空の蒼さを 見つめていると
明日から、暫く旅行に出掛けます。帰宅予定は11月10日なので、13日間の日程。旅行する度に、段々長くなっていますが、長い休みを取るのも、(少なくとも働いている間は)多分、これが最後だと思いますので、ご容赦の程(忙しい皆様に)。
その代わりに、というわけでもないですが、その間、もしよろしければ、大昔のスペインの旅行記でも読んでいて頂ければ、と思います。
実はここ1ヶ月ほど、毎日、秘かに更新を続けていたものですが、「秘か」過ぎて、ほとんど誰一人気付かないまま(笑)、完結してしまったので(^^;; ここで改めて宣伝しておこうかと。中身の「質」はともかく、私が不在の間に読む位の、というかそれ以上の「量」は充分にあ ります。
そんな長いのは読む気も起きない、という方は、当時の写真でもどうぞ(一覧:その1とその2)。
買い物のついでに「トリガーマン!」を買ってこようと思ったのだが、入手出来ず。というか、ソノラマ文庫のスペース自体、普通の本屋ではもう絶滅寸前… 有隣堂の文庫売り場にすら無いとは思わなかった。
毎年この時期、「ハローウィンって何日だっけ?」と思う割には、正しい知識が全然定着しない私。え〜と。10月31日ですね? 昔の年末だから、(今は10月の祭りだけど)月末、と覚えれば良いのか。
そういえば、昔読んだクロード・レヴィ=ストロースの「クリスマスの秘密」という本に、ハローウィンとクリスマスのルーツは実は同じ、といった話が書いてあったような。一言で言えば、「死と再生の祭り」で、日常的な世界が一旦死んだ(=その年が終わった)後、死の王が世界を支配する期間を経て、また新年が巡ってくるという世界観。だから、この時期は非日常というか、世俗の法に支配されない無礼講の世界で、今では「Trick or Treat」と子供の悪戯騒ぎでしかないけど、中世では、若者衆が乱暴狼藉の限りを働くことがあったとか何とか。
で、そういう死の世界を統べる王が、近年、聖ニコラスに結び付けられ、サンタクロースと化していく(イメージも反転する)。要するに、この期間の最初が「ハローウィン」に(英国では「ガイ・フォークス」の祭りに)、最後がクリスマスに、分化したという 話だったかと。よく覚えていないけど(^^;;
ということは、ティム・バートンの「ナイトメア〜・ビフォア・クリスマス」って、非常に「正しい」物語なのかも。
それにしても、ハローウィンだけは、その習慣が日本に定着しないのは、何故? 月末なので、盛り上がらないのか。それとも、その日はこれを食べる、という必須foodに欠けるのが、いけないのか。日本人にとっての祭り=何かを食べる日、という気がするし。いっそのことカボチャを食べてしまえば… それじゃあ、冬至か。
今日は、(こういうのに参加するのはもう最後かも、という意味でも)行っておきたかった某ライブがあったのだけど、風邪気味&肌寒い気候だったので、やむを得ず自粛。旅行の前に、間違いなく風邪を悪化させるようなことはさすがに出来ないので。ちなみに、大人しく部屋で過ごしていたお陰で、風邪の方はほぼ治った様子(希望的観測を含む)。
「ヨーロッパカルチャーシリーズガイド トルコ イスタンブルは今日も賑やか」 トラベルジャーナル
「アジア楽園マニュアル 好きになっちゃったイスタンブール」 双葉社
本の大きさといい、その国の様子を生活やサブカルチャー主体にコラム自体で紹介する形式といい、似たり寄ったりの2冊。というか、2冊とも読む必要は普通、無い(^^;; あえて言えば、「ガイド」の方が、色々な分野に平均的に目配りされていて、「ガイド」として真っ当な感じ。「マニュアル」の方は、何故かハマム(蒸し風呂)での三助や、街頭のジュース売りを体験してみたりと、妙な記事が多い。…お笑い系?
