空の蒼さを 見つめていると


2006年8月

8/31

 今日は思っていた以上に慌ただしく、月末だと気付いた時点で、既に一日が終わっていた。うわっ、月末にやらないといけないことが有るのに、忘れてた…

 

 ドイツ月間の方はドレスデンのhotel予約で、この一週間、停滞中。安さを取るか、旧市街からの便利さを取るか。行ったことのない街なんで(当たり前だけど)、街の大きさのイメージが掴めない。

 で、hotelとは別に、非常に悩んでいるのが、夜のお楽しみの過ごし方。と書くと、いかにも怪しげ(妖しげ?)ですが、そうではなくて、オペラを見に行く方の話。

 最後の宿泊地ベルリンには何と、3つも歌劇場が有って、滞在予定時期だと、「ベルリン国立歌劇場」で10/13に「トスカ」、「ベルリン・ドイツ・オペラ」で10/14に「マノン・レスコー」、「コーミッシェ・オーパー」で10/13に「金鶏」、10/14に「コジ・ファン・トゥッテ」が開催予定なのだけど、写真等を見る限り、コーミッシェ・オーパーが一番活きが良さそうな感じ。

 最初は「金鶏」の方が良いのではないかと。日本で公演が行われているのも余り見掛けないし、演出のアンドレア・ホモキは、新国立劇場の「コジ・ファン・トゥッテ」の演出は面白かった、という印象があるので。が、videoを見る限り、更に変な舞台っぽい「コジ」の演出を見ると、こちらは果たしてコンビチュニーだった(^^;; 来日公演での「魔笛」を見られなかった恨みをこれで晴らす、というのも有り、かも(皇帝ティトは見たけど)。

 ところでベルリンと言えば、ベルリンフィルも聴きに行きたい、という野望(笑)が有って。その時期だと、10/13,14にサー・ロジャー・ノリントン指揮で、バッハのミサ曲ロ短調の公演が。古楽系のプログラムなので、金管が華やかな、いわゆるベルリンフィルのイメージとは違うけど、でも、そんな贅沢なバッハはそうは聴けないので、ぜひ聴いてみたい、と思案中。

 普通に考えれば、やはり最後の夜にこそバッハのミサ曲を聴いて、となるが、そうすると自然に前夜は「金鶏」を選ぶことに。逆に最後の晩に「コジ」を選ぶなら、「ミサ曲」も10/13のチケットを取る必要が出てくる。「ミサ曲」の発売は9/3かららしいので(現地時間10時?12時)、それまでには方針を決めておかないと(多分、日本での来日公演みたいに5分でsold outというようなことは無いと思うが)。

 最後の晩に清らかな気持ちになったまま、翌日帰国するか、それとも、ドリフなみの舞台にゲラゲラ笑って(笑えないかも)ドイツと別れるか、どちらの方が良いのだろう… う〜ん、悩む、悩む…

 まぁ、贅沢な悩みというか、チケット自体取れなかったら、悩むまでもなくなるのだけど…

 

8/28

 「デジモン アドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!」@シネマヴェーラ渋谷。

 ちょうど早く出られたので、シネマヴェーラ渋谷の上映に寄る。(今更だけど)面白かったです。超高密度な演出に加え、世界の「応援」(=善意)が必ずしも主人公たちを助けないという 視点がクール。

 

 
 今夜から始まっている、BS-2での溝口健二特集。せっかくシンポジウムにも参加したことだし、全部録っておきたいのだが、早速、今夜から既存の予約とバッティングしてる… まぁ、今回は溝口を優先しようかと。問題は放っておくとHDD内の容量が無くなること(かといって、当面、観る暇もないし)。仕方ないので、とりあえずRで良いから、録るそばから焼いていくか…

 

8/27

 ドイツ月間。現地での予定はまだ検討中、なところも多いのだけど、そろそろhotelの予約にも着手しないといけない時期に。

 このhotel予約という段階が大の苦手、な私だが、様子だけでも調べておこうと、宿泊予定地のフランクフルト、ミュンヘン、ドレスデン、ベルリンをホテル予約サイトで検索 。

 ……あの、フランクフルトだけ、何だか、やけに高いんですけど。しかも、hitする宿がえらく少ないし。土曜日だから?と色々回っている内に、ようやく気付く。

 10/7って、あの有名なフランクフルトブックフェア(書籍見本市)の開催時期(10/4〜/8)に引っ掛かってる! メッセ会場のカレンダーに載って無いから、油断してたよ… ブックフェアは昨年だとこういう感じ。近年はコミック部門が大人気らしい。土日は一般にも公開しているようだけど、フランクフルトまで行って、漫画を(本もだけど)探しているような暇はないので行くのは却下。

 探し回った結果では、駅前のエコノミーホテルの10/7,8の2泊で193ユーロ、というのが一番安かったので、とりあえず予約。しかし、内訳が139ユーロ+54ユーロと、1泊目が2泊目の2.5倍以上って一体… これが世に聞くメッセ料金なのか。ボり過ぎじゃん、と思うけど、でも、市内だと本当に安い宿が無い。到着日に宿まで遠いのも嫌だし、日程も変更出来ないので、1泊100ユーロならまぁ良しとするかな…

