空の蒼さを 見つめていると


2002年9月

9/30

 注文していた「ゴーメンガースト」のDVDが届く。2枚組で、約4時間か。楽しみ楽しみ、なのは良いんだけど。…いつ観れば良いんだ(^^;; どうせなら原作も読み返したいし、などと言っていたら観るのが、ますます遅くなりそう。大体、旅行から帰ってきてから、映像を見る時間を上手く作れない状態が続いていて、未見のビデオも溜まる一方なのに。

 とりあえず、秋アニメからは少し状態を立て直そうと思っているところで、だから「ユーシィ」は今、観た(普通過ぎる出来?) とはいえ、「まほろさん」の1回目を忘れた時点で、この秋ももはや駄目な予感。

 そういう状況なので、小津安二郎の全作品を観る計画も 、1932年で止まったまま。そろそろ、復活しないと。

 

9/29

 一週間遅れだが、先週の「課外授業 ようこそ先輩」(奈良美智の回)を見る。奈良美智は、自分の過去、子供時代を振り返る作業を掘り下げることで、あの子供の絵を描いている。ということで、子供たちへの課題も、自分の一番大事な思い出の写真を選び、写真から連想することを、写真と一緒に一枚の板の上に表現するというもの。

 何でも良いから表現しろと言われても、途方に暮れるばかりで、四苦八苦する子供たち。そりゃあねぇ。子供に過去を問うてみても、それは無理というものだろう。子供には、まだ現在(と朧気な未来)しかないわけで。まぁ、奈良美智本人も、番組の最後で、子供には難しい課題過ぎたと反省していたようだけど。

 

Book  荒川紘 龍の起源  紀伊國屋書店

 この本に関連した話題で、天使の羽の話は前に書いたけど、本の感想自体は、書いたつもりで、忘れていた。

 別に新刊ではなくて、6年前の本。「北京故宮博物院展」を見て、龍とは何か、が急に気になったので、次の日に本屋で購入。 前から読もうとは思っていたのだが。

 龍に当たる物と言えば、大きく分けて、東洋の「龍」と西洋の「ドラゴン」。片や権力の象徴、片や退治される反権力の象徴と、その性格は大きく違う。また、四大文明の内、インドやエジプトには、「龍」は生まれなかった。それら歴史的な違いの理由を様々な文献を通して明らかにする、文字通り、「龍の起源」について書かれた書物。

 その明快な説明振りには、目から鱗が落ちまくる。大雑把に要旨を述べると、龍とは、政治化された蛇であるという。治水を通して確立した権力の比喩。それが、メソポタミアでは退治される側となったのは、先住民族を駆逐する形で乗り込んできた支配者層が、先住民族が畏怖崇拝してきた蛇を悪役として、しかも強大化させた敵として 、神話体系に取り込んだから(ちなみに、新支配者層が新たに大事にしたのは、牛の神であり、馬の神)。そして、その後も西洋では、キリスト教の中で龍は「退治される悪」として受け継がれていく。それに対し、中国ではそういう征服王朝の正統性ではなく、治水それ自体から来る王朝の正統性の象徴として龍が考え出されてきた。

 一方、インド、エジプトに何故龍が生まれなかったかというと、そこには獰猛なコブラが生息していたから。従って、あえて想像上の龍を考え出す必要が無かった(サンスクリットの「ナーガ」も、本当はコブラの姿をしていて、決して龍ではないのだが、中国で「ナーガ」を翻訳する 際に、中国古来の「龍」という概念を当て嵌めたらしい)。

 全体に、元より証明は難しい、大きな仮説とでもいうものだが、少なくともその明快さには、感心。しかし、話が日本に進むと、その割り切り方に、やや疑問も。例えば著者は、出雲の八俣大蛇と三輪山の蛇の話を、機能的に同一として、同じ話の舞台設定を変えただけとするのだが、…そんなに割り切って良いものか。八俣大蛇については 製鉄文化との関係とか、色々あると思うのだが… この辺の下りを読んでいると、明快すぎて嘘っぽい、というのが正直な感想。