「イスタンブールのへそのゴマ」 フジイ・セツコ 旅行人
Comics専門の本屋で見掛けて購入したのだけど、「トルコで私も…」のようなComicsではなかった。イラストのページ+文章のページ、という内容。イラストといっても、絵の横に手書きの文章が細かく書かれた絵日記みたいなもの。
著者の体験(イスタンブールでの数年の滞在生活)が良くも悪くも「そのまま」描かれている、という印象に加え、イラストの細かさも有って、さほど読み易くはない。だから、純然たる読み物としては、正直言って、どうかと思うのだが、もし同様にトルコに住むことを考えている人が読めば、色々役に立つディテールではあるのかも。
ディテールの中で、一番興味深かったのは、毛の話。トルコでは(というか、多分イスラム教の国では)、全身の毛は手入れする(剃るor抜く)のが、当然らしい。というわけで、著者が、エステでの脱毛(いわゆるヘアーと呼ばれる部分の)を体験した(アーダという脱毛剤を塗ってから薄い布を貼って一気に剥がす(笑))話も。所変われば、ということでしょうか。
Production I..Gに関するムック「奇跡Production I.G 1988-2002」。収録されている対談はどれも面白いことは面白いのだけど、定価3600円はやはり高過ぎだと思う。
今回の添乗員から、最終確認の電話があった。添乗員が男性だったのは、初めて。
で、言われるまで全然気付かなかったのだけど、今回の旅程は、途中からラマザン(断食月)らしい。勿論、観光客が食べるようなレストラン等では通常通り営業している筈だけど、街中の屋台みたいなところだと、余り営業していないかも。…鯖サンド屋とか焼き栗屋とか、どうなんでしょ。
確か先月に出た京極夏彦のハードカバーの新刊、割とどこの本屋でも平積みしているのに、私が普段読んでいるサイトで、その感想を読んだ記憶が未だに全くないのは何故だろう… 多分、「嗤う伊右衛門」と同系列の作品なんだろうけど、非常に綺麗な作品だった前作と少なくとも同程度の出来なら、読むに値すると思うのだが。
こうして見ると、私の読んでいるサイトは、思ったより片寄っているような。というか、私の「視角」と結構ズレがあるというか。この機会に、自分に「近い」ところを改めて探してみるのも良いかも。…まぁ、さっさと自分で読んでみれば良いのだけど。
「黄金のビザンティン帝国」 ミシェル・カプラン 創元社 知の再発見双書
ビザンティン帝国について、簡単に復習。と、昨日と同じ書き方で済ませようかと思ったが、実際のところ、ビザンティン帝国については、ほとんど知らなかったので、こちらは割と新鮮だった。都市住民の暮らしに加え、当時の農業の状況まで、広く社会を押さえた概説書だったことも理由の一つ。
ビザンティン人が、黄昏の世界で、自らの国だけが(キリスト教の)正統性を備えた最後の帝国である、と信じ続ける姿は、確かにどこか気高くさえ思える。異教徒ならぬ「十字軍」によって侵略されたりする歴史を後世から見れば、悲劇という以上に、茶番としか見えないとしても。実際の彼らは付き合いにくかったであろうし、滅びたことに対して、同情を引かない国だとは思うが、敬意を払われるべき文明ではあったという気が。
わっ、河出書房新社の新刊予定を見ると、「アセチレン・ランプの夜」なんてタイトルが。冗談だったのに… あと何人分続けるつもりなんだろう。
「オスマン帝国の栄光」 テレーズ・ビタール 創元社 知の再発見双書
オスマントルコについて、簡単に復習。この辺の歴史はすっかり忘れていたと思ったが、読んでいて「知の再発見」というほどの新たな驚きは無かった。まぁ、大まかな流れとしては、帝国というのは膨らんだ後は縮むだけだから。巻末の歴代スルタン一覧を見て、受験で世界史を勉強していた頃は、こういう三世、四世、五世といった皇帝や王様は誰が誰やら覚えきれず、迷惑この上ない、と思っていたことなどを思い出した。
