空の蒼さを 見つめていると


2008年5月

5/31

 雨。うとうとしている内に一日が終わる。

 

5/30

 「柿右衛門と鍋島 ―肥前磁器の精華―」@出光美術館。

 会期終了間近だからか、金曜の夜に行ったのに、それなりの混み具合。それとも、巷ではやきものの人気が上がったりしているとか?

 鍋島は目に触れるだけで、審美眼というかセンスが磨かれる(気がする)気持ち良さが有るので、時々でもこうして見る機会が有ると嬉しい。デザインとはこれだけ洗練させることが出来るのか、と毎回感動します。

 そういうピリッとした緊張感を好む者としては、柿右衛門の大きな壺などは逆に、今まで余り惹かれなかったのだけど、今回(多分)名品をまとめて見て、そのプロポーションが持つ存在感の魅力は何となく分かった気がした。何というか、両手でガバッと抱き付きたいような感じ?(笑)

 

5/29

 NHK(BS-hi)で少し前にやっていた人形アニメ の特集を今週、少しずつ見ていた。

 人形アニメの祖というべき人物が、リトアニア出身のラディスラフ・スタレヴィッチという映画監督だったとか、初めて知りましたよ。

 最後に見たのが、川本喜八郎「死者の書」。なかなか独特の味わい。キャスト(声)もやけに豪華だったが、やっぱり、岸田今日子のナレーションが群を抜いての存在感。あの声だけで恐い話に聞こえてしまう(^^;; あと、エンディングクレジットを見ていたら「友情アニメーション:ユーリー・ノルンシュテイン」という文字が出て来て、吹いた。「友情アニメーション」て。しかも、それがノルンシュティンとは。

 

5/24

 雨が降り出す間近で湿気が高い… しかし、今週は健康診断でショックだったこともあり(^^;; それでも近所の丘陵を横断。湿気のせいか、足取りが重い…

 

5/23

 ウィーン・フォルクスオーパー「こうもり」@東京文化会館。18時半の開演に何とか間に合ってほっとする。

 序曲が始まって、ああ、これか!と初めて気付く私。ワルツの軽快なリズム感はやっぱりウィーンの楽団ならでは(とか適当なことを言ってみる)。

 テノールの人が往年の名歌手なのは良いんだけど、往年の、過ぎて浮気相手の人にはどう見ても見えない、とか言ったことは有るけど、作品の見せ方を十二分に知っている劇団ならではの公演で、普通に楽しかった。こんな公演を13千円程度で観られるのなら(5階席の左側だったけど、1列目で思ったよりはよく見えたこともあって)、それは贅沢な体験だったと言えるかと。

 もっとも、こういう贅沢さを本当に楽しむのなら、もっと良い席で、ドレスアップして観るような立場でないと駄目、なんでしょうけど…

 とはいえ、そんなお金持ち??による観客の方は何かしら歌が終わる度に、場面の流れと関係なく、手を叩こうと手ぐすね引いている輩がいつも以上に多く、幕の終わりでは曲がまだまだ続いている段階で、毎回拍手の渦が始まる始末。まぁ、所詮、オペレッタなんだから、堅苦しいことを言うのは野暮なのかもしれないが、あの一瞬の間が待てない観客層には苛々させられる。お金と暇が有ったら、そんな最低な観客が多い日本ではもう二度と見ない、と言いたいところ。(もっとも、観客のマナーは外国でも決して良いとは限らない、ということを昨年、チューリッヒ歌劇場で「セビリアの理髪師」を観た時に知ったけど)

 そんなわけで、贅沢な気分と最低な気分が幾つか混じった状態で会場を後に。

 

5/22

 というわけで、朝を抜いて、健康診断。今年はフルコースということで、心電図とかエコーとか色々。その辺は結果が来るまではよく分からないのだが。

 問題は血圧。用心して昨晩はやや多く睡眠を取ったというのに、昨年よりも上がっていて。特に下が、久々に80台だったのがショック。…昨年以前の水準までウエイトを落とそう、と真面目に思った。

