空の蒼さを 見つめていると


2007年11月

11/30

 「シュルレアリスムと美術」@横浜美術館。

 今年は何故か、シュルレアリスムの展覧会が多かった気が。個人的には時代の産物というか、今ではほぼ賞味期限切れ、という印象が強いので(ダリとか)、コレクションが充実している横浜美術館 には、「今何故、シュルレアリスムなのか」を明確に説明して欲しかったのだけど、割と抽象的だったのは残念。現代のメディア(広告等)に受け継がれているというなら、21世紀のシュルレアリスムはこれだ、ともっと具体的に示して欲しかったところだし。

 日本には意外とシュルレアリスムの作品が有るんだな、と分かったのは収穫かも。横浜美術館の他に、宇都宮美術館豊田市美術館に多いのか。

 

 先日書いた、来年の都美術館でのフェルメール展。マスメディアでの告知は年末か正月だろうと予想していたのだけど、思ったより早かったですね。

 「フェルメール展(仮)」

 そして、今現在の予定で6点と、予想していたよりも、来日するフェルメール作品の数は多かった。ドイツからの分はブラウンシュバイクの「ワイングラスを持つ若い女」で、他にもスコットランド・ナショナルギャラリーの「マルタとマリアの家のキリスト」とか、メトロポリタンの「リュートを調弦する女」といった未見の作品も来るらしいので経験値?のレベルアップには好都合 。

 特にスコットランド・ナショナルギャラリーの「マルタとマリアの家のキリスト」は、現地で館内全てを急ぎ足で一周したというのに、つい見飛ばした(か、展示されていなかった)作品。かといって、この絵のために再びエディンバラまで行くつもりも無かったので、上野で見られるとは幸運。これで、見たことのある作品数がようやく20まで行く筈。コンプリートする予定は特に無いですが。

 メディアでのフェルメールブームは来年辺りが最高潮? 出来ることなら、その辺で落ち着いて、もっと他に、タイトルロールと成り得る(印象派以外の)画家を増やす努力をして欲しい 。

 都美術館については「芸術都市パリの100年展」という、同じくTBS主催の展覧会も告知されていて、こちらは4月〜7月。この2つ(主に前者)で事前に荒稼ぎした上で、全面改装工事に備えようという計画なのか。

 

11/27

 bunkamuraザ・ミュージアムのラインナップ

 来年の8月に「ジョン・エヴァレット・ミレイ展(仮称)」が予定されていますね。

 ミレイといえば「オフィーリア」だよな、と思いながら、ぼーっと紹介文を読んでいたら。…! 来るみたいですよ>「オフィーリア」。

 2年前、テート・ブリテンにまで行きながら、何故か展示されておらず、悲しい思いをして帰ってきただけに、ちょっとサプライズ的な嬉しさ。もしかして、行った時に無かったのも、どこかへ出張していたとか? ちなみに、こういう時、待ってましたとばかりに「草枕」を得々と引用するのは、ブロガーと呼ばれるような人がいかにも陥りがちな過ちなので、止めておきます。

 しかし、それにしても、今どき、なぜミレイ? (Tateの「オフィーリア」のページを見たら、Tateでまさに今、開催中の「ミレイ展」が来年、巡回予定、ということみたいですが)

 

11/25

 歩き足りない(精神的に、かつ健康的に)ので、久々に近所の丘陵を縦断。

 10km/2時間と、いつもより早いペースで歩き続けたのだが、しかし、それでも考え事は最終地点まで到達しない…

 

11/24

 芸術の秋、というわけでもないけれど、日中混む「フィラデルフィア美術館展」に朝一番で行ったついでに、銀座周辺の展覧会を幾つか。

 

 「フィラデルフィア美術館展」@東京都美術館。

 う〜ん、全体的なレベルは必ずしも悪くは無いんだけど… 総花的展覧会というのは、やっぱり心に残らないなと。宣伝が上手かったので、期待し過ぎてしまったのかも。

 印象派はスイスで質の高い作品を見てきたばかりだったので、なおさら物足りなさが。ルノワールの「ルグラン嬢」はビュールレ・コレクションの「イレーヌ嬢」と比べたら明らかに見劣りする普通の絵だし、「大きな浴女」も 、美しさで言えばビュールレ・コレクション、色っぽさで言えばオスカー・ラインハルト・コレクションの方が、遙かに素晴らしい「浴女」だった。なのに、あれを「最高傑作」とか言われちゃうとな…(監修者の人はベストテンに入るとしか言ってないけど)

 むしろ、キュビズム以降の方が充実していた感じ。ただ、圧倒されるとまではいかなくて。マティスの「青いドレスの女」の黒の使い方には驚かされたし、ミロの「月に吠える犬」が実際に見られたのも嬉しかったし、ワイエスの「競売」も面白かったとは思うのだけど、もう少しジャンルを集中して欲しかった。端的に言えば、半分はアメリカ美術とする位の個性が欲しかったのだけど、都美術館の展覧会では無理なのか…

 

 「特集展示 セザンヌ4つの魅力」@ブリヂストン美術館。

 というか、セザンヌ少なっ! お陰で、いつもより常設コーナーが広くて、実質はコレクション展。それにしても、「フィラデルフィア美術館展」と似てる… コローの肖像画から始まって、印象派があって… はっきり言って、ブリヂストン美術館さえ行けば「フィラデルフィア美術館展」行かなくても良いのでは? 彫刻なんか2つも同じものが展示されていたし(日本にないのを借りてくれば良いのに>フィラデルフィア)

 閲覧室で、1994年に開催されたらしいヴァロットンの木版画展の図録を読む。初めて生涯が大体分かった。図録では木版画家としてヴァロットンを評価していて、画家としての評価は余り評価されていないのだが、本当だろうか。日本では未だ紹介されていない、ということだけなのでは?

 

 「石はきれい、石は不思議 -津軽・石の旅」@INAXギャラリー1。

 要するに、海岸で拾った石を展示しているだけなのだが、これが非常に面白かった。INAXの展覧会は、こういう即物的な展示ほど、魅力的だと思う。

 そして、即物的な展示の時ほど、見ている自分の連想はあらぬ方まで広がっていくのだった。ドイツには、鉱物の中に真実が含まれているという思想があったのでは?とか、子供の頃、自分の机の右上に各地で拾ってきた石置きスペースが有ったなとか。そこには、信州の和田峠に泊まった時に拾った黒曜石のカケラとか入れていたんだけど、そういえば、あれらは引っ越し後、どこに行ったんだろう。

 

 「マラブ 太陽 野口里佳」@Gallery Koyanagi。

 野口里佳の写真は気になる、ので、寄ってみた。ギャラリーは8F。地上には展覧会の表示が無いので、このままエレベーターで上がって良いものか少し悩んだ。

 薄暗いギャラリーの壁に掛かっている、草地の公園(のようなところ)に一匹、みすぼらしい嘴の長い鳥が立っている様を捉えた、ぼんやりとした、ハレーションを起こしている写真の数々。……何これ?という感じだったのだけど、受付の説明を読んでみて納得。これはピンホール写真で、動かない鳥マラブを題材にしたシリーズ。 なるほど、そこから始まっているんだ。それだけに、最後の一枚がとびきり眩しい。