昔話はともかく、この双書の一冊としては可もなく不可もなく、という感じ。スレイマン大帝萌え?な美術史家の女性が書いた本らしく、スレイマンに対してだけ、とにかく賛美しているのが、ちょっと笑えたけど。
しまった。思ったより、その先の作業が残っていた。手が空くのは明後日くらいになりそう。結局、読めないで終わる本が、今回は多そう…
「雨天炎天」 村上春樹 新潮文庫
私が今さら紹介するまでも無いとは思うが、ギリシア聖教の聖地アトスを訪ねたギリシア編と、トルコの外縁に沿った道を四駆で一周したトルコ編からなる、村上春樹の旅行記。
当たり前だけど、さすがに読み易い。お金を払って読む旅行記なら、これくらいでないと。内容的には、村上春樹的に言えば、「悪くない」とは思う。
ただ、著者がこうした旅をしたこと自体は理解出来なくもないのだけど、それを何故、人に読ませようとしたのかはよく分からない。旅の途中、色々と大変なこと、というか不機嫌になることが多かったのは分かるが、要するに、これって愚痴? いや、「旅の愚痴」に関しては私も決して人のことは言えないのだが(^^;; でもこれは、売り物としての本なのだから、それが目的、というのは、ちょっとどうかと。最後も、この街で終わり?と不思議に思う終わり方で、言いたいことはとりあえず言ったからもう書くのは止めた、といわんばかり。
(著者にとって)貴重な体験は体験として、自分の胸にしまっておけば良いようなことじゃないのかと、思った。
東のヴァンという街で、街中の絨毯屋という絨毯屋が、地元の変わった猫である(泳ぐのが好きな猫らしい!)ヴァン猫を客寄せに使っている話とかは面白いのだけど。
ようやく。元の作業が終わりました。300+1枚。何かを成し遂げたような気分(←気のせい)。あとは編集だけ?なので、今後は、無事にトルコ月間としての更新が可能になる見込み。…といっても、あと一週間しかないけど。ちなみに、今月に関しては(D.W.ジョーンズ含め)小説を読むのは、諦めました。
「イスタンブール、時はゆるやかに」 澁澤幸子 新潮文庫
トルコに惚れ込んだ女性バックパッカーの一人旅の様子を綴った旅行記とでもいうべきもの。
かつて女性の一人旅が珍しく、また海外の生の情報が少ない中、旅行記が貴重だった時代の産物(もっとも旅自体は20年前だが、単行本は僅か10年前)。しかし、その後、海外の情報はインフレ的に増大し、ネットを探せば、幾らでも普通の人の旅行記が読める時代 。この手の本の価値は、大暴落したと言って過言ではない。今や、せいぜい、当時の価値の2,3割位?
そういう状況下、あえて読んでみたのだが。各都市の歴史を説明する辺りは、(どこかの孫引きで)読む方が恥ずかしいし、旅行記自体は役に立つかというと、…これがまた何というか。トルコ人の並々ならぬホスピタリティーに恵まれて次から次へと貴重な体験をする、という展開で、実際そうだったのだろうとは思うが、「トルコに行けば、日本女性は、お姫様みたいなもてなしを受ける」と要約するしかない文章は 読者に、功罪でいえば後者の方をより多く引き起こしたのではないかと、やや心配になる。
襲われそうになった挿話や、危険に釘を刺す箇所もあるが、全体は、おとぎ話というか、フェアリーテールのような調子。「Sachiko’s Adventures in Wonderland」? 首をちょん切ってしまえ!と言われるのではなくて、Queenのようなもてなしを受けるという意味での「アリス」。
ちなみに、著者は澁澤龍彦の妹さんらしい。澁澤龍彦といえば、どの都市でも本屋しか探さなかったという位、現実の世界に関心が無かったというのを読んだことがあるが、その点、兄妹で性格が違ったのだろうか。それだけが面白かったといえば、少し面白かったが、本自体は、別に読まなくても良かった。
