空の蒼さを 見つめていると


2004年6月

6/29

 今週は忙しさでは谷の週だと思っていたのだけど、余りそうでもなかった。

 

 本木克英監督には特に関心はないが、明日の「丹下左膳」は一応録っておこうかと。「サムライチャンプルー」よりはマシだと良いが… もっとも、丹下左膳といえば大河内伝次郎といっても、観たことがあるのが山中貞雄版のほんわか時代劇だけであって、元々の凄惨なキャラクターというのは写真でしか見たことがない私に、良し悪しを言う資格などないのだけど。

 それにしても、隻眼隻腕といった容貌の主人公が今のTVコードでよく復活したものだと思うが、こういう時代劇には、アニメにおけるテレ東規制のような明確な規制は存在していないのだろうか。まぁ、時代劇の場合、描かれた時代の社会構造自体が「不平等」だったりするわけで、言い出せば切りがないのかもしれないが。

 

6/27

 この秋のシアターコクーンでの「赤鬼」

 Bunkamuraメルマガ読者の先行予約日だったのだけど、それでも果たして繋がらず。自動音声の方にようやく繋がったと思ったら、日本バージョンの本日先行分は既に終了。とりあえず、ロンドンバージョンとタイバージョンを予約する。それまで全く繋がらなかったのに、残り2つになったら不通にならなくなった、というその余りの人気の違いに苦笑。

 いや、演劇的に面白そうな予感がするのはタイバージョンなのだけど、2つ見て日本バージョンだけ見ないのもどうかと思うので、残りはヤフオクしか無いのか…(プレリザーブや一般発売ではまず無理だろうと既に思っている) というか、Bunkamuraの会員専用予約が先週あったことに昨日まで全く気付かなかったのが口惜しい。「こういうこともあろうかと思って」年会費を払っているというのに!(ザ・ミュージアム入館料の一年分という意味もあるけど)。

 何となく敗北した気分を取り戻すべく、@ぴあとe+で、オペラの公演予定をチェック。確実に幸せになれそうな演目として、プラハ国立歌劇場の「魔笛」を予約しておく。来年1月に自分の仕事がどうなっているかは不安だが、土曜だし、多分大丈夫(だろう)。パパパパパパパパゲーノ。

 

 「本当のアールグレイ 」を求めて(レピシエだより7月号)。

 グレイ伯爵は中国に行ったことは無かったとか、割と意外な話も。特に、元祖アールグレイ、即ちグレイ伯が好んだお茶とは、当時のラプサン・スーチョンだった、というのは、紅茶好きなら、へええ、とボタン連打してしまう結論だった。もっとも、これを機にレピシエで再現したという「本当のグレイ伯爵のお茶」は、それはやっぱりオリジナルとは全く別物ではないかと思うのだけど…

 でも、アールグレイは夏向きの紅茶だし、今度、一度試してみても良いかも。

 ちなみに片岡物産のトワイニングのQ&Aページには、アールグレイの由来として、いかにも眉唾めいた伝説が書いてあって笑った。「秘伝のお茶」って 一体…

 

6/26

 平日が煮詰まってきた分、土曜に目を覚ます時間が段々遅くなってきて、起きてみると午後1時過ぎに。何処に出掛けるという気力もなく、ここ2週間溜まっていたものを見ている内に一日が終わる。というわけで、たまにはとりとめもなく、TVの感想でも。

 

 「ウルトラQ dark fantasy」第12話「夢みる石」。

 どの回が駄目というより、全体の平均点の低さに、もう見放すべきかと毎回考えてしまうこのTVシリーズだが、今回は、まぁまぁ。こういう子供視点の話をもっと取り入れた方が良いのに。

 脚本は、比較的好印象だった「送り火」の太田愛。と並べて初めて気付いたけど、「送り火」の赤目とか、「恐い感じの変な男」を出す、というのがこの人の「非日常」なのかも。監督は鶴田法男(だけど、ホラーではなかった)。

 ところで、「非日常」へのトリガーが人の「欲望」ばかりというのが、このシリーズの世界観の貧しさを象徴している気が。人間が理解し得ない事象や存在に遭遇する話とか、もっと他にもやりようが有るだろうに。まるで深夜ドラマのようなB級さだ、って実際そうなんだから仕方ないのか。

 ところで、今回のタイトルはスタージョンのもじりなんでしょうけど、石それ自体は夢見てないじゃん(^^;;

 

 KURAU Phantom Memory」第1話。監督は入江泰浩。なので、「エイリアン9」のように、気弱な少女が「ひえええ〜ん」と情けない悲鳴を上げて敵から逃げまくるような作品かと期待?していたのだけど。蓋を開けてみたら、主人公の少女は絶対怪我しないと豪語していて、実際、無敵設定っぽいので、何というか「応援してあげたくなる」気が全然しません。

 というか、何故、Aパートの年齢のまま父娘モノを暫く続けない?