 

 図書館。2週間前に借りたドイツ関連本(鉄道本中心、殆ど役に立たなかった)をごそっと返却。同じく参考にはなりそうもないが、ベルリンとドレスデンの紹介本を各1冊と、そして小説を少し借りることにする。全十数巻のゲーテ全集が目に入るが、今から読むのは絶対無理なので、無謀なことには挑むのは止める(ただし、池内紀訳の「ファウスト」なら読めそうだったので、第1部を借りた)。

 その代わり、この機会にケストナーを読んで(読み返して)みよう、と思い付く。昨年、英国の湖水地方に寄るのなら、とアーサー・ランサム全集を急遽、読み出したようなもの。ケストナー少年文学全集全9冊位なら何とかなるだろう。1ヶ月も有るんだし。ランサムと違って分厚くないし! というわけで、まずは「エーミールと探偵たち」「エーミールと三人のふたご」から。

 実は子供の頃、夢中になって(感情移入して)読んだ本の主人公と言えば、皆、何故か決まって行動的なヒロイン(=少女)だった覚えがあって、男の子が主人公の話はどうも印象に残っていない。エーミールも読んだことは読んだ筈だが、 記憶の中でリンドグレーンのカッレ君と区別が付いていなかったことに、今日、児童書の本棚を探していて初めて気が付いた。

 ちなみに、リンドグレーンならピッピの方がお気に入りだったのは言うまでもない。

 

8/26

 展覧会消化日その2。

 「マンダラ展−チベット・ネパールの仏たち−」@埼玉県立近代美術館、「美術のなかの「写(うつし)」−技とかたちの継承」@三井記念美術館。

 本当は他にもう一つ位、都美か近美の展覧会を回りたかったのだけど、やはり埼玉は遠い、ということかも…

 

 「マンダラ展」は説明の仕方に、努力と工夫が感じられる好印象の展示。ただ、トータルなイメージ力でいうと弱い… 民俗学的な意味ではこれで良いのだろうけど(みんぱくがネパール辺りから集めてきた資料中心の展示)、今現在の日本人がリアルに理解出来る(一目見るなり、おチャクラ全開 に!)ためにはもっと最新のテクノロジーが必要なのではないかと。

 向こうの神々?とかって、八面八臂とかだったりするわけですが、そういう存在がCGアニメでガリガリ動いている様とか、あるいはマンダラのビジョンも3DCGによる極彩色の映像体験みたいな形で再現してみるとか、そういうのを見せるのが、今どきのマンダラ展のあるべき姿のような気がするんですけど。というか、私はそういうのが見たいのだった…

 まぁ、公立の美術館にそれを求めるのは(資金的にも)無理があるけど、どこかの意欲的なお寺−密教といえば、やはり高野山とか?−が、ぜひそういうことを試みてくれないものかしら。

 メモ。日本でこういうマンダラ的なイメージとは何かと考えていて、双六とはマンダラのバリエーションかも、と思い当たる。世界観の把握というより、上がり(悟り)への段階的なステージを図解、という意味で。双六好きな江戸東京博物館なら、きっとマンダラの横にも双六を展示してみせたに違いない。

 

 「写し」の方は、何と言っても応挙「雪松図」と応陽(6代目の子孫)による模写の比較。

 どちらも既に見たことは有るが、並べたのを見るのは初めて。思った以上に忠実な写しだったが、それだけに写しの方の弱さが気になる。何が違うのか、としばし見比べてしまったが、一言で言えば、元の生気が写しにはなかった。例えば、右隻の、横向きに伸びている枝の影の墨。

 「雪松図」は別に応挙の最高傑作ではないと前から思っているけど、こうやって写しと比較してみると、描線や墨の勢いの気持ち良さは確かにさすが、と思った。


 

8/24

 結局、振替休日を使って、「没後50年 溝口健二 国際シンポジウム」へ。

 整理券番号は一桁だったので、どこでも座れたが、2つめのブロックの2列目(1列目は関係者席)に。シネフィルの属性なのか、最前列に向かう人の方がその時点では多かったけど、長時間(8時間)のセッションだから、舞台が普通に見易い席の方が楽だと思って。

 関係者席は最初、無人だったが、「女優の証言」のセッションでは、写真で見たことがある、ヒゲを生やした外国人が目の前に着席。うわっ、ヴィクトル・エリセが、私の一つ前の席で香川京子の話を聴いてますよ! (途中で席を立ってしまったので何故?と思ったら、花束を贈呈しに行った)。最後の「朝日は輝く」「東京行進曲」も斜め前で熱心に観ていた(その時、前の席にいたのは阿部和重)。

 エリセの映画を観ること、溝口の映画を観ることは今後も何回も有るだろうけど(前者は含む希望)、エリセと一緒に溝口の映画を観る、なんて贅沢な事態はもう二度と起きないだろうな…

 シンポジウムの盛り沢山な内容の中でも、エリセが話した、若い時に溝口を見た時のエピソードが一番面白くて感動的だった。いや、本当にそれを聞いただけで、ここに来たかいが有ったというくらい。それにしても、容貌の変わらない人だと思った。昔、「エル・スール」のパンフか何かで見た写真と印象が全然変わってないんだけど、もう数十年経ってる…よね?