 

 ところで、INAX1Fのブックギャラリー。石の関連書フェアをやっていたのは勿論、 (秋だからか)キノコ関連書籍のコーナーも。声優の片岡あづさ嬢(wikpedia)は一度ここに来ると良いと思います。

 

11/23

 ドレスデン国立歌劇場「ばらの騎士」@NHKホール。

 最近、また左の矯正視力がとみに落ちていることもあって、NHKホールのE席(3階席後半)は辛い。オペラグラスを使っていない時に、歌手の表情が全然見えない… というか、ドラマを見るのなら、3階席でもせめて前半じゃないと駄目だよな… ということもあって、浸れず。オケの音自体は、昨年、現地で聴いた「エレクトラ」の響きを思い起こさせる(同じシュトラウスだし)瞬間も有って、良かったんだけど、公演としては、チューリッヒ歌劇場の来日公演の方が、ずっと心に響くものがあったような。…それも、単に舞台との距離の違い? 

 今後は集中と選択。見る公演を絞った上で、もう少し良い席にした方が幸福かも。あと、NHKホールだけはやはり避けるべき。曲が終わらない内に拍手を始める観客が集まるホールだし。

 とりあえず、来年は数を絞って… ええと、今時点の予定は。

 1/25…関西二期会 「ナクソス島のアリアドネ」
 1/29…マリンスキーオペラ 「3つのオレンジへの恋」
 2/  1…マリンスキーオペラ 「イーゴリ公」
  2/  6…新国立劇場 「サロメ」
  3/  7…藤原歌劇団 「どろぼうかささぎ」
  3/23…神奈川県民ホール「ばらの騎士」
  5/23…ウィーン・フォルクスオーパー「こうもり」

 ……絞ってない。というか、むしろ多い。特に1月末〜2月初は一体、どうしてこんなことに。

 まぁ、一つ一つは理由が有って。R.シュトラウスのオペラは出来るだけ一通り聴こう、と「ナクソス島のアリアドネ」「サロメ」は取ったし、「どろぼうかささぎ」もロッシーニの喜劇ということで同様に。3回目の「ばらの騎士」はホモキ演出への興味から、「こうもり」はE席がプレリザーブでたまたま取れたので。

 あれ? マリンスキーオペラは「3つのオレンジ」はともかく、なんで「イーゴリ公」なんて買ったんだっけ?(前回の「指輪」で痛い目にあったのに) …公式サイトを改めて見に行って、 ようやく思い出した。ああ、そうか、「だったん人の踊り」を一度、実際に見てみたいと思ったんだった。言ってみれば、あれですよ。「ラーゼフォン」繋がり(笑)

 

 ところで、R.シュトラウスのオペラのDVDを探していたところ、ザルツブルグでの「ばらの騎士」のDVD(amazon)がTDKコアから発売されたばかりなのを知る。しかも、演出がロバート・カーセン。

 カーセンの演出による「ばらの騎士」。一度観てみたい… 今だと、amazonで26%offだし、これはチャンス!? でも、繰り返し観たい内容か は不明。公演を観ることを思えば6千円位、安いものだけど…

 

11/22

 京都での行き先。昨年までの日記を読み返してみたら、行ったコースを書いていたので。昨年同様、「→」は交通機関での移動、「〜」は徒歩。

 11/18(金)。相国寺(法堂)・相国寺承天閣美術館→京都国立博物館(常設・特別展)

 11/19(土)。坂本(京阪坂本〜西教寺〜日吉大社〜JR比叡山坂本)→JR二条→鷹峯(光悦寺〜源光庵〜玄琢下)→下鴨(北大路〜下鴨神社)〜出町柳〜銀閣寺道〜哲学の道〜南禅寺(天授庵)〜岡崎(京都国立近代美術館〜京都市美術館)→三条京阪〜四条河原町〜四条烏丸

 11/20(日)。嵯峨野(JR嵯峨嵐山〜渡月橋〜嵐山公園〜大河内山荘〜常寂光寺〜宝筺院〜大沢池〜JR嵯峨嵐山)

 

 2日目に、馬鹿みたいに歩いているけど(^^;; 電車一本ということで(石山に泊まったので)、わざわざ坂本まで久々に(学生の時以来!)行ってみたら、全然紅葉してなくてがっかり。

 前に来た時は、あの大鳥居の奥の参道が、両側とも五色の紅葉に染まっている様を撮ろうと、カメラ(当時は勿論フィルム)を構えたら、ひとけのないその参道を白い着物に朱色の袴姿の巫女さんがただ1人、こちら側に向かって駆けてくるという、素敵写真がたまたま撮れた記憶が有ったりもするのだけど、今回は色付き始め、どころか、ただの緑…

 せめて多少は赤いところを見よう、とその後、鷹峯に寄って。あとは、歩きながら考えたいことがあったので、原点回帰的に、かつての地元をずっと歩き続けていたら、こうなったのだった。

 3日目は、大沢池は、(JR東海が今さら取り上げるまえからずっと)私にとっての、京都の秋の定点観測(というより、実感?)ポイントなので。まぁ、さすがに今年(先週)はまだ早過ぎたけど。

 

11/20

 京都で、見に行った展覧会。

 「相国寺の禅林文化」@相国寺承天閣美術館。

 若冲展の混雑が嘘のように、ひっそりと静まり返った金曜の午後。相国寺の名品展としてスタンダードな展示。等伯の猿と萩芒の2つの屏風は前に見たことがあったので、初見の伝狩野元信の「縄衣文殊図」や伝能阿弥の「雲龍図」 の2枚の方が印象に残った。あと、「観音三十三変相図」三十三幅の一挙展示もかなりのインパクト。相国寺にとって「動植綵絵」と同一の機能を果たしている絵画ということらしい。

 

 「特別展覧会 狩野永徳展」@京都国立博物館。

 終了2日前だけ有って、金曜の17時過ぎでも入場15分待ち 。中も全く動かない、というほどではないにしろ、あちこちで渋滞。同じ場所で立ち尽くしていると、来る道中で聴いた某主題歌が、頭の中で無限リピートを始めてしまい、大変だった。(くるくる!) 教訓:混んでいて動かない展覧会を見る時は、頭の中で鳴り出す曲を直前に聴いて来てはいけ ません。

 洛中洛外図は混んでいて近付くことさえ出来ず。飛ばして、後半を見る。檜図屏風の、幹が蠢く気配に驚かされる。まさに、異世界の生物。もし更に長生きしていたら、どんな異世界の景色を描き出していたかと思うと、恐ろしくすら有る。ここで初めて、この画家のことを少し好きになった私。