 サイトを見ていて、OPが新居昭乃の文字が目に入り、そういえばそれもポイントだったと思い出したが、聞いた記憶がまるで無いのも当然、第1話には付いてなかった。来週に期待。それにしてもOP曲のタイトル「懐かしい宇宙(うみ)」って1st Album「懐かしい未来」と同じだ、と思ったけど、それはそれで良いのです。

 

 「人間講座:おもかげの国 うつろいの国」。前にも書いたように、講師は松岡正剛。第2回まで見た。内容的には、本で読むのもTVで見る(聞く?)のも変わらないので特に言うことはなし (NHKだけあって、資料画像が国宝級のモノでもぽんぽん出てくるのは大きなメリット)。ただし、氏の声を聞いたのは初めてだが、正直言って魅力的な声とは言い難いかも… いや、別に俳優でもアナウンサーでも無いので、文句を言う筋合いではないけど。  

 初回は嵯峨野の宝厳院、2回目は東山の霊鑑寺にて収録。どうやら、収録場所は、京都の寺社(の普段入れない場所)で、しかも、毎回、別のところらしい。何て羨ましい企画なんだ。3回目の予告は上賀茂神社みたいだった。

 

 「美の巨人たち」。今回は美術館の絵ではなくて、何と「フンデルトヴァッサーハウス」。3年前、ウィーンにツアー旅行で行った際、自由行動日にふと思い立って、行ってみた場所だけに、非常に面白かった。あの建物の中はこうなっていたのか。

 あと、番組で紹介されたフンデルトヴァッサー語録も興味深かった。「直線を胸に抱くな」とのこと。要するに「曲がったことが何よりも嫌い」という人とは全く逆のタイプらしい。私もきちっと整理とか、ぴしっと直線で分割された空間とかが大の苦手なので、割と親近感を持ってしまう。まぁ、彼の渦巻きの絵はちょっと偏執狂的過ぎる気がしないでもないけど。

 ウィーンに行った時のフォトアルバム。うち、フンデルトヴァッサーハウスの写真は(模型を含めて)4枚ほどですが。

 

 「美鳥の日々」最終話。最後まで手堅く綺麗にまとめていた。

 特に、原作のエピソードの再構成の仕方(編集の無駄のなさ)は感心するほどで、「原作付き」のアニメとしてはお手本のような出来。まぁ、全体に手堅過ぎるというか、もう一歩跳び出しても…、という欲もあったのだけど、全1 3話で物語を きちんと完結させた姿勢は、フジの深夜枠を中心に、途中で破綻するのが当たり前となった昨今では、むしろ貴重ですらあるような。

 傑作とは言わないにしろ、「(普通に)良いもの」を見させて貰ったと感謝。…いや、原作を割と平気で台無しにしていた「十二国記」の悪夢から、まさか、ここまでまともな作品が同じ監督で作られるとは思ってもみなかったので(^^;;

 

 ところで、アニメ版の独自設定であるモノレールは、多分、湘南モノレールの車体がモデルだと思うのだが、やや地元民としては、見る度に妙にドキドキしてしまった。まぁ、それは「コメットさん」だったり「ふたつのスピカ」「花右京メイド隊La Verite」だったりと、鎌倉(というか七里ヶ浜とか江ノ電と思しき風景)が舞台に出てきた時も同様に感じることなのだけど。

 ちなみに、地元民的に言えば、地味な通勤・通学路線という印象の湘南モノレールだが、公式サイトにもあるように、5000系という新型車両が今月24日に導入された代わりに、1編成だけ残っていた400系が来月4日に廃止される等、その道のファンからは ちょうど話題となっている時期らしい。あいにく、私は全然詳しくないので、そう言われてもよく分からないんですが… でも、写真とかを改めてよく見てみると、「(私にとっての)湘南モノレール」のイメージはそういえば400系のような。廃止になる前に、 その車体をもう一度見に行ってみようかな?