 

8/23

 ゼンパー・オーパーとアルテ・オーパーに申し込んだ結果(途中経過)。

 前者からは申込み受領メールが即時に自動返信されてきた。数日中に次のメールを送るらしい旨、書かれていた(多分)けど今のところ、次のメールは未着。

 後者からは昨日メールが。これもまたドイツ語なので、よく分からないのだが(^^;; 翻訳させてみると、「Much fun with the meeting」だったので、チケットが取れたということらしい(多分)。問題はチケットの引き取り方法だが、直訳したら劇場のinput areaのpress tableで受け取れる、となってしまい、何のことやら。でもまぁ、この場合、入り口にあるボックス・オフィスみたいなところで保管している、と言う意味かと(多分)。

 

 というわけで、到着2日目、10/8は夕方から、「アイーダ」を聴くことに、なしくずし的に決定。

 この日はフランクフルト滞在日ということで、昼間の目的は何と言っても、市内のシュテーデル美術館。ここに関してはやはり、フェルメールの「地理学者」。あとはヤン・ファン・アイク他色々。

 で、せっかくフランクフルトに行くからには寄りたい街が近隣のダルムシュタット。ここのヘッセン州立美術館にブリューゲルの最晩年作、あの「絞首台の上のカササギ」が有る筈なのだ。この絵は、10年位前に何と「ブリューゲル展」として日本に来たことがあるらしいのだけど、それだけに多分、今後、日本に来ることは二度と無いと思われるだけに、ぜひ見たい。どうしても見たい。フランクフルトからダルムシュタットまでは電車で20〜40分位らしいので、午後に行って帰ってくることは難しくないと思う。

 戻ってきて、まだ時間が余っていれば、基本の観光スポットとしてゲーテハウスかな…と。まともに一冊も読んだことのない者が見てもどうなのか、とは思うけど(あれ?今から読めば良いのか?)。ゲーテハウスといえば、鎌倉の近代美術館でエドゥアルド・チリーダというバスク地方の彫刻家の展覧会を見た時、彼の作品の中で一番重要なのは、35tonの鉄を使ったフランクフルト(ゲーテハウス)のモニュメントだと年表に確か書かれていたのが、印象に残っているので、それを見て来たい、というのも有る。家の中にそんな巨大なモニュメントが有るとも思えないので、庭か外だと思うのだけど。

 で、19時半からはアルテ・オーパーに。…(向こうでの)初日から飛ばし気味の計画だが、大丈夫?<自分。

 

8/20

 昼前。近所を散歩していた帰り道に、凄いスコールに遭遇。林の下の山道にいたので、雨宿りしてやり過ごそうとしたが、5分後には、雨宿りの意味をなさない状態に。足下は次第に滝のようになってくるし… 諦めて豪雨の中、家まで帰ったのだが、着いた時には、頭の上から尻尾の先まで、全てずぶ濡れになっていた。…いやまぁ、尻尾なんか有りませんが。

 

 現在「青磁の美」を開催中の出光美術館の9月の企画展は、「国宝 風神雷神図屏風―宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造―」。

 宗達のオリジナルに対して光琳が模本を作り(最近、なぞり描きしたのでは?というニュース有り)、その模本を更に抱一が描いた3作品が60数年ぶりに一同に会するという、非常に楽しみな企画。

 ところで、この内、光琳の「風神雷神図屏風」の裏面に抱一が描いたのが「夏秋草図屏風」だというのは割と有名な話だけど、こちらは現在、東京国立博物館で(季節モノとして?)公開中(9/18まで展示)。一方、出光美術館での風神雷神図の展覧会は9/9〜10/1。展示期間がだぶっている。…そうか、今は別々に表装されている のか。

 まぁ、そうだろうとは思っていたけど、展示されているのを裏に回って確かめることも出来ないわけで。もしかしたら、今も凄く豪華なリバーシブル屏風なのかと思ってた。

 

 ドイツ月間。今回、ドイツに旅行に行く(予定の)目的は一にも二にも、美術館巡りなのだが、どうせドイツを旅行するなら、ついでに現地のオペラハウスにも行ってしまえ、と思い付く(悪魔の囁き?)。

 最初はミュンヘンのバイエルン州立歌劇場さえ鑑賞出来れば満足、とか思っていたのだけど、あいにく本格的なシーズンはもう少し後で、滞在予定日にはオペラをやっていなかった…

 しかし、ミュンヘンが駄目なら他が有る。ドレスデンのゼンパー・オーパーとかベルリンの歌劇場(3つも有る!)とかその気になれば結構見られそうな気がしてきた。勿論、ベルリンならベルリンフィルの演奏だって有るわけだし(チケットが取れるかどうかは不明だけど、サー・ロジャー・ノリントン指揮でバッハのロ短調ミサ曲の公演予定が)。