 唐獅子図屏風は、2年前の11月、九州国立博物館での開館記念展「美の国 日本」にて、閉館時間の間際に、あの巨大な唐獅子とほぼ一人きりで相対した時の経験が強烈だったので、雑踏の中で見た今回は 余り何も感じず。最後に洛中洛外図の前を、何とか30分掛けて右から左まで移動する。まぁ、一度は見られて良かった。…あれ? 「美の国 日本」でも見たことあったっけ? うわぁ、同じ屏風だと気が付かなかった(^^;; まぁ、どちらの時も混んでいて全体像を見ることが出来なかったし、前回は左から右へ、今回は右から左へ見たからなぁ(そういう問題?)。

  そういえば、今回の旅行中、思うところ有って、過去の(11月の)日記だけ、ずっと遡って読み返してみたら、4年前の11月には、東博で「国宝 大徳寺聚光院の襖絵」展も見ていた私。うわわぁ、これまた、忘れてたよ。しかも、読んでみると、「永徳はもう見なくても良いや」と、かなり批判的。まぁ、言っていることも分からなくはないんだけど。 でも、檜図屏風だけは凄いと思う。

 ところで、今回、せっかく格好良い扇子を幾つも展示しているというのに、グッズ化していないとは何て勿体ない(売り切れていたのでなければ)。どうして、そういうアイデアが出て来ないかな?

 

 「特別展 京都と近代日本画— 文展・帝展・新文展100年の流れのなかで」@京都市美術館。

 対象としてはほぼ重なる「日展100年展」 のつまらなさとは対照的に、興味深い展示。やはり、問題意識の深さの違いか。特に、京都での展示が、美術館のコレクション機能も含んでいたということを強調する取り上げ方は美術館としての自負と、(大きな貸し小屋に過ぎない)「東京都美術館」「国立新美術館」への批判を含んでいるのかも、と思った。

 普段のコレクション展なら400円程度のところ、千円の「特別展」という扱いに、高っ!と驚いたけど、充実した内容に納得。それに、図録が1200円という破格の値段だったので、全体としては高くない。

 文展・帝展・新文展と、それぞれ当時、問題はあったものの、その入選作ともなれば、戦前のそれなりに力の入った作品が並んでいるわけで、それだけでも楽しかった。菊池契月とか。

 

11/18

 「特別展覧会 狩野永徳展」@京都国立博物館を見に、この週末(金〜日)は京都に行っていました。(泊まったのは、滋賀だけど。)

 30日間の奇跡。かどうかはともかくとして、京博の特別展らしい濃さではありました。ついでに、紅葉も多少見て回ったけれど、例年の如く、全体的にはまだまだ早過ぎ。この時期、特別展を開くなら、せめて来週までやってくれれば 良いのに。

 旅行の日程他、感想等については、また後日、かな。

 

 ここのところ、毎年のように、フェルメールの絵が(しかも、年々VIP扱いで)来日している気がするけど、どうやら、来年も来る可能性が有る様子。

 ドイツ大使館のサイト内の「イベントカレンダー2007(11月現在)」というpdfファイルの、スケジュールが全然埋まっていない後半22P目にぽつんと「フェルメールとデルフト・スタイル展」なる イベントが有るのを発見。場所は東京都美術館、主催はTBS、らしい。期間は8/2〜12/14、ってやけに長いのがやや気になるけど。

 他ではこの情報が見当たらないので、有る意味、フライング情報? 多分、とりあげている人も他にいないと思う(ので、あえて書いてみた)。

 ドイツ大使館のカレンダーだから、当然、ドイツにあるフェルメールと思われる。問題は「とデルフト・スタイル」。染め付けの様式を指しているのだとすれば、陶磁器のコレクションで知られるドレスデンが真っ先に浮かぶところだけど、「手紙を持つ女」は数年前に大々的に来たばかり で、また、というのは考え難い。かといって、「取り持ち女」では1点的な目玉としては誰も納得しない(笑)だろうし。フランクフルトの「地理学者」も来たことがあったらしいし。目玉的な華というと、ベルリン絵画館の「紳士とワインを飲む女」か「真珠の首飾りの女」のいずれか? 

 考えてみたら、そこまでは全て、昨秋のドイツの美術館巡りで見た作品ばかり。ブラウンシュバイクの「ワイングラスを持つ若い女」だと、経験値?も上がって個人的には好都合なんだけど、これも目玉とするにはいささかどうかと思われるし…  あるいは、実はデルフト・スタイルにおけるフェルメール的な?要素の紹介で、フェルメール自体は別に来ないとか? う〜ん、よく分からない。

 しかしまぁ、紹介しておいて何だけど、私にとってフェルメールは最重要の画家では全く無いので、気分としては割とどうでも… 他にもっと紹介すべき画家は幾らでもいると思うんだけど…

 

11/14

 10/13(土)午後。ヴィンタートゥール(続き)。 

 レーマーホルツで12時のミュージアムバス(タクシー)を待っていると、先ほどの車が来た。行きに乗り合わせた夫婦は先に町中に戻ってしまったらしく、帰りは私1人。次の目的地kunstmuseumで下車。その次はどこへ行くんだ、と聞かれたので、オスカー・ラインハルト美術館と答えると、そこの道のすぐ先、と教えてくれる。

・ヴィンタートゥール美術館(web

 近代美術館と言えば良いのか、19世紀絵画から現代美術まで展示。派手さはないけど、一通り揃っている。個人的には、ゴッホの、夜道を歩いている二人組を遠景で描いた絵に惹かれた。ここ数日、(余り好きではない)ゴッホのことばかり、何故か書いているけど、正直、少し見直した、というか。ゴッホにも 割と良い絵はあるんだなと。まぁ、1人だけでしみじみと見た場合ではあるんだけど。

 スペース的には現代美術が半分以上。最近では平面の「絵画」はもはや少数派… そういう中でゲルハルト・リヒターとか「絵」が展示されていると、ほっとする。

 

・オスカー・ラインハルト美術館(web

 ヴィンタートゥール美術館から目と鼻の先。4階建の建物で、2階の目玉がカスパー・フリードリヒの「リューゲン島の白亜の断崖」。代表作の一つとして有名だけど、こんなに大き いとは思わなかった。3階はスイスの画家。アンカー、ホドラーがやはり飛び抜けている、という印象。

 しかし、確実に覚えている画家より、覚えておこうと思った画家の方こそ、メモを残しておけば良かった。スイスの風景画は、元の風景が絵はがき的な美しさだけに、絵としてはつまらないものが実は大半。その中で、少しユニークだから覚えておこうと思った画家がいて、館内マップにも名前が載っているのでメモしなくて良いや、と安心していたのだけど、今見返してみると、この内、誰だったのか思い出せない(^^;;