 

6/23

 昨日の反動で、眠いので、きちんと更新する気力がない… といいつつ、昨晩の「忘却の旋律」だけはとりあえず見たりするわけですが。

 先日、復刊ドットコムから「不帰の迷宮」の復刊希望についてアンケートメールが来た。復刊に向けて具体的に交渉が進む可能性大、と期待していいんでしょうか。押井守のエンターテインメント作品としてはベスト5に入る名作(というより迷作)だと思うので、何とか実現して欲しいところ。

 

6/22

 朝、駅前の歩道橋のあちこちに、壊れた傘の残骸が打ち捨てられていた。既に骨だけになっているのも有り、何かの生物が死滅した翌日の世界を歩いてるようだった。実は、最初に思い浮かべたイメージは、風邪で絶滅した火星人だったのだけど、あのタコ型「火星人」に、骨というのも変か。

 仕事の方は予定通り長引いたので、返ってからは何をする暇もなく。

 

6/21

 先週作ったコンタクトを台風の風の中、店へ回収に。

 左目はまだ治ってないとのことで、嵌めるのは出来るだけ短めに、と念を押される。新しいコンタクトは、度数的にはOKなのだけど、入れた感じ、右目の方が微妙に違和感。その内慣れる程度のことなのか、暫く様子見。

 あと、今回のような状況下に置ける眼鏡の必要性を強く認識させられたので、近い内に再作成してみようかと。室内のもの(TV画面とか)がストレス無く見える程度のものだけでも。週末、よっぽど作りに行こうかと思ったのだけど、コンタクトをしていないと 「眼鏡を掛けた状態」がどういう姿なのか、全然見えないことに気付いて止めた。

 

 本屋で、「時の町の伝説」とか「幽」とか小田扉の「江豆町」とかを予定通り購入。目に止まった金井美恵子のエッセイ集の新刊も一緒に買おうと思ったが、既に重かったので、保留。「幽」は、小野不由美しかまだ読んでないけど、本当にただの「怪談」だった。学校の怪談とかそういう感じの。というか、この雑誌、全編そんな感じみたいだけど。

 

6/20

 「ダーヴィッシュ」のライヴは、結局、行かないことに。

 昨年の旅行前に保険として作った1DAY ACUVUEを初めて付けてみることまでしたのだけど、このひどく蒸し暑い中、更に蒸し暑い(開場まで待たされる階段が特に)会場に出掛けると考えただけで、憂鬱になるので。それに、こういう状況では、出来るだけ早く寝て、目を休ませた方が良いだろう、という考えもあって。

 1DAY ACUVUEの方は、乱視がちゃんと矯正出来ないこともあり、遠くはやはり駄目だけど、近くなら一応見える。せっかく付けたので、溜まっている先週のビデオだけでも見るか(駄目じゃん)。

 (無事にコンタクトが入れば)明日、帰りに本屋で必ず購入するもの。「時の町の伝説」と、小野不由美の怪談が載っているらしいダ・ヴィンチ臨時増刊の「幽」

 

 あと、久々に週記を更新してみました。 8ヶ月ぶりだ… って、それはもはや、週記でも月記でもなくて、半年記とか年記とかそういうものでは?

 

6/19

 そんなわけで。仕方がないので、鈴木祥子のライヴCDを聴いたりしてました。

 この「I WAS THERE, I'M HERE」〔Amazon〕 、2002年に南青山MANDA-LAで行われた4回のライヴから構成した2枚組で昨年秋に出ていたもの。

 CDでの緻密に作り上げた音も(「BLONDE/PASSION 」〔Amazon〕 のように)凄いとは思うのだけど、彼女の声の深さはむしろ、こういうシンプルな弾き語りでこそ直接、堪能出来る気がする。聴いているだけで、心の隅々まで 潤される。というか、何で私は鈴木祥子のライブに行ったことが無いんだ!と自分に腹を立ててしまう位、良かった。

 「優しい雨」といったセルフカヴァー、カヴァー曲中心の1枚目も良いけど、2枚目の前半、5月のライヴは9曲も収録しているだけあって、 素晴らしいの一言。懐かしの「Sweet Thing」「ラジオのように」から、ゲストのbass clarinetとの掛け合いが何とも楽しい「舟」、そして「帰郷」「River's End」といった彼女の声を聴かせる曲まで、ひたすら至福の時間。

 いつかは、必ずライヴに行って、彼女の声を直に聴こう。と改めて決心。

 

 ちなみに、こんな状況なので、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの新刊「時の町の伝説」〔bk〕はまだ買いに行ってません。

 