え〜と。今週末も先週末と同様、作業に没頭しているので、日記まで手が回りません(^^;;
河出文庫の「華麗なるロック・ホーム」という、ロックだけを取り上げた手塚治虫作品のアンソロジー。「ロック冒険記」幻の最終回を収録、などと書いてあるものだから、つい買ってしまいました。まぁ、予想通り、(描き直す前の)雑誌掲載時の最終回で、大体、そんなもんだろうという内容でしたが。これが逆だったら、それは必見だろうけど。
何せ、私が小学生の時、最初に読んだ手塚治虫の単行本が、誰かから貰った「ロック冒険記」(カップリングが「大洪水時代」)だったので、あのラストシーンに、原体験とでもいうべき強烈な印象を受けたのは言うまでもない。その結果、手塚キャラといえば、何よりもロック、という思いこみを持つように至るわけで。本来、そういう世代ではないのだけど。
ところで、私がRPGをやる時で特にアイデアの無い場合、キャラクターの名前に手塚スターを拝借することが多いのだが、主役級でひねくれた感じのキャラだと、文句なくロックという決まり?がある。中でも、某ゲームのキャラに最初からロックという名前が付いていた時は、まさにハマリ役ではないかと思った。実際、ひねくれていたし。
ちなみに、このキャラクター別アンソロジー、ロック編は、ヒゲオヤジに続く2冊目らしいが、どこまで出るものやら。アセチレン・ランプ編とかハム・エッグ編とか有っても、誰も買わない気がするしなぁ。
「焼きたて!!ジャぱん」4巻。何か、バカ漫画ぶりがどんどんエスカレートしているんですが… まぁ、面白いから良いか。
「トルコのものさし 日本のものさし」 内藤正則 ちくまプリマーブックス
著者のトルコ滞在体験を通して、異国そして異文化を理解するとはどういうことかを(中高生向きに)平易に語った本。
これは、とても良い本だと思う。外からの理念やイデオロギーで抽象的に異文化を断罪するのではなく、また逆に、無批判に称揚するのでもなく、自分の目線で捉えた具体的な体験を元に、表面的な善悪ではなくて、何故そうなっているかという理由にまで踏み込んで理解しようとする姿勢の大切さを教えてくれる。真の意味で「教育的な」本。
貧富の格差や、民族問題等、深刻な問題を幾つも取り上げつつも、トルコ人の友人達とのエピソードの紹介は軽妙で(特に、著者がトルコで運転免許を取ろうとする辺りの話が面白い)、読後感は決して悪くない。異文化そして異国の人との関係を,、著者のように築けるのなら、こういった問題も、もう少し解決の方向に向かう気もするのだが。
誰もが取り上げそうな話題の、文化庁による日本の小説の翻訳事業。誰が選ぼうと、完全に納得出来るラインナップになるわけはないので、選ばれた作品の是非は置くとして(とはいえ、何故?というのは多いような)、この中で、翻訳を読んでみたいのは、やはり「ドグラ・マグラ」かと。あの文体がどうなるのか、ちょっと興味があります。
ただ、あの作品の場合、翻訳というフィルターを通すと、理知的な内容に綺麗に再構成されてしまって、土俗的な面白さが半減する恐れも感じるのだけど。ちょうど映画版の「ドグラ・マグラ」がそんな感じだったので。ところで、あの「…ブーンンンン…」は、そのまま「…Boon…」とかになるんでしょうか? 何だか、アメコメみたい。
「イスラームとは何か」 小杉泰 講談社現代新書
あー、なるほど。イスラーム(イスラム教)の基本的な成り立ちを初めて知りました。スンナ派とシーア派の本質的な違いは何かとか。もっとも、だからといって、イスラームがこれで理解出来た、というわけではないのだけど。最低限のことを聞いたので、これでようやく、分からないということが分かった、という感じかも。