 ……ええと。Hans Thomaかな?? ちょっと象徴主義的な風景だったと思うんだけど。

 4階は企画展コーナー。クラシックな建物なのに、4階への階段がやけにモダン(未来派のデザインみたいな)だった。合理性重視? 企画展のタイトルは「Von Anker bis Hodler.......」。「アンカーからホドラーまで」という名の通り、2人をピックアップした展示。スイス絵画初心者としては嬉しい。

 アンカーは、子供の可愛さは言うまでもないけど、時々描かれている親爺が良いのですよね。あと、静物画も半端じゃなく上手い。

 ホドラーは、今回の旅行で結局、全体像を掴みきれなかった位、画風の振幅が大きい画家だけど、少なくとも、スイスで(近代の)最高の画家といえばホドラーだということは分かった。質量共に他の画家を圧倒 。

 風景画だけでも、写実主義のような絵から、印象派のような絵、むしろキュビズムのような絵、しまいには片岡珠子みたいな絵に至るまで、多種多様。体系的に見たわけではないので、時代的に変わっていったのか、題材に合わせて毎回変えていたのか、その辺はよく分からなかったのだけど。

 晩年の集団舞踏みたいな絵の数々も、独特の魅力に溢れていて。見ていて「音」が聞こえてくる絵画というのは時々有るけど、頭の中で「ダンス」の「映像」が見えてくる(気がする)絵画というのは、今まで殆ど無かったので、かなり新鮮な体験だった。 

 

・ヴィラ・フローラ(web

 ヴィラ・フローラは日曜だと、ミュージアム・バスの経由地に入っているのだが、平日は普通のバス(2番)で行くしかないようなので、ここからだと、どう行けば?とオスカー・ラインハルト美術館の受付で訊いてみる。と、小冊子の地図にギュギュギュと書き込む形で、こう歩いていけば20分で着く(Tosstalstr.をまっすぐ歩いていけば、右手に有る)と教えてくれたので、その通り、歩いてみたら、確かに20分も掛からなかった。

 当初予定外だった、ここに行くことにしたのは、順調に回れて時間に余裕が出来たのと、ヴィンタートゥールの美術館一覧の小冊子に、(私の好きな)ナビ派のコレクションが有る旨、書かれていて、ボナールの絵も出ていたから 。

 で、着いてみると、そこはフェリックス・ヴァロットンの特別展会場だった。……スイスでは今、時代はヴァロットン、なの? まぁ、元々、ヴァロットンの絵もコレクションの一部らしく、こじんまりとした邸宅内の展示ながらも、「白と黒」(白人の裸婦と黒人の家政婦?)等、充実した内容だった。のだけど、ボナールの絵が見たかった…

 帰りも歩いて駅に向かっていたが、途中でバスが来たので、停留所で飛び乗り、駅まで。

 

 こうしてスイスでの美術館巡りは終了。予定通り、「見たいものは見た」一週間だったので、ほぼ満足。あえて言えば、コルマールのウンターリンデン美術館など行かずに、バーゼル近郊の「バイエラー・コレクション」(web)に行った方が、得られたものは遙かに多かった、とは思うけど、男には負けると分かっていても、行かなきゃいけない時が有る んですよ。…多分。

 

 ところで、来月、bunkamuraザ・ミュージアムで開かれる「アンカー展」。

 知名度を上げようと、美術館も努力しているのか、先日、国立新美術館に行った際、「スイスの村の一日」という、小冊子形式の「アンカー展」の宣伝媒体を入手。これを見ると、向こうで見た絵が結構、多いので、ちょっと驚き。見たからと言って、何かが変わる画家では無いですが、好感を持てる人が多いのではないかと思います。

 まぁ、本当は。アンカーもさることながら、本格的な「ホドラー展」こそ一度ぜひ、やってほしいところなんだけどな。

 

11/13

 10/13(土)午前。ヴィンタートゥール。

 ヴィンタートゥールはチューリッヒから、特急電車で30分の距離にある都市。

 9時半過ぎに、駅に降り立ち、左手の案内所で「...winterthur...city of museumus」という小冊子を貰い、オスカー・ラインハルト・コレクション(レーマーホルツ)への行き方を聞くと、of course!と元気よく返事が返ってきた後で、Gのバス停からblack busに乗って下さい、と言われる。Gのバス停って?と重ねて聞くと、出口を指される。建物の前のバス停だった。なるほど、museumsbusの時刻表が(写真)。最初が、駅が9:45分発、レーマーホルツが10:00発で、あとは16:45分まで1時間ごとに同分発となっている。しかし、45分を過ぎてもそれらしきバスが来ない。ちょうど同じバスを待っていた日本人の年輩の夫婦と「黒いバスって言ってましたよね」と話していると、50分頃に到着。確かに黒かったが、バスではなく、乗り合いタクシーだった。片道5フランらしいが、スイスパスは利用出来た。結局、年輩の夫婦と3人だけで乗る。美術館(林の中の屋敷)には10時前に着いた。

・オスカー・ラインハルト・コレクション(web)  

 10時開館と同時に入館。その時点で入ったのは僅か4,5人。一つの部屋を殆ど独り占め状態で見て回る。今回、ヴィンタートゥールにも寄ろうと思ったのは、ここのコレクションの質の高さを聞いたからなのだが、中でも、ペー テル・ブリューゲルの作品が有る、というのが決め手だった。ブリューゲルを持っている個人コレクションなんて凄過ぎる。

 ブリューゲルは「東方3博士の礼拝」。実は、先日の「プラハ国立美術館展」に、この絵を息子のペーテル・ブリューゲルが忠実に模写した絵が展示されていた筈なのだが、初めて見たと思った位、印象が違った(というか、息子の方は見たことも忘れていた)。

 遠くから見ると、家々の茶色い壁が主体の、フランドルの冬景色。しかし、目を近付けていくと、左側には幼子キリストに対するマギの礼拝がひっそりと描かれ、さらに近付いてよく見ると、街の人びとの賑やかな表情まで伺え、そして画面の奥に小さく描かれている整列した人物達(ヘロデ王に命じられ、赤子を捜す兵士達?)が、不気味な緊張感をかすかに漂わせていて… しかし、全体としてはあくまでも落ち着いた風景画。と、距離を変える毎に、印象が変化し、またループする、見ていて見尽くした感じがしないブリューゲルの世界だった。ブリューゲル好きとしては、これを見るだけでも、来た甲斐があったというもの。

 近現代の作品では、ルノワールがやたらと多し。どんだけ好きなんですか、という感じだけど、幸福な絵を好んだ、というのは何となく分かる。ゴッホの2枚(病院の庭と室内)も、入院して精神的に小康を取り戻した頃に描いた作品とのことだが、ゴッホにしては珍しく心が落ち着いている安らかな作品で、(私としても珍しく)気に入った。そして、マネの「カフェにて」も、オスカー・ラインハルトが最後に収集した絵というエピソードも納得出来る、コレクションの中心となる一枚だった。