6/18

 コンタクトは(度が強いので)要注文ということで、月曜の帰りまで受け取れず。それと眼科医からは、左目に傷が有るので、一週間位、コンタクトするな、と言われる。まぁ、 いつもそうなので、予想はしていたことだけど。とはいえ、多忙な中、合わない(眼鏡だと乱視が上手く矯正出来ないのだ)眼鏡で一週間も仕事は出来ないので、そうも言ってられない。

 ともあれ、この休日中位は、コンタクト無しで(使い捨てのコンタクトも使わずに)過ごして目を休養させることにしようかと。…となると、何もすることがない、というか、全く何も出来ないんですけど(ちなみに、裸眼の視力は多分、0.02とかそんなものかと)。いかに、自分の生活が「目を使うこと」だけで成り立っているかが、こういう時、よく分かります。

 届いたばかりの「リゴレット」「トロヴァトーレ」のDVDとか、教育TVで先日放映した緒方拳と串田和美の「ゴドーを待ちながら」とか、この週末、見ようとしていたものも結構有ったのに。

 出来ることといえば、音楽を聴くこと位か、せいぜい。不幸中の幸いで、ちょうど鈴木祥子や岡崎律子のCDを購入したところだし。日がな一日、「フルーツバスケット」のサントラを無限ループとか(く、暗い…)

 あ、そういえば、日曜の夜は、CLUB QUATTROに「Dervish」のライ ヴに行く予定だった。この状態で行くのは億劫だなぁ… というか、行ってもほとんどく見えない(^^;; まぁ、見に行くんじゃなくて、聴きに行く、と割り切れば良いのかもしれないが。

 

6/17

 ツイてない一日。

 毎朝乗るバスが何故かいつもより早く行ってしまい、仕方ないので、次のバスを待っていたら、今度はダイヤより遅れて来て……というところまではよく有ることだけど、ようやく駅に着いたので降りようとした際、遅れているせいか強引に早く降りようとした若い男が私の前で吊革を強く手放したため、それが左目を直撃、そのはずみで、コンタクトが飛んでしまった。

 お陰で、今日一日、片目だけで仕事する羽目に。幸か不幸か、裸眼では何も見えないほど悪いので、そういうことも不可能ではないのだけど、その代わり、酷く疲れた…

 はぁ。コンタクトを落としたのなんて、この十年間、一度も無かったのに… 大体、その男が、自分のしでかしたことを何も分かっていないままなのが、全くもって納得出来ない気分(その時点では、ズレただけかもしれなかったので、文句も言えなかったのだ)。末代までも呪われてしまえ。といった呪詛を唱えたくなるのは、こういう瞬間なのかも。

 とりあえず、明日の帰りに作り直す予定だけど、それまでは、明日の仕事も、(乱視が矯正出来ず)全然役に立たない眼鏡で何とかするしか無いのだった。

 

 という暗い話だけでは余りにもどうかと思うので、最近、たまたま見掛けた展覧会、というかイベントの情報でも。

 「夜想リターンズ展」。ペヨトル工房・全ブック展とか。こういうのがもの凄く好きな人もいるだろうな、ということで。

 

6/15

 Amazonの1000円還元フェアでは、結局、ヴェルディの「リゴレット」「トロヴァトーレ」のDVDと、鈴木祥子の昨年出たライブ盤とか今年のシングルとかいった、買おうと思ったまま買いそびれていたものをまとめて購入。…やっぱり、Amazonに良いように踊らされているのかも。後者の中に、「おすすめ」の岡崎律子「レイン・オア・シャイン」を加えてしまう辺り。

 

Essay 吉野朔実 「お母さんは「赤毛のアン」が大好き  角川文庫

 外出時に本がないと不安、とか本読みなら誰にでもある各種の「あるある」体験を紹介するエッセイ(漫画)。良くも悪くも、雑誌向きの軽さだなと思ったら、やはり「本の雑誌」で連載していたものらしい。というわけで、内容的には、特に言うほどのことも無いのだけど、個人的に、ちょっとツボにはまった箇所があって。

 「私はこれを“読み切った自慢”」を周りの男性に聞くという、それ自体は余り面白くもない回の中で、穂村弘が「尊敬する坂口安吾の驚異的駄作長編『吹雪物語』、…を50ページでやめちゃったからなぁ」と「読み切らなかったもの」を勝手に話すところ。