 しかし、健康相談のコーナーでは、皆が余りにも、どうでも良い?持病自慢をして話を長引かせているからか、私に対しては明らかに、さっさと流そうという対象扱い。こちらから話を振っても、年々そうなるものですよ的な切り上げ方。アドバイス?として聞けたのは、日中も水をちゃんと飲んだ方が良い、というのと、酢の物は体に良いですよ、の2点だけ。いや、TV番組で紹介する民間療法じゃないんだから…

 

5/21

 「今、甦るローマ開催・日本美術展」@日本橋三越新館。

 いつもよりは充実しているとはいえ、三越で普段やっているのとあんまり変わらないような。ただ、川合玉堂の「奔流」(だっけ?)なども昔、大倉集古館で観た時にはもっと感銘を受けたので、観る環境が大きいのかも。この中ではやはり、前田青邨の「洞窟の頼朝」が凄かった。山口晃が本歌取りしたのも分かる、妙な迫力と装飾性の高さ。あと、登場人物達の、内面が見えない(パペットのような)ぬぼーっとした表情が何だか恐い。

 明日は健康診断なので、21時以降の飲食は禁止。ということで、夕食を食べてから帰宅。とはいえ、新日本橋駅の方に出てしまうと、この辺って本当に食べる店が無いんですよね…

 

5/18

 先週の寒さと打って変わって、何だか暑いですね。今週は健康診断が週末に予定されているということで、健康的な一週間を過ごすのが目標(^^;;

 いや、今さら体重がどうとか、アニメの学園モノにありがちのドタバタを繰り広げるつもりは無いんですけど、血圧だけは割と、睡眠不足とダイレクトに連動するので、今週は早寝励行の方針で。

 

5/17

 とりあえず、危機は脱したらしい。>PCの調子。

 

 「中西夏之新作展 絵画の鎖・光の森」@渋谷区立松濤美術館。

 初夏の花々が咲いた野原のような輝き。この時期の花って白とか紫とかが多いので。

 ところで、絵の(有る意味)分かり易さに比べて、文章の分かり難さには驚く。いや、まぁ、言ってる(であろう)こと自体は分かるんだけど、なぜもっと普通に言えない? という。…だから、絵を描いている?

 

 「鳥のビオソフィア――山階コレクションへの誘い」展@東京大学総合研究博物館。

 そういえば、私は東大(の敷地)に入るのって、生まれて初めてだった。中高生の頃の関心や、巡り合わせが若干異なっていたら、ここに通った可能性も結構、有ったかと思うと、辿らなかったマルチシナリオの別ルートの舞台を見るような気分に。もっとも、その後の人生までは、さすがに想像出来ないけど。というか、大学という処はどこも、建物とか風景があんまり変わらないですね。

 展覧会は、評判になっていただけあって、かなり面白かった。しかも、無料。鶏にこんな沢山の種類が有るとは(鶏冠まで全身真っ黒の品種とか!)知りませんでしたよ。本当は鳥類学自体を相対化する位の視線があれば、なお良かったのだけど、それは無理というものか。元々、コレクションを紹介するのが目的だし。

 会場にはエピオルニスの卵殻といった、絶滅した鳥に関する収集品も多く置かれていたが、ドードーは小さな骨があるばかりで、オックスフォードの自然史博物館のアリスコーナー(!)で見たドードーの頭の骨は凄く貴重なものだったらしいことを改めて知った。ちなみに、ルイス・キャロルが見た 頃は全身?有った筈のドードーがなぜ今、頭しか残っていないかというと、その後の研究者が研究に使ってしまったから、らしい…

 会場の中では「鳥類学者の小部屋」をイメージした部屋が一番のインパクト。部屋の片側に仮剥製保存ケースの引出が有って、そこを覗くと、どの棚にも横向きに折りたたまれた鳥の剥製がぎっしりと詰め込まれていた。ぎっしり。

 

5/16

 ジョナサン・キャロル「薪の結婚」。

 うわぁ、やっぱりジョナサン・キャロルだ。としか言いようのない独特の苦い読後感。驚愕のラストとはこういうことだったのね。つくづく人が悪い、というか、後味の悪い文章を人に読ませることに掛けて、ジョナサン・キャロル以上の作家は居ないような。なんだか、タルコフスキーの「ストーカー」に出てくるエピソードを思いだした(ネタばれになるので、あえて説明はしない)。

