空の蒼さを 見つめていると
神坂雪佳展@日本橋高島屋。
神坂雪佳を最初に意識したのは、2003年の大倉集古館での「京都・細見美術館名品展」で「金魚玉図」を見た時のことで、当時の日記にも書いているように、今見ても斬新なその画面は、非常に新鮮だった。
それ以来、まとまって見たいと思っていただけに、今回は待ち望んでいた回顧展なのだけど、通して見ると、「金魚玉図」みたいにとんがった作品は雪佳の中ではむしろ例外的らしかった。「なごみ琳派」な絵の数々も悪くは無いんだけど… う〜ん、光琳と似たような印象。
といっても、私の場合、光琳みたいというのは褒め言葉、ではなくて、グラフィックデザイナーとしてのセンスは抜群だと思うけど、絵としてはやや退屈というか、心から惹かれない、という意味なのだった。勿論、雪佳自身が光琳みたい、と聞けば大いに喜んだ筈だが。
会場で一番素晴らしかったのは、むしろ絵よりも、弟祐吉と組んで制作した螺鈿細工等の工芸品。そういう意味でも、やはり本質は工芸デザイナーだったのだと思う。そんなわけで、画家としての雪佳には軽い失望を覚えつつ、デザイナーとしての雪佳は気になるので、最近の私としては珍しく図譜を購入。
京都での、さまよえる三日間。
5/26午後:泉屋博古館→野村美術館→京都美術館(コレクション展)→京都国立近代美術館(常設展)、錦市場。18時半〜20時半:京都国立博物館。
5/27午前10時〜:正伝寺→今宮神社→大仙院→晴明神社→(富岡鐵斎邸宅跡)→護王神社→(京都ハリストス正教会)→六波羅蜜寺→智積院。17時〜19時:京都国立博物館。
5/28。午前9時〜11時半:京都国立博物館。午後:修学院駅→詩仙堂→金福寺→高野、府立植物園(バラ園)→陶板名画の庭→北大路。 (以上、「→」は全て徒歩)
地図で示すと、5/27と5/28みたいな感じ。こうやって地図に描いてみると、 特に前者は、…馬鹿? と自分でも言いたくなる位、長い距離を歩いていた(^^;
ええと、結局、毎日行ってしまった大絵巻展の感想などはその内に。とか言ってる内に会期が終わりそうだけど…
明日は「大絵巻展」を見に、京都へ。せっかくなので、日曜までは滞在の予定。
梅雨にはやや早いし、5月の良い陽気の中、あちこち出歩こう、と考えていたのに、この3日間は天気が至って良くない様子。今日はこんなに良かったというのに…
今週はその計画や準備?で余り余裕の無いところに加えて、「プラネット・アース」のハイビジョン版を見たりしていたので、ますます時間が無い毎日に(自業自得)。そんなわけで、ここも全然更新出来ず(という割には、毎日何かを更新していた気がするのだけど…)。「大絵巻展」は会期末ということで、異例の時間延長(毎日)が決定された位、凄い混み具合らしいけど、覚悟して行くつもり。
近付けなくても見えるように(笑)、単眼鏡も買い直したし。
それにしても、雨… 今頃の季節の京都で、しかも雨だったら、どこへ行くのが一番賢明な時間の使い方かな。う〜ん、学生の時は、雨の日は(一歩も外に出ずに)下宿で本読んでたしなぁ…
珍しく爽やかな陽気になったので、「花鳥−愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」の第二期を見に、三の丸尚蔵館へ。
「プライスコレクション展」ブログで、プライス氏が一番好きな若冲は「菊花流水図」だと書いているので、一体どんな絵が?と思っていたけど、見て納得。なるほど! あの「ふぐ刺し」の絵でしたか(大間違い
若冲の絵(特に「動植綵絵」)って、いつまで経っても、絵を完全に覚え切れない気が(画集とかの複製を持ってないせいもあるけど)する。全体より細部が突出するという印象で、細部は極めて鮮明なんだけど、全体の構図は目を離すともう再現出来ない。ある意味、夢から覚めた時の感覚に近いかも。
まぁ、一度聴けば、耳コピが完全に出来る人がいるように、一度見れば、あの梅の枝振りさえ苦もなく再現出来る人だって、世間にはいるんでしょうけど…
今日書くと、いかにも話題に便乗しているようであれなのだけど(本当は、小説も映画も話を聞く限り、全く惹かれないのだけど)、各種メディアで、レオナルド・ダ・ヴィンチの名をやたらと見掛けるようになり、そういえば、数が少ないという彼の絵画(painting)の内、
現存している絵で、どれ位、未見のものが残っているのかが、ふと気になった。
これだけ騒いでいる割には、そういうことをまとめているサイトが余り無いのが不思議だが、Web Gallery of ArtのLEONARDの頁を見る限り、思っていた以上に少なかったのに、ちょっと驚く。
ええと… ルーブルとウフィッツィとアンブロジアーナとサンタ・マリア・デッレ・グラツィエとスフォルツェスコ城とヴァチカンとナショナル・ギャラリー(ロンドン)は行ったし、クラコフは行ってないけど作品の方が来たから… 見てないのはナショナル・ギャラリー(ワシントン)の「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」、エルミタージュ美術館の「ブノワの聖母」「リッタの聖母」、アルテ・ピナコテークの「カーネーションの聖母」位?