 ということで、段々調子に乗ってきた私だが、昼間は美術館と移動で忙しい中、更に毎晩のように遅くまでオペラを見に行って気力と体力が果たして保つのか… それが(自分のことだけに)ひどく心配。

 

 今日一日悩んでいたのが、ヴュルツブルク途中下車の可否。レジデンツの天井一杯に描かれたティエポロの巨大なフレスコ画は一度見てみたい。しかし、途中下車をすると、ミュンヘンに着いてもノイエ・ピナコテークを当日見る暇が無くなる。翌々日(翌日は休館日)にノイエ・ピナコテークを見るとドレスデンに着くのが遅くなり、ゼンパー・オーパー(「エレクトラ」)の可能性が無くなる。ノイエ・ピナコテークを諦めるのも無理。

 発想を変えてヴュルツブルクで前日泊なら、レジデンツだけ朝一番に見た後、ミュンヘンでノイエ・ピナコテークを見ることは多分、可能。しかし、その場合、フランクフルト、ヴュルツブルク各1泊と慌ただしくなり、しかも、今度はフランクフルトでオペラを見ることが不可能に(…まだ、見る気なのか)。

 フランクフルトの当日の公演は歌劇場ではなくてアルテ・オーパー(コンサートホール)での「アイーダ」。コンサート形式だし、まぁ無理に見なくても、と思ったのだけど、キャストをよく見たら、アイーダ役が昨年聴けなかったノルマ・ファンティーニだった。あ、それなら、ちょっと聴きたい。

 というような葛藤を経て、とりあえずアルテ・オーパーとゼンパー・オーパーに当日の空席があるのかネットで申込み中。ドイツ語サイトなんで、一歩進むのにもすごい時間が(独→英翻訳ソフトで 様子を見つつ)。学生の時、もう少し真面目にドイツ語をやっておけば…と今頃後悔する私。

 

8/19

 東京の展覧会の消化日。9月は色々と忙しいので、今の内に少しでも消化しておこうというつもり。とはいえ、INAXギャラリーは最終日だったりと全然、前倒しではないんですけど。

 ・「花鳥−愛でる心、彩る技 <若冲を中心に> 第5期」@三の丸尚蔵館
 ・「小さな骨の動物園」@INAXギャラリー
 ・「第12回秘蔵の名品 アートコレクション展 花鳥風月」@ホテルーオークラ東京(別館)
 ・「Gold〜金色が織りなす異空間」@大倉集古館
 ・「近代洋画の巨匠たち」@泉屋博古館分館
 ・「青磁の美」@出光美術館

 一番ツボだったのは「小さな骨の動物園」。INAXギャラリーは、ミクロの対象にマクロ的な構造を読み取ろうとする企画ほど面白い気が(その意味でも、今までで一番面白かったのは「リカちゃんハウスの変遷展」)。骨格というのも不思議な存在で、生きている間は肉体を支える不可視の構造でしかないのに、骨格標本として独立すると、まるで生物の本質であるかのように見えてしまう、という逆説が興味深かった。

 ちなみに、魚の骨格標本を作るのなら、パイプ洗浄剤に浸けて肉を溶かせば良いらしい(会場のビデオで実演)。しかも、適当に薄めないと骨まで溶けてしまうらしい。うわ、あれって骨まで溶かすのか…

 

 あと「青磁の美」もこういう暑い日には目に涼しくて良かった。

 面白いのが、青磁鳳凰耳花生の優品を他の美術館からも借りて比較展示したコーナー。所蔵先で言うと、左から東洋陶磁美術館、当館、白鶴美術館、五島美術館の4点が(今日から)並べてあった。

 同じ青磁、(ほぼ)同デザイン。といっても色合いは結構違う。それぞれ緑青、青、白、緑が強い。左から右へ、あるいは右から左へと3,4回続けて見た結果、個人的には東洋陶磁美術館のものが一番、色と形と大きさのバランスが取れていて美しい、という結論に。勿論、優劣というより、個人的な趣味の度合いといった程度の話だけど。自分の中でのミリ単位の美意識が測定される感じで、こういう企画は楽しいです。 

 

8/18

 秋の旅行の予定なのだが、基本的な日程は悩むまでもなく、割とあっさりと決まってしまった(それでも、今週、一週間掛かった)。

10/7(土) 成田(昼)→フランクフルト(夕)空港→市内(泊)
10/8(日) フランクフルト(泊) ←→ 市内
10/9(月) フランクフルト →ミュンヘン(泊)
10/10(火) ミュンヘン(泊) ←→ 市内
10/11(水) ミュンヘン(朝)→(昼)ドレスデン(泊) ←→市内
10/12(木) ドレスデン(午後)→(夕)ベルリン(泊)
10/13(金) ベルリン(泊) ←→ 市内
10/14(土) ベルリン(泊) ←→ 市内
10/15(日) ベルリン(昼)→フランクフルト空港(夜)→
10/16(月) →成田(午後)