 しかも、同じお題の女性編では、「あの『吹雪物語』も全部読みましたよ」「面白かったの?」「駄作ですね」(きっぱり)という方も出てくる。

 そうか、やはり、「吹雪物語」は皆躓くのか。私も、坂口安吾は学生時代の一時期、(奥さんの「クラクラ日記」も含め)ほぼ全て、一気に読んだような気がするのだけど、そういえば、「吹雪物語」だけは読み掛けたまま放置していた。だって、つまらないし(^^;; いや、読むのが困難というわけではなかった(と思う)のだけど、それ以外の圧倒的な面白さと比べると、いかにも文章が死んでいるというか、どうでも良いというか。その内にいつか、と思っている内に読んでないことすら忘れていた、つい昨日、この本を読むまで(^^;; 恐らく、最後まで読むことは一生無いだろうなぁ…

 ちなみに、坂口安吾が「吹雪物語」を書くために、京都に移り住み1年暮らしていた日々を語った文章は勿論読んでいて、そちらの方は面白かった。京都弁の会話を書くためには生活しなければ駄目だと真剣に思い込んで、京都に来るのだけど、半ば駄目人間的に、無為の日々を送っただけだった、という話。

 私が感心したのは、1年住めば、何とか京都弁の会話で小説が書けるようになる、という考え方で、というのも、私はその頃、京都に(5年間も)居たのだけど、ネイティブ京都人の 各年代の会話を正確に再現するなんて、とても無理だと思っていたから。…いや、まぁ、別にそういう小説を書こうと思って暮らしていたわけではないけど。

 

6/13

 昨日の展覧会の感想を書いてみたら、妙に長くなってしまったのは何故?

 これだから、書こうと思った物事の1/10も書けずに終わってしまうわけで。もっと書く時間を捻出するか、簡潔に書けるようにするか。前者は物理的に難しいから、後者を努力するしかないのだけど…

 

 本屋で久し振りに、NHKの「人間講座」のテキストをふと眺めたら、6月からの火曜日って、松岡正剛が講師になっている! しかも、当然ながら、既に放送開始しているし。でも、NHKの良いところで、今週、再放送があるので、とりあえず見てみようかと。

 

6/12

 誕生日、でした。多少思うところを書いてみようかと思っていたのだけど、前日分が予想より長くなった間に、今日という日が終わってしまったので(^^;、取りやめ、もしくは延期。

 

Art 再考 近代日本の絵画 第一部 東京藝術大学大学美術館 2004.4.10〜2004.6.20

 随分前にチケット屋で購入していた二館共通の「招待券」を改めて取り出すと、狩野芳崖の「悲母観音」の絵が載っていた。しかも、「展示期間 4月10日−5月16日」の断り書きが。うわ、気が付かなかった。そんなことなら、前半に行っておくんだった。と思ったが、代わりに菱田春草の「水鏡」が見られたので、良しとしようかと。

 「水鏡」は、長衣を身に纏った女性が紫陽花の咲く池に映る自分の姿を見下ろしている作品で、堂々たる大作。明治三十年の制作らしい。後年の「落葉」のような枯れた美しさとは違い、瑞々しい曲線美が魅力的。日本画というより、むしろミュシャを思い出すんだけど、と思いながら、ふと西暦を見ると1897年。そうか、明治三十年と言われるとピンと来ないけど、実はアールヌーヴォーと同時代なのか。なるほど、納得。

 ところで、「水鏡」という響きと描かれた女性の神々しさから、「水月観音」を連想したのだけど(「建長寺展」で見た東慶寺の水月観音像が、アールヌーヴォー的な、極めて優美な姿だった記憶もあって)、別にそういうわけでは無いのかな? 和装の図像学は、西洋のそれ以上に全然分かってない私。

 1階の洋画のメインは、やはり黒田清輝の「婦人像」か。なまじ、出だしが良いだけに、その後の中途半端な洋画群が見ていて辛かったりするわけですが。特撮映画のポスターみたいな、油絵で描いた日本神話(龍とか)の歴史主義絵画は、むしろキッチュなおかしさが楽しめる、と言えなくもないのだけど。

 3階は、「風景論」と称して、様々な風景画を日本画・洋画問わず、(岸田劉生の切り通しの絵のように特権的な風景から、全然有名でない風景まで)雑多に並べている様が、面白かった。一応、「郊外風景」とか「都市風景」とか方向性毎に分けられていたけど、「超現実的風景」は日本の場合、底が浅いよなぁとか、感じることが多かった。

 

 なお、会場一杯の風景画の中で、私の「わはは大賞」(?)は、鈴木信太郎(1895-1989)という人が描いた「東京の空(数寄屋橋附近)」に差し上げたい。

 都市の上空に大きなアドバルーンの丸い風船が幾つも浮かんでいる、アンリ・ルソー的なヘタウマ絵で、アドバルーンの馬鹿みたいな大きさがまず笑えるのだけど、何と言っても笑いのツボに嵌ったのが、画面左の気球から 伸びている布に書かれた言葉の「しかも彼等はゆく」。