ピナコテークにはこの秋行くつもり(予定)なので、あとは2館。すぐに、というと無理があるけど、その気になれば、決して不可能ではない数だった。もっとも、ルーブルのレオナルドは、「モナ・リザ」と「岩窟の聖母」と「ヨハネ」位しか印象が残ってないので、そういう意味では、ルーブルももう一度訪ねる必要が有るのかも。でも、あのモナ・リザ部屋に置かれた「モナ・リザ」は見たくないなぁ。
ともあれ、エルミタージュは、やはりいつか行かなくては行けない美術館なのか…
ちなみに、お金と暇が許しさえすれば(無理だけど)、全ての作品を見に行きたい画家は、(前から書いているけど)ブリューゲル、ボス、ヤン・ファン・アイク、ヴェラスケス辺りが筆頭。( そういう「巡礼者」が多いことで有名な)フェルメールはまぁ、そこまでの画家では(自分にとっては)無いです。
ところで、MSNのサイトの、モナ・リザとレオナルドの声を復元、というビデオを見て、モンティ・パイソンのアニメみたいだ、と思ったのは私だけ?
最近、山手線で、サントリーの新しい烏龍茶の吊り広告をよく見掛ける。あの「中性脂肪に告ぐ」という奴である。
特定保健用食品としての効用を、長々とした文章でだらだら説明する、サントリーにしてはえらく野暮ったいスタイルに加え、「…に告ぐ」なら勿論、二二六事件の「兵に告ぐ」を連想させるコピーなのにそれを踏まえていない、という以前に、その長い文章を最後まで読んでも、中性脂肪には結局「何も告げていない」という浅薄な作りが、見る度に私をひどく不愉快にさせるのだが、文章を読ませて印象に残す、という点ではCMとして十分に及第点なのかもしれない。…買いたくならないけど。
銀座ギャラリー小柳で、5月末からオラファー・エリアソンの個展を開催(ユトレヒトのニュースより)。まだ記憶に新しい原美術館での個展もなかなか面白かったので、今度のも是非見に行きたいところ。
Novel。米澤穂信「氷菓」(角川文庫)。「夏期限定トロピカルパフェ事件」が「春期」より遙かに面白くなっていたので、他の米澤穂信作品も一通り読んでみようと。というわけで、まずデビュー作から。
なるほど、「小市民」シリーズって、この「氷菓」のスタイルの延長線上に有るのね。そういうわけで、どうしても比べてしまうわけだが、こちらの方がキャラ・内容共に、弱いのは仕方ないかと。悪くは無いんだけど… メインの物語が物足りなさ過ぎ(半ば実話だとしたら、それも仕方ないのかもしれないが)。これもシリーズものらしいので、続編を読むと印象がまた変わるんだろうか。
ハイビジョン特集の「“天才”チンパンジー親子 アイとアユム 才能はどう受け継がれるか 」を途中から見た。
数字を瞬間的に記憶する能力は、人の場合、通常7桁までで、それをマジカルナンバー7と呼ぶ話はどこかで聞いたことがあるし、「天才」チンパンジーのアイが5桁まで覚えられるようになったというニュースも昔聞いた覚えが有るのだけど、息子のアユムは何と、9桁まで軽く記憶出来ていた。凄い。
研究所の人の解説も、前はチンパンジーのような類人猿から人へ進化の中で、記憶力が増加といったニュアンスだった筈だけど、チンパンジーが持っていた記憶力の良さを失う代わりに言語能力を獲得していったのが人間ではないか、という方向性に変わっていた。つまり、 「退化」したのが人間?