 門外不出、というのが、このコレクションを市に寄贈した時の条件だそうだから、ここでしか見ることが出来ないわけだけど、絵と建物が調和しているここでは、とても自然なことのような気がした。ゆっくり見ているだけで1時間半が経過。次のバスが来るまで時間が有ったので、屋敷内のカフェでカプチーノを頼むと、店のごついおじさんが、カプチーノの表面に綺麗なハートを描いてくれたのがちょっとおかしかった。

 

11/12

 10/12(金)午後。チューリッヒ。

・ビュールレ・コレクション(web

 今回、金曜日にチューリッヒまで戻ってきたのは、ひとえに、印象派の名品を主に集めていることで有名な、このビュールレ・コレクションを見たかったから。

 火・水・金・日の14時〜17時しか開催していない個人コレクションのため、最初はスイスに着いた翌日(日曜)に見るつもりだったのだけど、それだと、サンモリッツへの移動が月曜になり、肝心なセガンティーニ美術館が定休日となってしまう。かといって、気候の変化を考えれば、山を見るのは旅程の前半の方が望ましい。というわけで、ぐるっと一周して、金曜日の朝にはチューリッヒに戻ってくるコースになったのだった。

 グロスミュンスター(大聖堂)でジャコメッティのステンドグラス、フラウミュンスター(聖母聖堂)でシャガールのステンドグラスを見た後、Stadelhofen駅からS16の電車に乗り、一 つ先のTiefenbrunnen駅へ。

 そこまでは、中央駅の観光案内所で貰ったビュールレ・コレクションのパンフレットにも書いてあったのだが、駅からの道程で迷う。結局、通り掛かった人に聞くことに。後で分かったのは、最初の選択が逆だった。

 駅から地上に上がる際、湖と反対方向の、線路と並行な道に出た時に、左側に歩き始めるのがポイントだったらしい(私は右に行ってしまった)。そうすれば、すぐにHAMBERGER-STEIGという急な坂道 が有るので、上の道まで上り詰めると、その閑静な道をまた左へ。ほどなく、左側の172番地の洋館に(割と小さく)表示がされているところに辿り着く。 というだけのことだった。

 入ってみると、それほど大きくない洋館の部屋という部屋、壁という壁に、印象派を中心とした名画の数々が掛けてある、といった展示だった。切符売り場の後の壁にもレンブラントっぽい絵が無造作に掛かっていて、…まじ?と思ったのだが、さすがにそれは本人ではなく、助手だったフリンクの作品だった。が、廊下等にも有名な画家の絵が掛かっているので、どこに何があっても驚かない。

 個人のコレクションだけあって親密な雰囲気が魅力。どれも好きで集めたんだ、というのが伝わってくる。その中でも、やはり、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」がひときわ魅力的。世界で最もルノワールらしい1枚、といっても良いのでは? ルノワール(とセザンヌ)が掛かっていたのは、ピアノが置かれた居心地の良さそうな小部屋で、なるほど、印象派の絵画はこういう部屋にこそ相応しいのかも、と思った。

 気持ちの良い午後のひととき、という感じで、全体としては満足。

 

 昔(1990年?)日本でも(横浜美術館で?)、「ビューレ・コレクション展」が開催されたことがあるらしいのだが、また来日することがあるかというと(建物の改装でもしない限り)難しそう。とりあえず、館内の雰囲気については、公式サイトのVirtual Tourで(関心がある方は)確かめて頂ければ。

 

11/11

 どうもテンションが上がらない日曜日。せっかくチケットを確保していた鈴木祥子のライブもパスしてしまった。今週末は、京都に永徳展を見に行こうと思っていることもあり、先週の疲れを残したくなかったので。

 

 10/12(金)午前。チューリッヒ。

・チューリッヒ美術館(web)。

 10時前に着いてしまい、数人の観客と開館を待つ。ここでは何と!スイスパスで入場出来ず。仕方ないので、特別展を含め、23.5フランを払う。

 特別展はフェリックス・ヴァロットン(FÉLIX VALLOTTON)の大規模な回顧展だった。殆ど意識したことが無かったけど、実は幾つかの場面で、既に何度も遭遇していた画家だった。

 まずは、19世紀末のヴァロットンといえば、漫画っぽい木版画の画家だった。どこかで見掛けたことがあると思っていたが、後で調べたら、ルナールの「にんじん」の挿絵がヴァロットンだった。なるほど。

 それから、オルセー美術館でナビ派の部屋を見ていた時、帽子を被った女の子が緑濃い公園を駆けていく絵に、妙に惹かれた。昨年のオルセー美術館展にもこの絵が来ていて、あの絵だ、と思ったものの、 その時も作者を余り意識していなかった。少なくとも、私の中で木版画のヴァロットンと、ナビ派のヴァロットンは全く結び付いていなかった。

 しかも、展覧会場に置かれている絵は更に多様で。静謐に描かれた丁寧な静物画。シンプルな色遣いで描かれた裸婦。男と女の抗争というテーマの部屋にはエゴむき出しの男女がぶつかりあう巨大な神話画。そして、オルセー美術館の絵を含め、人物がいないか、いても全て後ろ向きな、静かでどこか寂しげな風景画。全てが気に入ったわけでないけれど、回顧展を開く意味がある画家というのは理解出来た。

 全体としては日本画的、という印象。背景を単色で塗りつぶし、対象(静物、人物)を色で浮かび上がらせている。日本画の展覧会に置かれても違和感がない。そういう意味では 、もっと日本で紹介されて良い画家である気がした。

 

 常設展。階段を上るのも疲れてきたので、エレベーターで4Fから。 セガンティーニの絵の細かさに驚嘆した後、印象派の一画に足を踏み入れる。

 とそこにはゴッホのパイプをくわえた自画像が有った。先日、横浜美術館の「森村泰昌展」で、モリムラ先生が、鉄釘が飛び出すオブジェで帽子を再現していた、あの自画像。こんなにところにあるとは全く知らなかったので、不意を突かれた。(プライヴェートコレクションである旨、書かれていたので、スタブロス・ニアルコスのコレクションが展示寄託されている、ということなのかも。)

 私は前々から書いているように、ゴッホは余り評価もしていないし、好きでもない画家の1人なのだけど、この絵にはさすがに凄い力があると認めざるを得ない、と思った。通り過ぎようとしても、肩をがしっと掴まれて決して離さない位の引力。ゴーギャンとの確執とか、自ら耳を切ったとか、この絵に至るまでのエピソードを何一つ知らなくても、この絵は人を驚かせると思う。 無駄のない絵の持つ力強さ。

 モネの部屋もオランジュリーほどではないにしろ、ワイドな大画面の2枚が向き合うように置かれていて、しばし座り込んでしまった。ロスコ・ルームのようなモネの部屋というか。