 こんな感じ。現地の移動は全てDB(国鉄)のIC、ICE(当然、ジャーマンレイルパス利用)の予定。

 ライン川クルーズもしなければ、ロマンティック街道も通らず、ノイシュヴァンシュタイン城も見に行かないという、普通の人が思い浮かべるドイツ旅行のイメージには凡そ当てはまらない、質実剛健というか味も素っ気もないコースになってしまったが、美術館を見る、ということを前提に、日々の移動を決めていったら、他のことをやる暇は無かった。というか、これでも、実はややタイトなスケジュールだったりする。

 フランクフルト→ミュンヘン間くらいロマンティック街道をバスで縦断しようかとも考えたのだが、そうするとやはり、翌々日の時間が足りなくて… ライン川も出来ることなら下ってみたかった。まぁ、城だけは元から興味がないので、別に良いけど。

  各都市で見たいものについては自分の中でも整理も兼ねて、今後少しずつ、書いていくつもり。

 

8/15

 「京都国立近代美術館所蔵 洋画の名画」@そごう美術館。

 同じ京都国立近代美術館の所蔵展でも日本画の時と比べて、どうにも地味… それは私の関心の度合いの違いからなのか、京都国立博物館の洋画と日本画のコレクションに質の違いが有るからなのか、それとも、日本の 「洋画」が(歴史的な意義を除けば)今でも見る価値が有るだけの作品を余り生み出してこなかった、ということなのか…

 

 「ゲド戦記」に関する原作者の評価(公式)。

 いや、まぁ、気持ちは良く分かります。あれを見せられても努めて大人の対応をしていたのに、それが公式意見であるかのように勝手に紹介され、しかも、自分の時はもう新作を作る気力がないとか言って断った宮崎駿がいつの間にやら他作品の制作を準備中、とか風の便りに聞かされては。

 しかし、実写版の時にも煮え湯を飲まされた筈なのに、シナリオ段階でのチェックを条件としなかったのは、不思議。それだけ、Mr Hayao Miyazakiを信用していたんでしょうけど…

 

8/14

 午前の大停電。勤務先のビルは、その性格上、自家発電を備えているので照明等はいつも通りだったが、電力を多く消費するエレベーターは休止させており、14階分を歩いて上る羽目に。寒い時期は歩いて上ることもあるのだけど、さすがにこの時期だと暑い…

 

 恩田陸の「チョコレートコスモス」(遠い昔に予約した)を回収するついでに、ドイツ月間として参考になりそうな本を図書館で物色。

 意外にも、ドイツ関係の本は余り無かった。量で言うと、イタリア>>イギリス>フランス>>ドイツという感じ。まぁ、個人的には少ない位でちょうど良いのだけど。

 

8/13

 今日は休日出勤日で、一日仕事。

 この振替休日は…やっぱり、8/24の溝口健二シンポジウムに当てることにしようかな。チケットも有るわけだし、ビクトル・エリセも今度こそ来る筈だし…

 

 ドイツ月間その2。

 昨日の時点で考えていたルートは、ベルリン(3泊)→ドレスデン→ミュンヘン(3泊)→フランクフルトだったのだけど、これだと月曜に美術館が全て休みとなるベルリンで1日無駄に費やすことに… というわけで 急遽、反対方向で検討中。フランクフルト(2泊)→ミュンヘン(2泊)→ドレスデン→ベルリン(3泊)。

 最後の日のベルリン→フランクフルト空港の鉄道移動後、即、出国という旅程が、何か有った場合のリスクが大きいのが不安だが、早めに到着する予定にしておけば、まぁ良いのか。

 本当は、フランクフルト・ミュンヘン間位、ロマンティック街道をバスで移動するとか、普通の観光客らしいこともしてみたかったのだけど、今回は各都市を鉄道で移動する以上の余裕は無さそう。

 ちなみに、ロマンティック街道は戦後の観光用ネーミングに過ぎず、歴史的な意義は殆ど無いのだが、途中のヴュルツブルグは「ミンキーモモ」、ローテンブルクは「シュガー」の、 舞台となった街のモデルだったりするらしいので(夢の島から世界を眺めて)、その意味では、「本当は萌える」ロマンティック街道、とも言えるのかも(いや、萌えなくて良いけど)。

 

8/12

 8/10に放送した「アニメの時間よ永遠に」〜脚本家 辻真先 1500本のテレビアニメ〜を見る。

 生涯現役、の凄さというか。黎明期から走り続けてきた世代の人というのは、どうしてこうもタフなんだろうか。

 

 ドイツ月間その1。

 まずは往復の日程を決めるところから。今回の目的は80%以上、美術館なので、目的地として少なくとも、フランクフルト、ミュンヘン、ベルリン、ドレスデンは決定。

 あとは起点と終点をどうするか。とりあえず、今日のところはもう一度、各航空会社(といっても直行便を優先すると、ルフトハンザかJAL位しか無いのだけど)のスケジュールと価格を確認中。