 1931年という制作年からは、「有楽町で逢いましょう」的な、商業的な宣伝文句というより、軍人になろうキャンペーンか、あるいは大陸で活躍しようとの誘いか、いずれにしろ、戦争に突入していく悲しい時代の一齣を図らずも写し出していると考えられるのだけど。そうは言っても、実際に絵を見ると、妙におかしい。

 ちなみに、「彼等はゆく」から連想したのは、P.K.ディックの世界によく出てくる「火星に行こう」広告(「ブレードランナー」では飛行船の側面だったっけ?)。世界が行き詰まっていると、別世界に新天地を求めるというのは、まぁ、洋の東西を問わず、お約束なのかも。でも、それにしたって、いきなり「しかも」はないだろう。

 3階の奥は「静物論」、即ち静物画が若干。高橋由一の「鮭」が、御本尊のように、正面奥に掛けてあった。速水御舟の柘榴は流石に上手かった。

 

Art 再考 近代日本の絵画 第二部 東京都現代美術館 2004.4.10〜2004.6.20

 最初は芸大の歴代の卒業生達の、学生時代の自画像。基本的にどれもオーソドックスな描き方をしているので、ここから、その後の活躍度合いを判断するのは難しい。上手いと思った人が全然無名(わたし的に)だったりするし。結局、岡本一平の自画像はなるほど、岡本太郎と目がそっくりだな、とか絵の本質とは全く関係ないレベルで、眺めていた私。

 一人だけ、完全な横顔で描いていたのは岡鹿之助。しかし、後ろ姿で描く、というひねくれた人物はいなかった。まぁ、それだと点を貰えなかったのではないかと思うけど。

 というわけで、第二部は途中まで人物編。その後は、戦争画になったり、日本ポップだったり、現代美術の歴史を、駆け足で一回り、という感じだったので、現代美術の展覧会を見た時に必ず感じる、ある種の徒労感を抱いて退場。岡本太郎のジッパー付きのサメ?の絵を実際に見たのは初めてだったので、それは良かったけど。

 ついでに、今回初めて常設展まで見る。こちらの方が駆け足でない分、徒労感が少なかったかも。中でも、サム・フランシスの部屋は開放的で、結構良かった。

 そういえば、会期末期だから多少は混んでいるかと覚悟していったのだけど、第一部、第二部ともにガラガラだった。 藝大美術館の次回「横山大観「海山十題」展」は、また激混みなんだろうけど。

 

6/11

 今日の教育TV「世界美術館紀行」は、ロンドン・ナショナル・ギャラリー。

 「募金箱が救った名画」というサブタイトル通り、一般の人々の寄付で、名画の海外流出を防いできた歴史を紹介。なぜ、流出の危機が再三起こるかというと、展示されている名画の中に、所有者(貴族)から「寄託」されている作品が多いから。大英帝国の衰退と共に、お金のあるところ(アメリカ)に流れていった様は、メトロポリタン美術館の話で、名画を買いあさった大富豪の回で聞いた通り。

 美談、なのかな? 募金の寄金が百年前、最初に取り組んだ、ホルバインの婦人像の買い取り防止計画が、目標額の半分にも届かないままのタイムリミット直前、「永久に匿名にする」という条件で、ある夫人が4億円の小切手を送ってきた話とかは、格好良いエピソードだし。

 ただし、近年、50億円を見事に集めて(その半分が、民間からの募金)、ラフェエロの「聖母子」の流出防衛に成功した話などは、外国人の私としては、ラファエロがどこにあろうと別に良いじゃんか、という気も。芸術作品は後世に受け継ぐことは重要でもどこの国が持っているかなど問題じゃない、と思ってしまう私は、「ギャリーフェイク」のフジタの発想に染まりすぎているのだろうか。大体、あんたらイギリス人も昔、(植民地を搾取して築いた)金で、どこかの国の貴族から、このラファエロを買ったんでしょうが。

 とはいえ、感情的なナショナリズムだとしても、国民の一人一人で、名画の所有を支える、という社会の姿というのは、確かに羨ましいものが。ナショナルトラスト運動とかもそう。日本では絶対、無理だと思うけど。文化を享受するのに自分達でコストを負担するのが当然だ、というより金を払うのは馬鹿だ、という風潮の国だからな。

 もっとも、かくいう私自身、募金とか署名とかいう個人の善意が総体で何かを成し遂げる、という思想は馴染めないし、信用出来ないのだけど。日本の場合、本来、個人の意思(=責任の表明)の総和であるべき活動が、「皆」の意見(=無責任な賛同)の強引な押し付けにしかならないようなので。署名活動というものは特に。

 

6/10

 久し振りにユーロスペースの近くに寄ったので、外のチラシ置き場を覗いてみると、ぴあ主催の「テオ・アンゲロプロス映画」なるイベントのチラシが!