 2Fではオールドマスターより、スイスの画家の方が充実していた。特に、ホドラー。あと、フュースリもベックリン同様、スイスの画家なんだな、と初めて知った。1Fではジャコメッティ。でも、チューリッヒ美術館に関しては、ゴッホの自画像に尽きるかも。

 

11/10

 寒かった… こういう時は外と中の気温差が大きいので困る。外が寒い分、中にはいると、眠くて…

 

 ドレスデン国立歌劇場「タンホイザー」@神奈川県民ホール。

 現地のゼンパー・オーパーで「エレクトラ」を見てから、1年。こうして、日本でまた見に行くとは、ちょっと不思議な気分。値段は3、4倍ですが… で、演奏はさすがに迫力。しかし、まぁ、やっぱり、「タンホイザー」って、物語の作りが基本的に駄目過ぎるような… 構成と脚本に駄目出ししたい気分が募って、苛々する。大体、1幕の前半は要らないだろう。

 あと、ペーター・コンヴィチュニーの演出。奇を衒っている感じは無かったのだけど、最後の辺りの意味が理解出来ず。ヴェーヌスもマリアも実は同じ存在の両面だと言うこと? まさかね…

 う〜ん、この程度の演出作品を見るために払う時間とお金としては、正直言って、コストパフォーマンスが悪過ぎ(あと「タンホイザー」はもう良いや)。来年はオペラに割く時間と費用をもう少し抑えようかな…

 

11/9

 バーゼル美術館と言えば、ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」。 今回の旅行で、1番の目的がパウル・クレーの「パルナッソス山」なら、2番目はホルバインのこの絵だった。

 といっても、グリューネヴァルトのように昔から、見たい(と言ったのは友人だが)と思っていたわけではない。亡くなったキリストの絵として同じ位有名なマンテーニャの「死せるキリスト」なら、独特のアングルもあり、前から見たいと思っていたので、3年前にミラノのブレラ美術館で見られた時は感慨深かったが、こちらは小さい画面で見ると、横向きの死体というだけなので、現地に行ってまで、という意識は特になかった。

 今年の夏、ロシアへ行く前に「ロシア月間」と称して色々読んでいた頃。ドストエフスキーについての本を幾つか読んでいた中で、彼がこの絵を見た時に強い衝撃を受けたということを知り、それ以来、急に興味を覚えるようになった。ロシアに行った翌月に、今度はスイスに…と思い付いた気持ちのどこかに、この絵のことが含まれていたのかもしれない。

 

 10/11(木)午後。バーゼル。

・バーゼル美術館(web

 駅から2番のトラムで。車内放送が無かったが、横を見ると、美術館の前に止まっていたので慌てて下りる。

 ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」。言葉を無くす作品、というのが世の中には幾つかあるけど、これもそうだった。「…ただの屍のようだ」どころの騒ぎじゃなくて、完膚無きままに死んでいる。冷徹な客観描写。しかし、ただの死体を描いただけではもっと無惨な、あるいは滑稽なものにしかならない。「死せるキリスト」であるという荘厳な死体をリアリティを持って描き 切っているところが恐ろしいのだ。

 これは、宗教改革のような嵐に見舞われた宗教的な危機の時代にしか描けない絵だと思う。しかも、その時代に居合わせた中でも、希有の画家にしか。ここには神への信仰と絶望が、聖なる荘厳さとただの死が同時に存在している。こういう絵を見てしまうと、グリューネヴァルトの絵など、いかに生やさしいものでしかないか、ありありと分かってしまう。これは人を救うためのものではない。ただ、慄然とさせる。

 画家の家族を描いた「家族の肖像」も素晴らしかった。別離になる妻と子供達を、いわば聖家族の構図で描いているのだが、深い悲しみに満ちた傑作。

 ホルバインはロンドンのナショナル・ギャラリーにある「大使たち」が有名で、あれを見ても上手い画家だな、という印象しか無かったのだけど、もっと評価されるべき「凄い画家 」だったと、ようやく気付いた。グリューネヴァルトの時とは逆に、ホルバインを褒めている人なら、一生付いていっても良いかも。池上英洋氏とか。

 少なくとも、ホルバインについてはもっと知らないと。バーゼル美術館で昨年開催された特別展の図譜がamazonで買えるようなんだけど、高い&重そう… とりあえず、Taschenの画集辺りから入ろうか。

 

 バーゼル美術館はスイス随一というか、ヨーロッパでも有数のコレクションだけあって、ホルバイン以外にも、凄い作品がずっしりと。スイスの画家ではアンカー、ホドラーは勿論、ベックリン(「死の島」を含めて)。「世界美術館紀行」でも取り上げていた市民が寄付金で護ったピカソの絵はさすがに秀逸な作品だったし、ナチスドイツが「退廃芸術」として売り飛ばした作品のコレクション(ココシュカの「風の花嫁」とか)も見応えがあって… 結局、美術館を出るまで、まるまる3時間、絵を見るのに没頭していた。今回の旅行で一番、時間を掛けて見た美術館で、見終えた充実感も一番強かった。人も少なかったし、凄い贅沢な気分に。

 

 ところで、これは帰国してから知ったのだが、昨年亡くなった叔父さんも、ホルバインの「墓の中の死せるキリスト」を見ていたらしい。長年、牧師を務めていた叔父さんにとって、この絵だけはどうしても見たい絵だったそうで、ある時、この絵のために、バーゼルまで旅をしたのだという。キリスト者である叔父さんにとって、この絵はどう感じられたのだろうか。亡くなる前に、一度、話を伺うことが出来たら良かったのに、と思うと、非常に残念だった。ホルバインに限らず、好きな絵についての話をぜひ聞きたかった。

 

11/7

 コルマールというフランスの小都市に、今回足を伸ばした理由は、元を辿ると、実は中学生の時の思い出にまで遡る。

 当時、何で知ったのか、凄いキリストの絵が有る、ということで、友人の誰かが、グリューネヴァルトの「イーゼンハイム祭壇画」(wikipedia)の収録された美術書を(図書室のどこかから)見付けてきた のだ。

 残虐だったり誇張されていたりするものに興味を持つ年頃なので、その絵(緑色の手足、曲がった爪)は私を含め、友人達の強い興味を惹いた。そして、痛ましいキリスト像とは裏腹に、復活したキリストのポーズと表情が余りにも張り切っているのが、思わず笑いを誘ったことも覚えている。誰かは、あのポーズを真似して見せた位だ。その時、私自身がこの絵をどう思ったのかはよく覚えていないのだが、 友人のMが感心して、この絵だけは一度実際に見てみたい、と言ったことは何となく記憶に残っていた。

 当時はその絵(ウンターリンデン祭壇画と書いてあった)がどこにあるかも知らなかったが、数年前、「世界美術館の旅」という本のフランスの辺りをパラパラ眺めていて、アルザス地方のコルマールに、そのウンターリンデン美術館が有ることを知った。いつか、フランスに行くことがあれば、と思ったが、パリから電車で片道4時間も掛かるような小都市に、そのためだけに行くことはとても無理だろう、とも思っていた。

 ところが、今回、バーゼルの観光案内をガイドブックで見ていた時、コルマールまで電車で45分、という記述を見掛けた。…え、1時間も掛からず、行けるの? それなら、この機会に行くしかないのでは?