 意外なことに、ルフトハンザですら首都ベルリンへの直行便は無かったので(フランクフルトとミュンヘンしか無い)、この際、JALでマイレージをきちんと溜めるというのもアリかなとは思ったりするのだけど、そのためにカードを申し込んでも時間が掛かるらしい(申し込みから4週間は掛かります。って平気で書いている辺り、やはり、JALはまだ殿様商売だと思った)。どうしようかな… ここで溜めると、残りのマイルと併せて、年内に国内フライトを1回位は行けるようになる筈なのだけど…

 

 以下は自分用メモ。

 航空賃だけで言えば、フランクフルト往復が一番安い(10/6〜10/15で)。LFTで118,000円+税金等23,370円=141,370円、JALで124,000円+税金等22,780=146,780円。

 一方、行きをベルリンとするオープンジョーだとJALで137,000円+税金等26,090円=163,090円(フランクフルト往復+16,310円)。

 それなら、いっそフランクフルトからベルリンまでは国鉄で、と思ったが2都市の間は98ユーロ。差額と余り変わらない分、時間の無駄? でも、ジャーマンレイルパスを買えば得になる、ような気も…

 

8/11

 会社に来て、家に財布を忘れたことに気付く。ちょっとした買い物が有るので悩んだ末、社員証(兼社員口の口座)のカードで引出し。このカードだと、引出しは総合口座の貸越扱い、しかも自分では入金不可能(給与天引のみ)と来ているので、余り使いたくないのだが、今回の貸越利息を計算したら 約1円(5,000×0.6%×11/365)だったので、まぁ良いかと。

 しかし、私は余計な利息は1円でも払いたくないというタイプの人間なのだけど、皆、キャッシングとかよく平気で利用出来ますね…

 

Cinema  宮崎吾朗 ゲド戦記」  相鉄ムービル5

 横浜駅前で金曜夜なのに、客の入りは2割弱、と場末の三番館のような寂れた雰囲気。休日や昼間はさすがにもう少し混んでいるのだろうけど…

 散々な評判にも関わらず、観に行ったのは、私に自虐的な趣味があるとかではなくて。単に(公開前に)一応買っていた前売り券が勿体ないから(^^;;

 

 さて、感想ですが。…確かに、酷かった。本来期待されたものと色々な意味で似て非なるモノというか。コンビニに対するコソビニの如く、「ゲド戦記」と思わせて実は「ゲト戦記」?

 例えるなら、ジブリ映画好きな、どこかの外国人(多分、フランス人)がジブリを意識して、初めて作ったアニメ映画(作画だけはアジアの国々に発注)。それにしてはよく頑張ってるなぁ、みたいな。

 いや、まぁ、酷いと言っても「ガンドレス」状態とか、そういう意味ではないのだけど。

 画面は説明的で、パンに毎回頼る様はハルヒの自主映画か!と言いたくなるけど、駄目というほどではないし、半径5km位の世界に主要人物が全て収まる箱庭設定にも唖然とするものの、原作をないがしろにしたり、脚本がグタグタだったり(伏線?は 途中で放置)しても平気なのは親譲りだし、声が棒読みだったりするのも恒例なわけで、いつものジブリと比べ個々の要素はそれほど変わらない気はするのに、ここまで酷く感じさせるというのはどういうことなんだろう。5点満点で平均2.2点位のクオリティでは有るのに、実際にはマイナス0.7点位の印象。

 とにかく、観ていて「不愉快」な気分が最初から最後まで途切れないのは尋常ではない。これって有る意味、凄い才能なのでは? 正直言って、どうしてそこまで不快なのか、自分でも分析し切れない 。

 監督に対しては思うところは特に無いのだけど(監督業も不本意だったようだし)、ここまでアレだと、エンターテインメントの業界人として、謝罪しないと普通許されないだろう、という気が。これがメーカー だと、製品に欠陥があれば、過失が有ろうが無かろうが、「製造物責任」が課せられると思えば。まぁ、某掲示板辺りだと、苗木野そらのAAが既に貼られたりしているんでしょうけど… 

 以下、ネタばれで(反転)

 父殺しについて。原作ではアレンにとって「父」に相当するのは、旅に同行するゲドなので、映画でも父殺しをうたう以上、アレンがゲドを殺そうとする(そして最終的に乗り越える)話なのかと思っていた。が、さにあらず。映画の中ではこの「父殺し」というテーマは冒頭以降、ほったらかしにされているように見える。しかし、実際にはそうでない。死を恐れる、いつまでも若いクモこそ、実は宮崎駿そのものではないか。「ハウル」で、 老婆に変身して自由を得た原作を、年を取ることへの強い恐怖に勝手に書き換えてしまった父親の姿と、本作のクモを重ねてみることは易しい(老化を恐れるクモが少女テルーを掴まえて離そうとしないシーンは意味深長!)。なるほど、これこそ「父殺し」か。と納得し掛けたが、…結局、 アレンは自分で殺してないじゃん(苦笑)。自分で手に掛ける勇気がない辺り、正直過ぎる。

 というか、宮崎駿が新作に着手というニュースが急遽リークされないといけないほど、ジブリの「信用」は今回の映画で悪化したわけで、子の作品が親の次回作を必須にしたというのは、「父殺し」とは全く逆の事態に至っているような… それはそれで喜ばしい、とアニメ好きとしては思うべきなのだろうか。