 おおっ、全長編の上映だ。ってそれは良いけど、平日の一週間じゃあ、暇を持てあましている学生か老人以外、通えないスケジュールのような。

 大体、アンゲロプロスが映画の最前線だったのは30年位前の話であって、今観るべき作品は別にあるのでは、という気もしないではないけど、「霧の中の風景」までで止まっている私は偉そうなことを言える立場ではないし、それにTV画面で観るのが最も不向きな映画である以上、こういう機会でも無ければ、(特に初期作品を)観ることはまず無いわけで。

 と考え、劇場未公開の「再現」「1936年の日々」が上映される最初の土曜日だけでも観に行くことに決定。勢いで土曜の4作品全部、前売りを購入してしまう(^^;;

 会場は、東京国際フォーラムのD1。座席数132席って、ミニシアター並? というか、前売りが残っているということは、アンゲロプロスなら絶対行くという人間が、この東京に132人もいない、ということ?(^^;; (まぁ、イベント自体、世間にまだ知られていないだけなんでしょうけど)

 もっとも、20人限定のフリーパスチケット(1万円)は既に売り切れなので、凄く熱心なファンも「20人以上はいる」らしい。

 

 ところで、チラシ置き場の中で一番気になった作品は、(ユーロスペースで秋に公開予定の)カフカの「変身」。中身を敢えて公開しないことで興味を引こうという策略なのか、監督・キャスト等すら一切載っていない謎チラシ(配給元パンドラのサイトでも同様)なのだが、実際問題、あの「変身」をどうやったら映画化出来るのか、すごい謎。

 リアルに毒虫(原作自体、甲殻が有るのに、脚が沢山という謎の姿だけど)を再現したら、キンチョーのCMのような着ぐるみ映画か、あるいはクローネンバーグ風味なドラッグ幻覚映画になってしまうとしか思えない(後者は、それはそれで「有り」?)。

 私がやれ、と言われたら、本人は普通の姿のままで、周りの反応だけを変えるとか。壁に映った影だけ、沢山の脚が蠢いたりして。それじゃ、昔の特撮番組のセンスか。

 

6/8

 読んでから、出来る限り間を空けずに、感想を書く練習。

 

Novel 梨木香歩 「エンジェル  エンジェル エンジェル  新潮文庫

 「…コウちゃん、神様もそう呟くことがおありだろうか」「私が、悪かったねえって。おまえたちを、こんなふうに創ってしまってって」

 梨木香歩との相性はかなり微妙で、「西の魔女は死んだ」は勿論、「裏庭」だって(その欠点も含めて)大好きなのだけど、代表作と言って良い「からくりからくさ」は、読むのが苦痛という位、私にとっては全然駄目だった(続編の「りかさん」は普通だったけど)。というわけで、毎回、期待と不安で半々の状態 から読み始めるのだが。

 この作品は、割といけた。というのはやはり、悪意の話だからか。「世界を二分すれば悪」の方に間違いなく立っていると思われる私としては、今まで、そのいかにも優等生的な世界が肌に合わなかっただけに、今回ようやく自分の方まで落ちてきて(堕ちてきて?)くれた、という親近感。( いや、まぁ、優等生の不良振りは、所詮、こんなもんか、という気もしないでもないけど。それはそれとして)

 ただし、「さわちゃん」の話としては満足だけど、「コウコ」の話としてはキャラクター的にも物語的にも、設定上の役割だけで終わっているような気も。前者が良いだけに、惜しい、という のが正直な感想。

 

6/6

 金星の太陽面通過とか、あるいは加納朋子のサイン会とか、都合を付けて何とかしたいものが多い今週だけど、さすがにそれどころではないので、大人しく諦めます。大人だし。

 