「イエスタデイをうたって」再開、というわけで、今回は「BJ」を忘れずに購入。しばらく、この作品に注力して欲しい気がするのだけど、例によって「集中連載」か…
「トルコのもう一つの顔」 小島剛一 中公新書
トルコでは、大多数の少数民族の言語は、その読み書きが禁じられている。というより、トルコ政府は建国以来、『トルコ国民は全てトルコ人であり、トルコ語以外の言語は国内に存在しない』との公式見解を変えておらず、従って、「存在しない言語」で読み書きする者などいる筈がない、という立場を堅持しているという。
実際には多くの少数民族とその言語が存在するのだが、彼らに対する、政府による差別と抑圧の実態、それこそが本書で描かれる「トルコのもう一つの顔」である。
だから著者が十数年行ってきた、トルコの少数民族言語の研究は、いつトルコ政府からどんな目に遭うか分からない、大変危険な研究でもあったわけで、後半部分、実際に政府からの環視を受ける辺りの記述は、読んでいて非常にスリリング(実際に連行され、拘置されたりもする)。
トルコにおける少数民族の存在は、難しい問題だと思うが、観光客は知らなくて構わない、では済まされないような。ただ、覚悟無く、うかつに口を挟めるような問題でもないわけで…
結局、「仕掛かったこと」で、作業が終了したのは半分まで。……先は長い。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズの創元推理文庫での新刊は、videoを返しに行くついでに、今日、購入。ダークホルム二部作、ということは、もう一冊読めるわけで、それだけで単純に嬉しいfan心理。問題は、現在、小説を読む暇がない ということ。しかし、D.W.ジョーンズの新刊が手元にあるのに読まないでいられるわけはない、と思う。
「イスタンブールを愛した人々」 松谷浩尚 中公新書
なぜか、中公新書が続くトルコ月間。著者は、元イスタンブール領事。トルコにかつて滞在した12人のエピソード(その内、日本人は5人)を通して描く、トルコ近代史。なるほど、歴史のあるところは、面白いエピソードに事欠かないものだというか。色々と興味深い話が載っている。
個人的に盲点だったと思ったのは、橋本欣五郎の章。トルコが日露戦争での日本の勝利に狂喜し、ケマル・パシャ(アタチュルク)の近代化政策でも日本の近代化の成功が強く意識されていたというのは(日本でのトルコ紹介書で必ず取り上げられていることなので)知ってはいたが、戦前の陸軍が目指した「昭和ファシズム」、要するに、強権的な国家革新運動、もっと言ってしまえば、あれやこれやのクーデター(未遂)が、ケマル・パシャによるトルコの強権的な近代化を模範としていた、というのは知らなかった。アジアの東と西で、奇妙に影響関係が往復していたわけだ。
もっとも、幸い(というべきかは不明だが)日本のケマル・パシャは現れず、ずるずると戦争に突入していく以外のことは起きなかったのだが…
ふと思い付いて、金時山に登って、ぐったりとしたり(どちらかというと、帰路、「湯本に辿り着く」のに疲れる。温泉に寄って、帰るのが1時間遅くなったのが敗因)、帰ってきたら、YAHOO!BBが勝手にモデムを送り付けて来ていてむかついたり、明日返却のVideoを慌てて見たりと、まぁ、そんな一日。「仕掛かったこと」も、だから全然進んでいないという…
とりあえず、今日の話題というか明日の話題として。月曜深夜(だから日付的には火曜)のBSは、クリス・マルケル特集。テリー・ギリアム「12モンキーズ」や押井守「紅い眼鏡」の元ネタとして名高い?あの「ラ・ジュテ」も放映するので、それらを見ていて、未見の方は是非。少なくともギリアムのリメイク版より、ずっと印象深い佳作だと思います。一言で言えば、今から見ると「懐かしい未来」系の、センチメンタルな要素が強い、「主演女優の魅力が全て」みたいな、作品かと。…全然、一言じゃないじゃん。