 

8/10

 住宅地の西の外れの丘から、隣街の花火大会を眺める。

 一昨年は丘に着いた時点で終了直前(2分前)だったけど、今年は急いで帰宅した甲斐が一応あり、最後の20分ほどは見ることが出来たので、自分としては満足。やっぱり、夏の間に一回位、海上の花火大会を眺めないと。ちなみに、この丘からだと、花火が上がってから音が聞こえてくるまでに5秒強の時差。ということは、隣街の海岸までは直線距離だと2km弱しかないのか。

 

 そろそろ、10月の旅行の計画を具体的に立てないと。行き先だけは今年の初めにとっくに決めていたのに、結局、近くになるまで準備を始められないのは、小中学生の頃の、夏休みの宿題の如く。

 ということで、これから2ヶ月はドイツ月間(予定)。とりあえず、最初の問題は行程を早く決めること。イタリアみたいに長細い国だと北上、南下の2通りしかないのだけど、四角い国を効率的に回るためにはどうしたら良いのやら。

 

8/9

 今日の夕方は台風で大雨になるかと思い、早く帰る気でいたら、大雨どころか晴れてきた。そのまま帰るのも勿体ないので、「ヨロヨロン」束芋@原美術館へ。

 一度に数人しか見られないインスタレーションが多いので、(今日は1回位待てば、ほぼ見られたけど)休日だと見るのが結構大変そう。平日に行くか、休日なら時間に余裕を持っていった方がよろしいかと。新作の中では、上から見た「真夜中の海」の波がやはり 一番印象に残った。

 

 ちなみに、少し前の「トップランナー」での束芋の回で、本人が話していたトリビアを幾つか。

・束芋という名は、タバタ(田端?)家の三姉妹の次女で、子供の頃に共通の友人から、それぞれ、タバアネ、タバイモ、イモイモと呼ばれたことから。
・和室等を再現した立体インスタレーションの原点には子供の頃好きだったドリフの番組のセットが有る、かもしれない。
・独特の色は、PCに取り込んだ60枚位の浮世絵から、使える部分の色(模様)をカラーパレット代わりに使用している。

 

8/6

 今日は一日、部屋の中で。細田守監督による「時をかける少女」の絵コンテを読んだりしていました。…もう一度だけ、観に行こうかな(^^;;

 

 ちなみに、作中、真琴が魔女おばさんに差し入れするケーキは西荻窪の「アテスウェイ」(「の、宝石のように上品なケーキの数々」との説明有り)とのこと。平均単価400円のケーキを6個箱詰めなら、高校生の真琴には、なるほど、「アテスウェイね。奮発したじゃない。」と言うところかも。一度食べてみたい気がするけど、駅からは少し離れているので、今の季節だと行くまでがひどく暑そう だな。

 そういえば、米澤穂信「夏季限定トロピカルパフェ事件」での、あの!シャルロットは西荻窪の隣街、吉祥寺の「レモンドロップ」のものを参考にした、と作者の方が以前、ご自分のサイトで書かれていて、こちらも一度食べてみたい、と前から思っているのだった。

 問題は、私の日常生活において、中央線方面とは全く縁がないということで。この暑い中、ケーキを食べに(or買いに)行くためにだけ、吉祥寺まで行くのもな…

 

8/5

 暑い夏の日こそ日帰り旅行?に出掛けよう、ということで、佐倉の「パウル・クレー展」@川村記念美術館へ。

 

 前には「雨の日曜日にはクレーを見に行く」、とか言っていたような気もするが、雨の日に佐倉まで行くのも億劫なので。暑い日に出掛けるのもうんざりだけど、1本の電車ながら片道2時間半も掛かるため、ある意味、家にいるより(冷房が効いていて) 実は遙かに涼しい、のだった。お陰で、行きは熟睡している内に着いた。

 往復で一日近く費やしてしまったけど、それだけの甲斐は十分にあったので、満足。 元々、パウル・クレーは大好きな上に、今まで余り見たことのない作風の絵も見られたし。

 ところで(私だけかもしれないが)、クレーの絵は、見ていると普段使っていない部分の脳が活性化するという気が。例えば、本来、音楽を聴く部分で絵を見るとか、そういう感じ(実際には分か りませんが)。

 

 常設の中には、(申し訳程度に)日本画のコーナーも。光琳の屏風を眺めていた時に、後を通り過ぎた中年夫婦の会話(小声)が面白かった。

 (夫)「これ、光琳か!」(妻)「知らないわよ、そんな人」(夫)「え、そ、そうか?」(妻)「あたしは興味ないのに、あなたに付き合って来てるんだから!」

 …まぁ、そういう人もいますよね。というか、川村記念美術館に来る観客というと、むしろそういうイメージかも。名画と言えばルノワールやモネ、みたいな。

 

8/4

 東京国立博物館の「若冲と江戸絵画展」、2回目。

 チケットショップで購入していた招待券の有効期限が今日までだったので。金曜夜間だというのに、若冲のフロアーには結構、多くの人が。この展覧会で見るべきは、むしろ蘆雪の方だと思いますけど。