 

 10/11(木)午前。コルマール。

・ウンターリンデン美術館(web)

 コルマール駅に着き、駅舎の中のインフォメーションに有った市内地図を手に取ると、ウンターリンデン美術館は街の中心にあった。線路と水平方向の道をまっすぐ行けば、歩いて行けそう。と判断し、ユーロを一銭も持っていないことに気付き、駅の向かいの銀行のATMで引き出した後、歩いて美術館まで。早足で20分弱だった。美術館は団体客(ドイツ人中心?)で混んでいて、チケットを買うのに少し手間取る。カードでも買えたので、ユーロを下ろす必要は無かった。

 

 「イーゼンハイム祭壇画」。3面がばらされて展示されているので、模型を見ながら、元々はどうだったのかを頭の中で復元しつつ見る。

 実際に見て、確信したのは、やはり、これは芸術作品ではない、ということ。言うなれば、2流の画家が描いた「説明」のペンキ絵。銭湯に富士山が描いてあるようなもので、傷ついたキリスト像も抽象的なイメージでしかない。ただし、この絵は元々、麦角中毒の患者を精神的に救うため、キリストの姿を麦角中毒の姿(体中に発疹)になぞらえて描いた祭壇画であり、その役割は当時、充分に果たしたのだろうと は想像出来る。あのムキムキの復活するキリストも、患者達にとっては、どんなにか、慰めになっただろう。

 「オズの魔法使い」のエメラルド・シティの大王を思い出した。全ての物がエメラルド色に輝くエメラルド・シティ。実は、街に入るときに掛けるサングラスの色でしかなかった(!)のだが、それは無力な凡人だった大王が、人びとを楽しませるためにおこなった「魔法」だったという、少しばかり物悲しい真実。グリューネヴァルトの描いたこの祭壇画は、まさにあのエメラルドのサングラスだったのだと思う。キリストが麦角中毒で亡くなったわけではないとしても、この絵で救われる人はいた筈なのだ。

 

 しかし、これが歴史的価値を除いて素晴らしい絵画かというと。………。聖アントニウスを襲う怪物の造形は確かに面白いけど、複数の絵を組み合わせる構成力は無いし、細部の描写力も乏しい。一言で言えば、一流の画家としての才能を感じない。この絵を素晴らしいと手放しで評価する人の文章は今後信用しないことに決めた。そういえば、友人Mのセンスもどこかずれていて、こういうことでは信頼出来ないんだよな…

 少し前に、ちょっと話題になった英ガーディアン誌が選んだ「死ぬまでに見ておくべき50の芸術作品」というリストも、これが入っているだけで 玉石混淆だと分かる(まぁ、半分以上は見ているけど)。

 ともあれ、実際に見るまで(そこまで断定は出来ないと抑えていたので)、今後、気に病むことがなくなっただけでも、往復2時間強を掛けた意味はあったというものですよ(え

 

11/6

 サンモリッツは計画を立てる中で最後に「セガンティーニ美術館も見よう」と決めた、「ついで」の寄り道だったのだけど、そのお陰で、有名な景観路線に幾つも乗ることが出来たので、セガンティーニには感謝。しかし、ベルンは「ついで」ではなくて、この旅行の元々の目的地だった。つまり、パウル・クレーのある街。

 10/10(水)。ベルン

・パウル・クレー・センター(web

 駅から12番のバスに乗り、終点で下車。ということで、問題なく着けるだろうと思っていたら、出だしで躓く。ちょうど駅前の広場が工事中で、駅前にバス停自体が無かった…(探すと、南の大通りに有った)

 終点までは10分足らず。バス及びセンターの入場料は「スイスパス」で無料だった。蒲鉾型の建物は綺麗で明るい。のは良いけど、トイレが地下にしか無くて、その度に地下まで下りるのはやや不便。

 開催されていた展覧会は2つ。一つは常設コレクションの方で、劇場(演劇等)との関わりを通してクレーの作品を捉え直そうとする展覧会。展示されていたのは、人物画というか、顔の描かれた絵が中心。余り深く考えずに、クレーの描いた色々な顔、顔、顔。という感じで眺めていた。あと、クレーの作った人形も展示されていた。

 もう一つは特別展としての「アド・パルナッスム 傑作を囲む展覧会」。

 有名な「アド・パルナッスム(パルナッソス山)」を中心に、クレーの画家としての道程を代表作を通して展望する展示。ごくごく初期(画学生の時の緻密なスケッチ)から、没年に制作された「最後の静物画」まで、代表的な作品が並ぶ様は壮観。当センターの所有する「ドゥルカマラ島」(美の巨人たち)にも勿論、惹かれたのだけど、「パルナッソス山」は、見るのが前から夢だっただけに、感慨深かった。

 これだけ大きくて細密でカラフルなクレー作品というのは他に類を見ない、というだけでも貴重なのだけど、見る距離によって印象が様々に変化する、実際に目にしないと駄目な絵だった。色合いが本当に美しいのだけど、これがまた印刷だと再現出来ない。絵の前の椅子に座ったり、立って近付いたりを繰り返しながら、のべ30分近くは見ていたかも。

 前日までの「観光旅行」が楽しかったので、美術館など行かずにこのまま帰国しても良い位だ、と前日(ユングフラウを見た帰りに)実はふと思ったりしたのだけど、やはり、この絵を見に来て良かった。

 驚いたのは、今回、展覧会のためにこの絵を借りてくる、ということが、展覧会の開催以上のビッグプロジェクトだったらしい、ということ。ベルン美術館から14年振りに館外に貸し出すに当たって、「多額を要する詳しい調査の結果」、運ぶことが可能だと判断したのこと。各種の装置で保護した上、宙づり緩衝装置を備えた特別の運搬車で、x,y,zと3軸方向の振動を絶えず図りながら運搬した様は、展示会場の横で、映像を流す程の大変さだったようなのだが、そこまでして今回運んだのは、町中から郊外までの、車でせいぜい10分程度の距離。いや、そんなに大変なら、わざわざ別に運ばなくても良かったんじゃ…

 「パルナッソス山」はクレーの代表作の筆頭にあげられる作品なので、画集等で見掛けて、一生の間に一回位は日本に来ないかな、と漠然と甘い期待をしていた人もそれなりにいると思う(昔の私もそうだった)のだけど、車で10分の距離を運ぶのでさえ、それほどの大事業となると、他の街に移すのは更に大変。ましてや、日本に来るなどとは絶対に考えられない。見たい人は、ベルンまで行かないと駄目みたいです。