そっか、(記憶力で)チンパンジーに劣った人間でも決して恥ずかしくはないんだ!(意味が違います)。それにしても、←この日記を書いてからさえ、既に6年半も経ってるのか…
番組ではアイ・アユム以外の親子も紹介。PCでの学習は苦手だけど、積み木を積み上げて遊ぶのは得意(色合いも考慮する)な親子とか、個性とその遺伝が、ああいう狭い環境でも、親子毎に違うのが面白かった。
雨。というわけで、無理に外に出ずに、整理したり、ここではないどこかを更新してみたり。
溜めている展覧会の感想もそろそろ書こうと思って、タイトルだけまず書き出したら、「プラド」「藤田」等、軽く感想を書いたものを除いても、この2ヶ月間で13件も有った。一体、どうすれば…
5/19の21:30〜放送のBS2の「週刊お宝TV」。ゲストが押井守で、そのお宝TVが「ウルトラセブン」というのは意外のような、納得のような…
夕方。適当なところが無く、松屋に入る。先に店にいた外国人(ドイツ人?)の夫婦が店を出る時、ポケットから小銭を取り出しカウンターに。食券制の筈なのにな、とぼーっと眺めていたら、店を出た彼らを店員が慌てて追い掛けて行った。が、「Thank you」と、その夫婦はそのまま去っていき、店員は小銭を持ったまま、戻ってきた。ということは。
松屋で牛丼を食べて、チップを払った客って、初めて見ましたよ。
余りに肩が張っているので、久しぶりにマッサージを受けてみた。…少しは生き返った気分。
またしても、昼の食事ネタで申し訳ないが、「鳥の石垣揚げ」というのが、今日のメニューにあった。
何せ、紅ショウガ入りの天ぷらを「長崎揚げ」と呼ぶような社内食堂であるから、「石垣揚げ」というのも、石垣島風、つまりは南国風(と勝手に食堂が考えている)揚げ物かもしれぬ、と半ば恐れ (まさかとは思うが、ハブ入りとか)、半ば期待したのだが、出てきたそれは、黒ゴマが衣に入っている唐揚げだった。…どこが、石垣揚げ?
ぐぐって見ると、どうやら、この「石垣揚げ」というメニューは給食業界 では珍しくないレパートリーの一つらしい。しかも、定番の材料は「ちくわ」。確かに、平べったい「ちくわ」なら、「石垣」風に 見えなくもない。ただし、鶏の唐揚げでそう言い張るには無理が有り過ぎ。素直に黒ゴマ入り唐揚げと呼べば良さそうだが、気取った挙げ句に、本来の意味とは懸け離れ、誰にも分からないメニューを出すのが、ここの伝統なのだった。
ちなみに、同様の調理法を「南部揚げ」とも呼ぶらしいが、こちらは「ゴマ入り煎餅」である「南部煎餅」から来たネーミングだろうと容易に推測される。これも元の意味をかなり逸脱しているようだけど、調理界の人達はこういう名付け方を好むらしい。どうせ名付けるのなら、「竜田揚げ」位のセンスは有って欲しいものなのだけど…
部屋を少しだけ整理。お陰で、見える床の面積が微妙に広くなったような。…いや、気のせいか。
平塚(方面)というと、今までの色々な個人的経緯が有って、気分的に遠い地域のため、今まで美術館にも行ったことが無かったのだが、今回は京都国立近代美術館所蔵の日本画展ということで、勇気?を出して訪ねてみた。駅からはバスで行ったのだけど、思ったほど遠くはなかった(帰りは歩いた)。ただし、美術館の中は無駄に広かった(その割に展示スペースはさほど広くなかった)という印象。
展示はジャンル毎。花鳥、風景、人物。なかでも人物については、甲斐庄楠音、岡本神草、秦テルヲらの不気味部屋と上村松園、菊池契月らの清楚部屋に分けて展示していたのが凄くおかしかった。
作品的には京都国立近代美術館の所蔵品だけ有って、さすがに見応え有るもの多し。中でも、熱帯密林風景を描いた石崎光瑤の屏風「熱国妍春」、昨年「美の巨人たち」で取り上げられていた岡本神草の「拳を打てる三人の舞妓の秀作」、堂本印象の「 訶梨帝母」辺りが印象に残った。
特に「 訶梨帝母」はここで見られると期待してなかっただけに嬉しい驚き。一言で言えば、ラファエロの聖母子を日本画で表現するとこうなる、といった絵なのだけど、並大抵の画力では出来ないよなぁ、そんなことは。足下の兎が堂本印象だけあってなにげに可愛いのもポイント(ちょっとデューラー風だ)。堂本印象については戦後のモダンな絵も1枚展示していて、その余りの変貌振りも改めて見ると面白かった。