現実の風景にナレーションを付けて、SF的設定を通してしまう演出は、ゴダールの「アルファビル」と似ている。「ラ・ジュテ」の「風景」はスチール写真というのが、違うけど。
やりたいことは色々有るのですが、仕掛かったことを決着させないと落ち着かないので、この連休もそれだけで終わりそう。あと、天気が良いので、昼間は歩いています。
「遠くて近い国トルコ」 大島直政 中公新書
これって、私が生まれるより前に書かれた本なんだけど。今でも版を重ねているのは、新書としては凄いことのような。実際、トルコの紹介書としてはまだ充分に通用する。逆に言えば、今から見るとオーソドックス過ぎて、この本で無ければいけない、という独自性はさほど感じられないのだけど。
興味深いのは、当時は、大学出たての若者が、こういう新書を書くチャンスがあり、そのニーズもあったということ。良くも悪くも、現地に出た者勝ち、みたいな時代だったのかも。ただ、あえて著者の略歴に日比谷・慶応と振ってあるところで、在りし日の日比谷高校出身者の代表という気はする。言ってみれば、庄司薫と同種のメンタリティー 。
当時は、この本も、もっと熱心に読まれたのだろうな、とやや懐古的な気分に浸る。(昔も今も「遠くて近い」)トルコ以上に、昭和は遠くなりにけり、と思った。
「灰羽連盟」第一話を見ました。これで最後まで行くなら、文句のない出来。少なくとも、最後まで見ます。
先月の、彼女のコンサートの応募だが、何と当選したらしい。やはり、勝利の鍵は若さ、だったのだろうか。…当の本人は若くないけど。
「コンスタンティノープルの陥落」 塩野七生 新潮文庫
これも、基本中の基本らしいので。実は、塩野七生というのは、今まで何となく敬遠していた作家の一人なのだけど、読んでみてその理由が少し分かった。歴史上の出来事をまるで見てきたかのように作者が語る、いわゆる「歴史小説」というのが、私はどうも苦手なのだ。特に、登場人物の心境を語ってみせる辺り 。
だから、この話でも、ビザンチン帝国とオスマントルコの、コンスタンティノープルの攻防戦に関わる辺りは、それほど夢中になれず。戦い終わってからのエピローグ部分、「その後、どこそこで静かな余生を送った」という辺りは、結構、好きなんだけど、それは考えてみたら、そういう心理描写がなくなって客観的に史実を語っているだけだから。つまり、小説として歴史を読む趣味は、私には無いようなのだ。
ところで、この攻防戦といえば、鎖で封鎖された金角湾にトルコが艦隊を送るため、船を山越えさせたというエピソードが有名なので、私は、他の歴史的な山越え作戦と同様、奇襲が効を奏して勝敗を決したような印象を勝手に持っていたのだけど、実際は、要するに、トルコ側が物量的に圧倒した、というだけのことらしい。 いわゆる、勝負は火力、という奴ですね。
JR東海の、「そうだ 京都、行こう。」キャンペーン。今秋の紅葉は… 真如堂かよ!(三村ツッコミで) いよいよネタが無くなってきた ?
「トルコで私も考えた」1、3巻 高橋由佳里 集英社
今回、トルコに関する本をリサーチしたところ、一番人気があったのが、どうやらこのComics。安直なタイトルだと思って(言うまでもなく、堀田善衛「インドで考えたこと」→椎名誠「インドでわしも考えた」→本書「トルコで私も考えた」)、実は今まで読んだことが無かったのだが、なるほど、なるほど。面白いですね、これは。
旅行者としてトルコへ行き、ついにはトルコ人と結婚した著者の日常エッセーみたいな内容だが、この手のComicsにありがちな、面白く語ってやろうという過剰な演出がなく、割と天然にとぼけている感じなので、読んでいて嫌みがないのが良いところ。困るのは、トルコ料理(特に、トルコ菓子)の話が多くて、しかも美味しそうなので、欲求不満が 募るところ?