 

・ベルン美術館(web

 「パルナッソス山」等の代表作が貸し出されていたからか、クレーに関しては物足りず。スイスの画家、アンカーやホドラーを初めて見られたのは嬉しかったけど、他は今一つ… 2フロアーも使って、インドの現代美術を大々的に紹介していたのだけど、ベルンの人にとってハードル高過ぎ、ではないかと思った。少なくとも、私の場合、作品が生み出された社会背景がよく分からず、余り楽しめず。

 あと、アール・ブリュットとしか思えないタイプの画家(執拗な落書き)のコレクションが有った。名前は誰だったっけ…

 パウル・クレー・センターでのクレーの印象が余りに強かったので(最大の印象はベルン美術館の所蔵作だったけど)、こちらは割と流して出てしまった。

 

11/5

 さて。そろそろ先月の旅行の感想(美術館編)を始めようかと。というか、既に一ヶ月近く経ってしまっているなんて…

 

 10/7(日)。サンモリッツ。

・セガンティーニ美術館 (web。日本語)。

 入場料を払ったら、日本語の展覧会カタログを貸してくれた。日本語の解説が無いので、カタログを読みつつ、絵を見て回るように、ということらしい。初期からの絵を展示した部屋も興味深かったけど、ここまで来たのは、勿論、未完の3連画「生−自然−死」 (美の巨人たち)と対面するため。有るべき場所に置かれている絵をそこで見られる、という幸せ。気が付けば、20分以上、その部屋のベンチに腰掛けていた。

 私がセガンティーニ美術館を知ったのは、恐らく3年前にNHKで放送した「世界美術館紀行」での紹介(検索したら、自分の日記が出て来た(^^;;)。セガンティーニを再発見したのも、同じく3年前のミラノのブレラ美術館で見た1枚。それ以来、何かにつけて気になる画家だったのだけど、この3連画を実際に見られる日が来るとは思わなかった。

 いつか、(同じく山の絵で知られる)レーリッヒの美術館にも行ける日が来るのだろうか…

 

・ベリー美術館 (web。日本語の紹介pdf有)。

 時間が余ったので、町中にある小さな美術館に寄ってみた。自動販売機にお金を入れて出て来たカードキーを、入り口の機械に挟むと、バーが回転して入場出来るようになっていたり、貸してくれるオーディオガイドが部屋毎に自動で解説が始まるようになっていたりと、古い室内と比べて、妙に合理的というか、ハイテク仕様だった。出る時までカードキーが必要だった(毎回、回収するから?)のには驚いたけど。

 ベリーはここに来るまで全然知らなかったが、地元の医者兼画家で、セガンティーニにも影響を受けているらしい。なるほど、似たところもあり。その色彩や当時の暮らしぶりの描写という点では面白かったのだが、セガンティーニの印象を大事にするのなら、先にベリー美術館に寄った方が良いかも。とはいえ、こちらの方が開館・閉館時間が遅いようだけど…

 

11/4

 天気が良い秋の休日。ということで、近所の丘陵でもさくさく歩きたいところだけど、会期終了が近いので「澁澤龍彦 幻想美術館」@横須賀美術館へ。埼玉で行きそびれた展覧会。

 

 澁澤龍彦が愛した画家や美術を通して、澁澤龍彦という美意識の変遷を振り返る、という構成の展覧会。

 会場を歩きながら、ずっと考えていたのは、自分の美意識のうち、どこまでが澁澤龍彦の影響下にあるのだろうということ。

 晩年の小説を除けば、澁澤龍彦の文章を集中的に読んだことはなく、時折読むと、苛立ちを覚えることもあった。それは、この展覧会のラインナップを見ていても同じで、澁澤龍彦の、美術の趣味は必ずしも良くなかった。(と書くと澁澤龍彦好きの方々から何を言われるか分からないが)少なくとも私の趣味とは少しずれていた。基本的な方向性が近いだけに、そのずれが自分にとっては許容出来なくて。

 しかも、私が澁澤龍彦を読み出した十代後半には、幻想文学や幻想絵画というジャンルの紹介者として既に大きな権威となっていた。正直言って、澁澤龍彦の文章のせいで、余計な回り道を色々とさせられた、という印象は有る。しかし、そういったジャンルが、現代の日本で、市民権を曲がりなりにも得てきた過程では、澁澤龍彦という存在が大きかったであろうことは言うまでもない。

 と思うと、やはり、私のささやかな美意識は、その大半が澁澤龍彦の影響下にある、と言えるのかもしれない…

 

11/3

 昨日は、新入社員として最初に入った職場で同僚(同期)だった人達と飲み会。久々に終電を乗り継いで帰りました。

 

 飲み会前に寄ったのが、「フェルメール《牛乳を注ぐ女》とオランダ風俗画展」@国立新美術館。

 どういう感じだったかというと、「家に帰ってから、フェルメール+国立新美術館、辺りのキーワードで検索して、見に行った人の悪口な感想を思わず探してしまう」ような展覧会だった。ほら、自分が敢えて書かなくても、他の人が既に書いているのを読めば満足する、ということって、結構有るでしょ?

 まぁ、タイトルには偽り無いし、「働く女性のイメージだけを集めたオランダ風俗画展」というのは、見ようと思っても普通見られないという意味で貴重な展覧会ではあるけれど、私を含めて大多数の現代の日本人にとって、それが興味を惹く展覧会テーマかと言えば、全く興味が無いな、というのが正直なところ。目玉でなくても良いから、「黄金時代」の普通の風景画を素直に並べて貰った方が嬉しかった。

 金曜夜ということもあって、混んではいなかったので、一点豪華主義というより、それ一点だけな「牛乳を注ぐ女」も、「止まらずに見て下さい」(絵から2m)の列と「じっくり見たい方の場所」(絵から4m)を交互に、ぐるぐると4周してみたのだけど、バターになるまで回り続けても、あの小さな絵に その距離では満足感は得られそうになかった。単眼鏡は勿論持っていったけど、それなら画集を見れば良いのでは?

 前にも書いたように、フェルメールの絵、特に「牛乳を注ぐ女」の魅力の核心は、俗っぽいエンターテイメントの面白さだと思うのだけど、ああ遠くから「ご真影」を拝むような展示では、そういう自然な感想は思いも寄らず。1人ずつ有り難く拝見させて頂く、といわんばかりの展示室は、フェルメールという新興宗教の儀式の舞台みたいだった。

 そして、ミサを受けた信者を出口前で待ち構えているのは、「牛乳を注ぐ女」がプリントされた、あらゆるグッズが置かれた部屋。信者では無い者にとっては、かなり引く光景だった。

 

 こういう一点主義の展覧会が今後増えると、萎えるな… いや、でも、借りてきたのが、フェルメールではなくて、レンブラントの「ユダヤの花嫁」だったら毎週でも通ったかも。