しかし、今回の目玉はやはり岡本神草の「拳を…」。未完成の絵をぶった切ってしまう作者の葛藤とか、あるいは未完成だからこそ感じさせる可能性とか、見ていて興味の尽きない絵だった。
というわけで、点数がやや物足りないことを除けば、総じて充実した内容だったけど、照明の蛍光灯がえらくチカチカ点滅しているのは気になった。蛍光灯が古いというより照明器具の問題なのかもしれないが、あんなに無駄に広い建物でありながら、このような照明設備しかない(あるいは維持費用が乏しい?)のは美術館としてはかなり恥ずかしいので、何とかして欲しいもの。そのためにも、入場者が増えて欲しい。
ちなみに、この展覧会の資料を探していたら、平塚市の3月の定例市長会見の話題に上がっていた。同席した館長からの趣旨説明がなかなか興味深いので紹介。
行く前に地図を見ていたら、美術館の前に市立博物館があるようなので、博物館のサイトを見たところ、この特別展が。布袋像の水墨画が気になったので、帰りに寄ってみた。
博物館はGWの子供向け企画で子供達で賑わっていた。3Fのプラネタリウムは有料らしいが、他は無料ということなので、1Fを一周… あれ? 絵画は? よく探すと特別展示室は1Fの奥にひっそりと有った。この特別展、土器に化石はまぁ良いとして、プラネタリウムの過去の原画とか、蝉の抜け殻コレクションとか、何でも有り、過ぎ(^^;; ただの物置き部屋かと思った。
その中に、水墨画も数枚。風外慧薫とのこと。線の緩〜い感じに、室町水墨画と白隠・仙高轤フ禅画を繋ぐ作品との説明を見て、なるほどと納得。後で調べたら、禅画の世界ではそこそこ有名な人らしい(無知)。あと風外というと、有名な人物がもう一人いて、こちらは穴風外(最後、穴を掘らせてそこに身を投じて亡くなった)、もう一人を蛸風外とも呼ぶらしい。へえ。というか、もう一人は何で「蛸」なんだろう…
ところで、関係ないことだけど、この部屋までの廊下に、市内の道祖神の写真等、民俗資料を幾つか展示していて、その中に木彫りのオシラ様(の一種、名前は違ったような)が置いてあった。どう使用されていたかも説明されていて、この辺にもそういう、今で言えばセクハラ祭り?みたいな風習が存在していたのかと、妙なところに感心した。
GW企画その2、の続きとして、平塚市美術館へ。その感想はまた今度。
今日は5/6ということで、日記を更新し始めてから9年目。この機会に(前から検討している)リニューアルとか出来たら良かったのだけど、そこまでの気力は無くて。
せめて表紙くらい何とかしようと思ったものの、新しく引用したい言葉すら思い付かず。そういう意味では、最近、言葉全般に対して、ものすごく貧しい生活を送っているような気が。ここ半年ほど、Comicsやライトノベルを殆ど読んでいないのが一番の原因という気はするけど。短くて記憶に残る言葉というと、やはり台詞なので。
今年は更新ペースはそう変わらないと思うけど、感想とかはもう少し効率的に消化できるようになりたい、というのが目標。2年越しになっている「宿題」も何とかしたいし。まぁ、無理をしない範囲で、それでも少しずつ変えていきたいとは思っています。
GW企画その2。「微妙に遠くて、普段なかなか行く気になれない小さな美術館にも行ってみよう」の日。
…というか、その前に「その1」をまだ書いてなかった。
昨日の、近所の丘陵を久々に歩く、というのがそれ。たまには健康的な生活を目指そうということで、久々に思い切り(多分20kmは)歩いたので割と満足。この季節、涼しい一日、しかも土の 上なら、それ位、普通に歩けるものなのね。
で、今日の「その2」の方だけど、最初に二子魂川…違った、二子玉川の静嘉堂文庫美術館、次に上野毛の五島美術館、最後に高輪台の畠山記念館、という一日。静嘉堂文庫の琳派展は予想以上に充実していた。其一の絵で、春の桜と秋の紅葉に降る雨を描き分けているのが面白かった。春のしとしと降る雨は縦線、秋の寒い雨は斜めの線。線の向きだけで、なるほど違って見える。覚えておくと良いかも。
というわけで、私にしては珍しくアウトドア指向?の2日間を送ったので、残りの連休は基本的にはインドアで過ごすつもり。部屋の整理とか、本棚の整理とか、チラシの整理とか、とにかく整理 。