 でも、機能的な分析の中で、河童は零落した龍の末裔である、というのは、なるほどと思った。

 どこまで本当として信じるかはともかく、龍について考えるのであれば、一度は読んでおくべき一冊かと。

 

9/28

 椿山荘に行く用事があったので、目白駅で初めて下車。…学習院って、駅前にあったのか(無知)。

 昔、何かのはずみに、ランドセルの語源を調べていて、学習院が、生徒に馬車での通学を禁じ、(学用品を背のうに背負って)歩いて来させるようにしたことが、そもそもの始まり(クラリーノの「ランドセルの歴史」)というのを知り、色々と感心したことがあるのだが、駅からそんなに近いのなら、歩いても大したこと無いじゃん、という気が。この指示が出た明治18年に、目白駅も出来たらしいし。まぁ、各自の家(多分、武家屋敷みたいな所だ)から最寄り駅までが、遠かったのかもしれないけど。

 ところで、最近はランドセルって、流行らないんでしょうか? 朝、通学中の小学生とすれ違うのだけど、皆、デイパック系で、ランドセルを背負った子を見掛ることは滅多にないので。ひょっとして、ブルマー同様、絶滅危惧な学校用品?

 

Art 大正・昭和初期の 東京画壇  講談社野間美術館 2002.8.31〜2002.10.20

 というわけで、ついでに。隣は、大安のためか、芋を洗うような(間違った比喩)賑わいだったが、こちらは私がいる間、他に誰も、観覧者は現れず。

 タイトル通り、当時の帝展、院展らで活躍した画家の作品を20点ほど。やはり力はある大正時代の大観とか、色気有り過ぎで困ってしまう鏑木清方とか、あるいは御舟の梅の絵とか、数が少ない割には、見た気にはなれたかなと。一番、印象的だったのは、荒木十畝「黄昏」という絵。…知らないけど、上手い人はいくらでもいるものです(だから、それは単に無知なだけ)。

 

9/27

 数日前、前の席に座っている派遣社員の女性(前回、女の子、と書いたような気もするが、実は、私と歳が大して変わらない)が、ハガキを前にして、何やら考え込んでいる。理由を聞くと、逆に「 コンサートの抽選ハガキなんですけど、こういうのって、年齢って関係有ると思います?」と訊かれる。え? 歳が、抽選に何か関係したっけ ?

 「ほら、会場のノリとか考えて若い子を中心に選ぶとか」「…あ、それはあるかも」「十代の方がやっぱり選ばれ易い、とか有りますかねえ?」「でも、そう書いて、周り全員十代とかだったら、絶対、言い訳出来ない気がするけど」「そうですよねぇ… その場合は、妹の代わりに来ましたと言い訳をするとか…」

 で、今日、彼女から、結局、どうしたのかを聞く。「21歳で出しましたよ。それなら、おかしく見えないと思って」 ……突っ込むべき言葉を何種類か思い付いたが、口には出さない私。

 「ところで、それって、誰のコンサート?」「たっきー&翼ですよ」「…誰?」

 いや、ジャニーズ系だということ位は薄々知ってたけど。私は、光GENJI全盛期に、学校から帰る小学生が「げんじが…」と話しているのを聞いて、最近の小学生の間では「源氏物語」が流行っているのか…としばらく思い込んでいたことがあるくらい、そっち方面には疎いので す。

 信じられない物を見るかのような眼差しをした彼女からは、すぐさま、机の中から取りだした写真集で、レクチャーを受ける。 なるほど、彼らですか。というか、何故、すぐに写真集が出てくるんだろう。常備している?

 

9/26

 久々に、昼休みに、昼食を犠牲にして、美術館に行く試み。

 

Art 仙酷W  出光美術館 2002.9.7〜2002.10.6

 見ていると笑わずにはいられないくらい、おかしくてしょうがない。といっても、ガハハハハという笑いではなくて、うひゃひゃひゃひゃとか、ふへへへへとか、気の抜けた笑い。

 有り難く言えば、禅宗の高僧(本当)が描いた禅画で、まるで童心のような無心の境地に達している、と言えなくもないけど、それは子供の絵を有り難がるような間違いで、もっと単純に、ただおかしい。へたうま絵の元祖みたいな人。というか、モナー系AAのようなイラスト、といった方がよく分かるかも。