ちなみに、何故↑2巻だけ読んでいないかというと、それは単純に、本屋に見当たらないから(^^;; こういう本って、最新刊しか置いてない本屋が多いので。まぁ、急いで読まなくても良いかとは思っているのだけど…
そして、今日はチェコ編。東欧旅行については、これでお終いと。このところ、自分でも混乱しつつあったので、(少なくとも)一つ片付いて、やれやれ。
ところで、先ほどニュースを見ていたら、今回、ノーベル賞を貰った人は、どうやら、私が通った高校の、大昔の卒業生らしい。
うちの学校は、旧制中学から続く長い歴史を持ちながら、偉人とか有名人とかいった人物をほとんど輩出していないことこそ、最大の誇りだったのに、首相に続いて、ノーベル賞受賞者まで出すとは、何とも堕落したものだ、と思った。
昨日の続きで、オーストリア篇。…何だか、フンデルトバッサーハウス特集号みたいな感じになっちゃったけど。
ところで、この中にも出てくる美術史美術館だが、藝大の美術館で今、収蔵品の展覧会をやっている。どれも一流の作品ではあるにしろ、当館コレクションの神髄からはやや外れた(去年の私だと、「歩き方を緩めるものの、立ち止まりはしない」位の)作品が中心なので、行かなくても良いかと思ったのだが、ベラスケスのマルガリータは来ているらしい。
となれば、行かないわけにもいかないか… この絵は昔、東武美術館でハプスブルクなんたら展をやった時に日本でも見たし、去年は、一人きり(警備員の人を除けば)でじっくり眺めた絵ではあるのだけど。それでも、日本に来ているのに、行かないなんて彼女に失礼だ、という気もするので。
それにしても、こうやって、各国の美術館にしょっちゅう貸し出される「王女の絵姿」って、何だか、金儲けに目がくらんだ養父によって、色々な所に「奉公」に行かされる可哀想な娘みたい、とか思ったりしません? (いや、美術史美術館がそうだと言うわけではないですけど)。
この週末といえば、ひたすらフィルムをスキャナーで取り込んでいた私。アイルランドの写真をフォトCDにして以来、デジタル化の欲望が沸いてきて、ついには、フィルムスキャナーを買ってしまったのだ。機種は、色の再現性を優先して、ニコンのCOOLSCAN WED。
で、東欧の旅行時の写真から始めたのだが… 思ったより、時間が掛かる(^^;; 6枚で十数分。36枚撮り1本で、1時間20分位。手間としてはフィルムを差し込んでクリックするだけなのだが 、6枚毎にシートを取り替えないといけないわけで。あの旅行だとフィルム10本だから、全部で十数時間。…疲れました。
今回は最高の画質(30MB/枚)で取り込み、後で圧縮したのだけど、考えなしに放り込んでいったら、あっという間に無くなるHDD。そりゃ、1本で1GBだし。この 画質だと流石にもの凄く美麗なのだが、使い道がないので、今後は、最初から小サイズ&圧縮した状態で取り込もうかと。でも、一番時間を食うのはスキャンそれ自体なの だけど。
ともあれ、東欧旅行分は完了したので、かくなる上は、と押入から昔のネガを出してくる。見ると、当時、袋に通し番号を振っていたらしい。えーと、最後の番号は… え?32 番? あの時ってそんなに撮った? ということは、全部取り込むには最低でも35時間位は必要と言うことで。………。
必要な分だけ、個別に取り込むしか無いか。ましてや、4800枚(推定)を取り込むのは余りにも大変過ぎ。過去の遺産のデジタル化総移行計画はあっけなく崩壊の予感。
というわけで、今日は、ハンガリー篇だけ。
ロセッティの熱烈なファンの方がもし読んでいたら、ごめんなさい(と予め謝っておきます)。
一言で言えば、「夢見がちな絵画」のコレクション。特に、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティとバーン=ジョーンズ。そんなわけで、両者が好きな人には垂涎の作品群だろうし、嫌いな人には蕁麻疹が出そうな内容かと。いや、私はそれほど嫌いではないのだけど。でも、ロセッティはやっぱり、恥ずかしいよな。うひゃあ。という感じで、まともに見ていられない。
というのも、バーン=ジョーンズは、作品毎に色々工夫をしているので、見る楽しみがまだ、あるのだけど、ロセッティって、芸が無さ過ぎ。アップの顔しか描けない (薔薇柄トーンの背景を多用する)一昔前の少女漫画家みたいだ。おまけに、キャラの描き分けも出来ない、と来るのだから、どうにも困ってしまう。
だから、私にとっては、今回はギュスターヴ・モローの展覧会。8点もまとめて見られるのは滅多にないし、うち2点は大作だったので驚く。でも、モローの場合、小品の水彩の方が、(世界が凝縮されていて)良い作品だったりするのだけど。そういう意味では、今回も小品の「アフロディテ」が一番魅力的かも。
ところで、今回、天使を描いている絵があるのだけど、その天使の羽を白じゃなくて、オレンジと紫で塗り分けているセンスは凄いと思った。さすが、モロー。
あとは、ビアズリーの「サロメ」とか、オリエンタリズムに染まった頃のフランス絵画(アングル、シャセリオー等)とか。全体の平均点は高いし、総花的な展覧会よりはずっと面白いとは思うけど、決定的な作品に欠けるのと、(値段の割には)点数が少ないような。でも、今の時期なら、かなり空いているので、この状態なら、見に行っても悪くないのでは?
