインなので、金曜に行って土曜夜に帰る予定。
…それまで、HDDの中に新番組を溜め込まないよう、日々消化に勤しまないと。普段ならいざ知らず、この時期は放っておくと一週間で10数時間増えるので。
陽気もよくなり、ようやく自分の中のテンションが上がってきた。というか、普通まで戻ってきました。
とはいえ、普通に朝起きた段階で、遠出するのはもう間に合わず、当初の予定通り、会期終了間近の展覧会を中心に、都内の展覧会巡りの一日。「川瀬巴水展」@江戸東京博物館 → 「横尾忠則のふたつめの壺」@谷中SCAI THE BATHHOUSE → 「横尾忠則 温泉主義」@西村画廊 → 「コレクションの新地平」@ブリヂストン美術館。
谷中から上野に抜ける途中では、東博の庭園にもう一度寄ってみる。こうなると分かっていたのなら、昨晩は常設ではなくイベントを見れば良かった… 庭園は昼の日差しで見ると、思った以上に終わっていた桜も有った(エドヒガン)けど、逆に夜の照明では、元々の色に気付かなかった桜もあり(黄緑のギョイコウザクラやピンクのショウフクジザクラ)、二度来てみたかいはあった。
展覧会については、きちんとした?感想を書く暇はなかなか無いと思うので、特に印象的だったことだけ。
「横尾忠則 温泉主義」は、日本で例えばデルヴォーみたいな絵を描こうと思ったら、そうか、温泉という「舞台」があったんだ!と妙に納得。ほら、裸の女の人達がうろうろしていてもちっとも変じゃないし。そこに分かれ道があろうとも、歴史上の人物がいようとも、宇宙人がいようともちっとも変じゃない(?) 日本における「何でもあり時空」を象徴する舞台がいわば「温泉」なのかも。
横尾忠則のファンというわけでもないのだけど、今回の作品群を生み出す元となった本の「温泉主義」(amazon) は、温泉好きという観点からも面白そうなので、買って読んでみようかな。
「コレクションの新地平」は、ブリヂストン美術館コレクションによる「私って実は抽象も凄いんです。」展。
確かに新鮮。というか、もうこの際、常設作品をこちらに切り替えた方がむしろ良いんじゃないの?とさえ思った。ブリヂストンのコレクション展って、いつもの印象派でしょ、と思っている人ほど、ぜひ行くべき。凄い作品が並んでいるかというと微妙だけど、ほどよい分量で、見ていて楽しい。
帰りに「博物館でお花見を」@東京国立博物館へ。
秋に年間パスポートが切れてからは毎回、企画展の前売券で入場していた東博だが、常設だけでお金を払うのは勿体ないので、またパスポートを購入。
本館を一巡りしてから、ちょうど始まるイベント(講堂でのコンサート)に行くか、庭園のライトアップした桜を見るか、で悩んだが、夜の庭園を見るのが主目的だったので、庭へ向かう。既に終わりかけの桜も多かったが、見上げた視界がすっぽり覆われるような奥の桜の林の中に佇むのは、なかなか素敵だった。
今まで上野の桜というと、この時期は近寄りたくもない地域というイメージだったのだけど、ここは公園側の喧噪とは大違いの、都内で落ち着いて夜桜をしみじみ見られるスポットとして覚えておいても 損はないかも、と思った。来年から毎年1回は寄ることにしよう。
先週末に既に満開になったソメイヨシノが、こんなにも長く続くとは思いませんでした。よっぽど月曜の寒さが堪えたのかと。
しかし、今年は夜桜を見に、ふらふらと出歩く気分ではなく。週末も…どうしようかと思案中ではあるけれど、多分、(山梨とかへの)遠出はせずに、せいぜい都内で展覧会とか回っている可能性の方が大。
昨日伝わってきた石井桃子さんの訃報。
多分、私の「日本語」の大きな部分は、この人の翻訳した児童文学の数々から成り立っていると思う。小2の頃、最初に夢中になって読んだ物語が、そもそも岩波の「ドリトル先生」シリーズだったわけだから。(←実質、石井桃子訳と後に知った)
改めて、訳してくれた沢山の作品の内容、そしてそのシンプルで豊かな文章に感謝。