 前作は非日常性が全く無かったこともあって、余り高く評価していなかったのだけど、実は今作と同じ舞台だったらしい(忘れていた)。もう一度、読み直してみなくては。次回作(翻訳中!)も同じ舞台らしいし。翻訳と言えば、今度の翻訳も今までのキャロルらしさを受け継いだ文章で違和感は無かった。これからも、ジョナサン・キャロルを日本語で読めるという幸せ。

 

5/15

 ここ数週間ほど、立ち上げ時の調子が悪いと思っていたPCが、異音を発して止まる。

 前に同様の事象が起きた時は、ファン周りを清掃(埃っぽい部屋なので)したことで回復したので、今回も清掃した上で電源を入れ直してみたものの、ピピピピピピ!と異音は鳴り止まず(やむを得ず強制停止、の繰り返し)。 この際、修理に持ち込む他、無いか、と暗い気分で、念のため、もう一度、各部を清掃した上で、再度試したところ、…ようやく、普通に立ち上がった(ので、こうして更新してみた)。

 これで落ち着いたのであれば良いのだけど。仮に、しばらくしてまた音信不通というか、更新停止の状態が1,2週間続いていたら、(あいにくPCが治らなかったため)修理に出している、と思って下さい。

 

 というお知らせ?が今日の本題なので、他に書くべきことも特に無いのだけど、せっかくなので、1つだけ。

 森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」を神山健治監督がアニメ化予定、という話は前から目にしていたけど、作者本人のブログにも最近、プロダクションIGまで神山監督に会いに行った話が登場した ところを見ると、どうやらアニメ化の方は噂通り、順調に進行中らしい。

 こういう場合、普通、(スタジオジブリばりの)ファンタジックなラスト部分こそ、アニメ化に相応しいというところなのだろうけど、その辺は森見作品の中で一番、面白いとは思っていない部分なので、正直言って、どうでも良い。というか、神山監督もリアリズム一辺倒というか、ファンタジーのセンスは元々無い人だから、多分、ラストのその辺は(そつなくこなしそうだとはいえ)かなり、つまらないだろう、と は容易に想像される。

 しかし、逆に大学のNF祭でのゲリラ演劇の下りは、神山演出だと無駄な位に格好良く、かつ盛り上がりそう、なので期待大。「精霊の守り人」での刀鍛冶との台詞のやり取りみたいな、緊迫感のある会話劇の感じで、 「パンツ番長」達の熱き戦いを、一つよろしくお願いします。

 

5/11

 「中村岳陵展」@横須賀美術館 →「百花繚乱の絵画:第一部」@神奈川県立近代美術館葉山館。

 中村岳陵展は今日まで。昨日今日と雨が降っていたため、行くのは止めにしよう、と思っていたのだが、2日間家に引っ込んでいるのも不健康、と思い直して外出。横須賀美術館はいつも京急の浦賀駅から行っていたのだが、JR横須賀駅の方がうちからだと早くて安い筈、と気付いたので、横須賀駅で下車したら、あいにくと、30分近くもバスが無かった……

 横須賀駅の外には何もない、という認識は高校生の頃から有ったのだが、それから数十年経った今でも本当に「何もない」ままだったのには呆れた。

 

 中村岳陵は割とモダンな絵を描いていた、ということで良いのかな? 50点程度なので、全体像までは今一つよく分からなかったけど(代表作が何だったのかも、今一つよく分からず)。とりあえず、地元の人だったことは分かった (それだけ?)。

 そのままで帰るとやや虚しい一日、となりそうなので逗子まで戻ってから葉山館へ。こちらは鎌倉館同様のコレクション展なのだが、上下2枚まで駆使して可能な限り並べてやる!という気合いの入れ方は気持ち良かった。ここに並べた洋画の集合体こそが、日本の近代絵画(洋画)と言っても良いのかも。個人的には余り趣味ではないのが、その近代絵画ということになるのだが…

 松本竣介の作品が素描を含め、全部で20点弱(コレクション全部?)有ったのは驚き。ミニ松本竣介展の趣も有るので、好きな方はこの際、葉山まで足を運ぶ価値は有るかと。中でも「立てる像」は会場入り口に展示してあって、恐らく日本の近代絵画を象徴する作品として選んだのでは(と推測)。若さというか未熟さ、その中でも前を見据えている自尊心…と確かに、(作者本人の自画像であると共に)日本の近代絵画の歩んできた「道のり」をよく表している絵だと思う。