個人的には、ピュヴィ・ド・シャヴァンヌが1点、ホイッスラーが3点有ったので、かなり得した気分になれた。
わかつきめぐみ「黄昏時鼎談」文庫版。
元の単行本が今見当たらないので、正確に比較出来ないのだけど、他にも色々と加わっているような。「トライアングル・プレイス」とか入っているし。それに何より、「日々是好日」「小春日和」という、単行本未収録の短編も収録されているので、「わ」な人にとっては、購入必須 かと。もっとも、個人的には、表題作のように雰囲気先行型の話は、やや苦手だったりするのだが。
私は必ずしも、澁澤龍彦の熱心な読者でもファンでもなく、衒学的なエッセーもそれほど面白いとは思わないのだけど、晩年の小説だけは、割と好きで、特に「高丘親王航海記」を読んだ時は、昇天する前のような透明感に、非常に感銘を受けた。この「うつろ舟」だと、そこまでの透明感はまだ無いのだけど、その代わり、とぼけた感じが面白い。
鎌倉を舞台にした短編が多いので、地元民としては、ご当地小説としての楽しみ方も。この中で、一番綺麗にまとまっているのは、「ダイダロス」かな。
最近、なぜだか、突如、谷山浩子月間(また月間か…)となっている私。
元々、私には、80年代の一時期(「水の中のライオン」から「透明なサーカス」の辺り)は熱心に聴いていた、相当に暗い過去が実はあるのだけど、その後は惰性でCDを購入するだけ で、5年前(「Memories」)を最後に、新譜を購入することもなくなっていた。
しかし、この前、たまたま、「Memories」を聴いてみたら、懐かしくなって、年代毎のベスト版「70'」「80'」「90'」を含め、未購入だった分を見付け次第、購入中。デビュー以来、25年 も経っているのに、本質的に何も変わっていない気がするのは、凄いんだかどうなんだか、よく分からないが、駅からの帰りに、夜歩きながら聴くには、結構、合っている気が。
と、今も感じるということは、要するに、私の方も本質的に何も変わっていない、ということで(^^;;
今回聴いた中では、大昔の曲だけど、「テングサの歌」がニューウェーブなSFみたいで、割と好み。何の変哲もない地方駅の様子を、海草のテングサがのどかに語る曲と見せて、実は 、「そりゃあ あたしにとってはどうでもいいことだけど 人間のいない地球ってきもちのいいものね」という景色であるという。
ところで、谷山浩子を聴いていると、「人は人を殺せる」と言った物騒な歌詞が耳に残り、しかも、ふと口ずさみそうになってしまったりするのが、ちょっと困るところかも。
ナイトウォッチ・シリーズの3作目。今までの延長線上としての期待には応えているし、無駄なことは省く、という意味で、今まで以上に最適化された文章だという気はするのだけど、そして実際、一気に読めてはしまうのだけど、シリーズ上に何かが新しく付け加わった気は全然しない。もし仮に、4作目が出たとしても、次は読まないような。
今年はもう一度、旅行に出掛ける計画を立てているという話を一月前に書いたけど、あれからどうなったかというと。結局、エジプトは止めて、トルコに行くことに。今月末から13日間ほどの予定。予約自体は、結構、前に入れていたのだけど、残り一ヶ月を切って、催行も確定したので、あとはもう 、万難を排して行くのみ。
コースを選んだ決め手は、日程の最後に、イスタンブールで一日半のフリータイムがあったこと。やはり、ああいう街は、少しは一人でうろうろしないと面白くない気がするので。ちなみに、過去2回とはまた別の旅行会社。
というわけで。これからの一ヶ月弱は、トルコ月間ということに。……またかい。
まぁ、今回は物見遊山な旅行なので、さほど読むつもりもないですが。アイルランドの時と似たようなことをするなら、トルコの場合、ヒッタイト以降の世界史全部を押さえないといけないわけで、そんなのは、とても無理。結局、「トルコで私も考えた」を読むくらいで終わってしまう 気が。