 

 帰宅してTVを付けたら、某バラエティ番組で、若冲を日本のダ・ヴィンチとか呼んでいたのには、しばし唖然。どこからどう突っ込めば良いのやら。

 

8/2

 水曜だと(男女問わず)千円の、シネマ・アンジェリカへ。17時半という微妙な時間ならそれなりに空いているかも、と思って駆け付けたのだが、ジブリ効果なのか、劇場の前には行列が。

 定員104席で整理券番号は99番。果たして最前列しか空いてなかった。…ただでさえ垂直構造を強調した作品なのに、さらにその画面を仰ぎ見ることに。しかし、シネ・フィルな人はよく最前列で見るというけど、どこが良いのやら。スクリーンが穴まで見えて画面が余り綺麗に見えないわ、首は痛くなるわで、もう散々。スタンダードサイズだから端(の字幕)が視界の外で見えない、というのが無かったのだけが救い。

 

Cinema   ポール・グリモー王と鳥」  シネマ・アンジェリカ

 う〜ん…、面白くないこともないのだけど、過大な期待をすると、やや微妙。

 「カリ城」は当然として、「未来少年コナン」のあそこのシーンはこれだったのか!みたいな再確認も有り(遅過ぎ)、また唖然とするようなアイデアも随所に存在したのだけど、物語的には、う〜ん… 私は高畑勲監督じゃないので、そこまで高い評価は出来ないなぁ。やっぱり、改作前の「やぶにらみの暴君」バージョンで一度見たかった… 作者の意図でないとしても、もっと鮮烈な魅力を持った作品だったようなので。

 でも、「コナン」の三角塔脱出のシークエンスとか、もう一度見たくなったので、この機会に見た価値はあったとは思う。…千円だったし。

 …あっ、何が気に入らないのか分かった。作品の弱点(煙突掃除夫の心理描写が存在せずサスペンスになっていない)とは別に、よく喋る鳥などの擬人化動物キャラという奴が、私は昔から苦手で、余り好きではないのだった(だから、某浦安の暗黒鼠帝国の構成員達とかも皆、好きではなかったりする)。

 

8/1

 ジブリの「ゲド戦記」は散々な評判のようですが、見に行くことは見に行きます。その内に。

  …うわっ、あの曰く付きな、実写版「ゲド戦記」がBIGLOBEストリームで配信中なのか。ゲド関連でこれ以上、嫌な気分に陥るのは避けたい(ジブリ作品によるダメージ迄は織り込み済)ので、求む人柱(笑)。むしろ笑える、とかそういう感想を目にしたら、見てみようかと思います。

 

 Novel。アーシュラ・ル=グウィン「アースシーの風」。

  思ったより持ち直したというか。よくある、アメリカ人が書くハイファンタジー、その水準作という印象。価値観の異なる二つの世界(地域)が衝突している、というタイプの。例えば「リフトウォー・サーガ」(玉石混合な「リフトウォー・サーガ」でも外伝の「帝国の娘」とかだったら、この小説より遙かに面白いと思うけど)とか。

 最終作ということで、無理矢理オールスターキャストにしたような物語を、終盤、怒濤の展開で捌いてみせた手腕は、さすがベテラン作家だと思った。「これで終わりか」という納得も与えてくれたし。ただ満足したとまでは行かず。多分、満足したのは作者だけなのではないかと。

 「魔法」の西欧文明的な権力志向(男性主義的)に対比されるものとして、東洋思想への憧憬がここに来て鮮明に。しかし、そんな後出しジャンケンみたいな形で、創造した世界の意味合いを変えられてもな…

 こういう展開に帰結したのは、「さいはての島へ」で、石垣の向こう側をああいう世界として描いたことがそもそもの発端なわけで、いわば、ル=グウィン自身のかつての想像力の貧困さに最大の責任が有る、という気がするだけに、その罪を物語の中でロークの賢者たちに負わせるのは自分勝手過ぎと思わないでも。まぁ、そういう自分を含めた西欧的な思考を断罪しようとしている、ということかもしれないが。

 

 Novel。アーシュラ・ル=グウィン「ゲド戦記外伝」。

 実は「帰還」と「アースシーの風」の間に刊行された短編集らしい。ということで、印象としては「帰還」の延長線上。つまりは、余り面白くない… 最後の「トンボ」は話としては面白かったのだけど、ここでのロークの長たちの描かれ方は余りにも矮小化されていて哀れなほど。

 「アースシーの風」でアイリアンというキャラが登場する意味が分からなかった(いなくても別にいいような…)のだけど、要はここで登場するトンボの話を読んだ読者への単なる読者サービスだったのか。

 ところで、シリーズ後半、「魔法」という権力の体系に強い批判を浴びせるようになった作者だけど、王政というもう一つの権力の体系の復活については割と素通りなのが不思議。その違いの理由が明確でないので、後半の作者の言うことはどうも信用出来ない。魔法使いの権威は抑圧的だから要らない、というなら、この際、アースシーの世界にも革命を、と思うのは私だけ?