 

 やれやれ、ようやく(展覧会関係については)大体、追い付いた感じ(あと、「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」展については感想を書きたいところ)。

 この後の日記では、(主に)先月からの買い物月間で何を検討していたか、という話の方を書いていくつもり(予定)。

 

5/10

 雨なので、部屋に引き籠もって、溜まっていた番組の整理で一日費やす。

 

 日本橋三越で来週からローマ展の再現展をやるらしい。このローマ展については一度、作品をまとめて見てみたい、と思っていたので好都合、なんだけど、主な収蔵先の大倉集古館でも来年1月に同趣旨の展覧会をやる予定が入っているようなので、どちらで見るべきか悩むところ。華やかな感じなら三越、静かに見たいなら大倉集古館?

 

5/9

 「モディリアーニ展」@新国立美術館。ここに来るのは久々(フェルメール以来?)

 前半のプリミティヴィズムへの実験的なアプローチの紹介はなかなか興味深かった。が、後半はかなり散漫とした印象… 大体、裸婦が申し訳程度に1枚しか無いのは一体、どういうこと よ?

 多分、作品数それよりも、会場自体が大きすぎることに問題が有るのだろうけど、新国立美術館の企画展で「満足した」と感じられたものって今まで一回も無いのだった。ここの良さって、雨でも駅から濡れずに辿り着けることだけかと。まぁ、それはそれで、とても重要なことだけど(^^;;

 見た方が良いかと言われれば、まぁ見た方が良いとは思うけど、良い展覧会だとは思わない、という感じ。ここで見ると、取り上げられた画家が、それまでより、好きでなくなる気がするんですよね…

 

5/8

 朝、会社に来て、財布を忘れていたことに気付く。

もっとも、財布が無くても、往復の通勤はsuicaとバスカードだし、昼食は社員証兼用のIDカードでの事後決済なので、特には困らなくて、敢えて言えばその後に自販機で買っているコーヒーが飲めない位だったのだが、何も買えないのは不便。というか、そんなサザエさんな日常を送るほど、今週は精神的に動揺していたのかと思うと、ややショック。

 

5/7

 「中右コレクション 四大浮世絵師展」@大丸ミュージアム。

 四大浮世絵師という展示構成はいかにも中途半端。一人に絞るか、何かのテーマに沿った絵だけを並べる方が良いのでは?(その意味で、写楽似の浮世絵師を並べたコーナーは面白かったけど)。

 あと、浮世絵の展覧会って必ず、大したことのない蘊蓄を語るオジサンが会場にいるのでヤダ。もしかして(もしかしなくても)、私は浮世絵って余り好きじゃないのかも…

 

5/6

 連休の最終日、かつ初めて「天気の良い」一日。

 幾らでも歩けそうな爽やかな陽気の元、近所を(買い換えたばかりの)カメラを片手に散歩。この季節は、周りの丘を薄紫に染める山フジが結構好きなのだが、既に終わり掛けだったのが、ちょっと残念。

 

 ところで、5/6といえば、12年前に、ここを始めた、いわば記念日。

 だから何かを記念に準備する、といった発想すらもはや失われて幾数年。今年も特に何もないですが、ともあれ、これからも続けていくつもり。ではあるのだけど、スタイル的な部分はいい加減、見直した方が良いような気もしてきた今日この頃。

 何というか、自分の中での更新ハードルが妙に上がっていて、忙しい日でも何も考えずに更新する、というのがここ数年、殆ど出来なくなってしまっているので。そのためには、見聞きしたものの感想とかはむしろblog等に外出しした方が良いのでは?と思っているのだけど、その場合、ここに残るのは一体何?という疑問があって。いや、日記自体、全て移してしまえば良いのだろうが、ここを捨て去るのもどうかという…

 でも、近いうちに(ではないと思うけど)、感想等は違う形での更新を考えようかと。(今だって、春・夏・秋・冬と、番組の開始時と終了時に、他の処で感想を書いているものもあるわけだし(^^;;)