 新日曜美術館での、森村泰昌によるフェルメールの「絵画芸術」(画家のアトリエ)の再現。

 なるほど、天井が高く見えるのは、モデルの背が低い(140cm位)ことと、視点が低いことが原因なのか。ということは、視点を仮託する第三者も子供の背の高さというわけで、覗き見アングルから最初に連想した「三角関係」路線の妄想は余り適当じゃなくて、例えば「父の背中」といったタイトルの方が「見た目」に近いということ? いや、子供の視線よりは、画家自身の視線の方がリアリティは有る気はするけど(勿論、その人物が立っていなかった、と考えれば、子供である必要もないわけで、話は振り出しに戻るのだけど)

 ちなみに、テーブルの脚は真ん中に1つあるのではなくて、4つ脚の手前の1本が見えているらしい。という発見を踏まえて、感想も書き直そうかと思ったが、まぁ良いや。

 

6/5

 どうやら無事に一週間が過ぎた様子。肝心なのは来週からですが。

 

Novel 加納朋子 「スペース  東京創元社 Amazon

 ふふふふふ。

 「ななつのこ」「魔法飛行」に続く駒子シリーズの待望の三作目ということで、今回も、広い意味での書簡体小説というか、手紙を中心にした作品なのだが、前作でお馴染みの、湘南 海岸に近い?某短大(恐らくここ)での学園生活を生き生きと語ったこの手紙の数々が、もう何というか、楽しいやら、気恥ずかしいやら。

 というのも、学生時代、少なからぬ量の手紙を(ここまで頻繁にでは無いにしろ)友人に送り付けていた覚えのある私としては、ある意味、他人事ではない気がして。あたたたた、と転げ回りそうな気分に。

 そんなわけで、喜んで良いのかはともかく、こういう状況は実に良く分かるのだけど。今の若い人からすれば、メールやネットどころか携帯電話すらコミュニケーションツールとしてまだ存在しなかった時代の話というのは、 まるでファンタジーのように感じられるのかも、とふと思った。かく言う私も、こういう私的な手紙を書かなくなって既に十年近くになる。

 ただ、誰かに宛てて手紙を書くというあの頃の衝動が消え失せてしまったかというと、それは恐らく、(若干のメールと)このページに今も続いているような気はする。長い間に色々と変質して、もはや何だか良く分からなくなっているとはいえ。前作「魔法飛行」を読む度に連想する「銀河通信」の歌詞のような、誰かに宛てた手紙として(読冊日記でも言われていたことだけど)。

 

 「いちばん初めにあった海」のように、「スペース」「バックスペース」の2つのパートから構成されているが、これは両方有って初めて成り立つ作品なので、一度に読めて良かったというのが素直な印象。片方だけだとやきもきしたり、物足りなかったりしたと思う 。

 何と言っても、後半、強引なまでに、加納朋子的なテーマ(ミステリとその謎の解決とは、物事の裏に隠された周りの人々の暖かい気持ち−今回は恥ずかしい位に恋愛風味−に気付くこと)に引っ張っていくところが楽しい。加納朋子作品はやはりこうでなくちゃ。「スペース」だけ読んで、……?と思った人は「バックスペース」まで読むべき。あと、 ミステリ的には、前2作を読み直してから、の方がお薦め(そうしたお陰で、私も見事に引っ掛かった)。

 「手紙」の持っている特質とは、ジャック・フィニィに遡るまでもなく「時間差」のコミュニケーションという点にあると思う。書いているその時には伝わらない、という意味と、遅くても伝わる、という意味において。その意味で、今回の「スペース」はまさしく十年ぶりに届いた「手紙」という気がした。

 

 bkでは、本作品の刊行を記念した「加納朋子インタビュー」を掲載中。

 「ネタばれに細心の注意を払いつつ」というだけあって、内容には触れていないが、「スペース」の読後に読んだ方が幸せになれるかと。ちなみに、駒子シリーズに関連して、今後の情報が2つ語られていて(どちらも既報かもしれないが)、 時期的に近い方だけ言うと、「ななつのこ」の(作者が佐伯綾乃の方の)絵本を制作中だという。しかも、イラストは(当然ながら)菊池健氏とか。これは、凄い楽しみ。

 

6/2

 今月から来月に掛けては、仕事の方がいわゆる「正念場」という状況なので、更新の方はどうなるかよく分かりません。

 先月末に送別会をした上司は、今度の転勤で、住んでいる千葉から勤務先の多摩まで、東京を越えて通うことになってしまい、2時間掛かるようになった、と言うので、そりゃ大変ですね、と感心したが、よく考えてみると、今の私の通勤時間も1時間4,50分は掛かるのだった。…あんまり変わらないじゃん。

 

 加納朋子「ななつのこ」「魔法飛行」を再読。いよいよ「スペース」の番。