 

5/5

 天気も今一つなのは昨日同様。とはいえ、何もせずに連休が終わるのも悲しいので、美術館巡りに出掛ける。「南蛮の夢、紅毛のまぼろし」@府中市美術館→「ルオーとマティス」@松下電工汐留ミュージアム。

 あと、買い物日その2。その辺はまた後日にでも。

 

 端午の節句といえば、今では「鯉のぼり」ばかりが季節の風物詩だけど、江戸時代は、「鍾馗様」を赤く描いた幟がよく掲げられていたらしい。伝染病除け、の願いが込められていたようで、この絵を得意とした北斎の展覧会ではよく見掛ける図案の一つ。

 というわけで。今、巷では鳥インフルエンザのニュースが流れているけど、こんな時こそ、「鍾馗様」なのでは?と、ふと思った。

 

5/4

 天気も今一つなので、買い物日。横浜に出て、ようやくジョナサン・キャロルの新刊を買ったり、日常のこまごまとしたものを買ったり。東急ハンズで、そういえば、傘を買おうとしていたんだっけと思いだし、探すが、欲しいものが見付からず。結局、帰りに大船のイトーヨーカドーで購入。丈が70cmで、先が余り長くなくて、色は余り重苦しくなくて、とにかく軽いこと。というだけの条件がなかなか満たせなくて…

 それにしても、傘って、どこで買うべき物なのか、未だによく分からず。百貨店の傘は「良い傘」でも重そうだし。見渡す限り、傘、傘、傘、みたいなお店って、探せばどこかに有るんでしょうか?

 

 夜、NHKで先日放送していた原田知世の番組を見る。鈴木慶一らと九十九里海岸に行って、焼き蛤を食べたり、乗馬したり、という内容だったが、25周年記念で「時をかける少女」をセルフカヴァーした話が興味深かった。本人も悩んだらしいが、やって良かったと。今はライブの最後で必ずやるらしいが、やる方も聴く方も、その間の時の流れを感じて、それだけに印象深い、というのが、まるでカジシン的な話だなと。

 織り込まれた(昨年の)ライブ映像の「時をかける少女」はボサノバヴァージョンで、なるほどと思った。上の世代と違って、必ずしも「時かけ」世代ではない私だけど、6月に放送するライブは見てみようかなと。

 

5/3

 連休初日。なのに、低気圧のせいか、疲れなのか、風邪気味だったのか、昼まで起きれなかった上に、その後も眠くて、何も出来ず。ぼーっとしたまま、だらだらと過ごす。

 

5/2

 「国宝 薬師寺展」@東京国立博物館の夜間開館へ。

 第一章は敢えて神像を取り上げていたのが興味深かった。昨年の奈良の国立博物館の「神仏習合 かみとほとけが織りなす信仰と美」展で、そうと知らない限り「見えない」のが神像の特色であることを学んで以来、気になっているジャンルなので、こんなところでも見られて得した気分。

 日光・月光(と聖観音)の3菩薩の部屋は、高いスロープ雛壇のようなものが設置され、混雑時を想像させたが、夜間なので、各像の周りを普通にぐるぐる回りながら見る。TVでもやっていたように、月光は男性的な平たい背中で、日光は女性的な曲線的な背中というのは、確かに驚き。

 ところで、この両像は美しい、のかもしれないが、大きさが大きさだけに異形の存在、という風に感じてしまう私は日本人として間違っているのでしょうか。いや、この美意識って日本的じゃないよな…

 第二章は、ひたすら瓦の変遷、と打って変わって地味も地味だったけど、最後はあの「吉祥天像」。ただし、夜間でもここだけは、さすがに並んだ。日中は多分、まともに見られないかと。

 全体的な印象としては、趣旨がよく分からない展覧会だった。日本史の中で薬師寺が果たした役割を理解した人は多分、(私も含めて)一割もいないと思う。かつての修学旅行の時、薬師寺は坊さんの話を聞かされたお寺、という印象だけが残っていて、東塔以外、見た物のイメージが残っていない有様だった(だから、日光・月光も覚えていなかった)のだけど、今回は逆に、見た物以外は印象に残らず、という感じ?