 しかも、へろへろな線で描かれた絵の隣に、ひょろひょろとした線でのたくってる言葉がまたとぼけていて、相乗効果で、見る人を脱力させること請け合い。

 桜の下、芸者のような女性と一緒の花見客の絵に、「花の下より、鼻の下」とか、老人の絵に「死に来て志ぬ時ならハ志ぬかよし、志にそこなふて死なぬ尚よし」とか。

 「白隠より、断然、仙高セね」と横で見ていた女性が連れに話していたけど、全く同意。将来は、こういう、とぼけた老人になるのが密かな夢なんだけど。凡人には難しそう。

 

9/25

 やっぱり、部屋の大掃除を一度しないといけない気がします… もはや、床の上に本を積むスペースもなくなってきたし。

 

Novel 加納朋子沙羅は和子の名を呼ぶ 集英社文庫

 実は、文庫版が初読。いや、単行本も刊行時にすぐ買って、「エンジェル・ムーン」まで読んで…部屋のどこかに置いたまま、それ以来、行方不明。忘れてたけど。

 そんなわけで、結構、新鮮でした。「ささら さや」は、この延長線上の作品だったんだとか(今頃、気付いても遅い)。ミステリーというよりは、ファンタジーと捉えた方が相応しい短編の方が多いけど、純然たるファンタジーとして上手いわけでは必ずしもない。だけど、加納朋子の小説としては、これで良いんだろうな、とも思ったりも。

 今年の、金木犀の香る頃の新刊は「虹の家のアリス」。「アリス」の続巻か… 前巻は、全体としては今一つ物足りなかった覚えがあるけど、今度はどうなんだろう?

 

 アイルランドの旅行記も終了したので、この際、以前から考えていた試みを開始してみることに。後ろ向きな企画なので、告知は今日のみ。大昔の旅行記です。

9/24

 春信の展覧会の話の続き。というか、単なる余談。

 展示されていた中の、五常(仁・義・礼・智・信)を題材にしたシリーズ。そのうち「義 」の絵に描かれている2人は、(春信らしい中性的な人物像で、一見、若い娘たちに見えるのだけど)実はどちらも男娼なのだという。

 解説によると、「江戸時代、女色よりも男色の方が高尚だと見なされており、忠義は男性同性愛の究極であるとし、人間の恋愛の最も激しい形が主君に対する忠義であると考えられていた」ところから来ているらしい。……はぁ、そうなんですか。これからは、忠義とか、義士とかいった言葉を目にする度に、何か違うイメージを思い浮かべてしまいそう。

 ということは。「義を見てせざるは勇なきなり 」という言葉も本当は、「部下や後輩といった年下の同性から迫られた時にそれに応えないのは、いくじなしだ」という意味なのね(違います)。

 

9/23

 映画「ロード・オブ・ザ・リング」の「字幕改善連絡室」より、VHS版(レンタル版)の「字幕全文比較」(ar氏製作)。予想以上に、全文に渡り大幅に改善。これなら、DVD版を購入しても、観ていてストレスを感じることは 余り無さそう。あとは、2作目以降の字幕がこの水準で作られるかどうかと。

 放ったらかしにしていた展覧会の感想を補記。16日分と22日分。…春信は、こんなに熱を入れて書くつもりではなかったんだけど。でも、良い展覧会なのは確か 。

 

9/22

 アイルランドの旅行記、ようやく終了 。8/11分で最後。やれやれ、という感じ。全体を通して、ご感想等あれば、ぜひお願いします。

 

Art 鈴木春信−江戸のカラリスト登場  千葉市美術館 2002.9.14〜2002.10.20

 学生時代、鈴木春信を好きな友人がいた。私はまだ江戸時代の美術に関心がなく、春信も名前すら知らなかった位で、彼もまた春信を除けば、それほど絵画好きでも無かった筈なので、何でまた、その画家なんだと、不思議に思って訊いたことがあった。その 時、色々説明を受け、特に、当時のアイドル(笠森お仙といった茶店の看板娘とか)を描いて人気を得たという話はよく覚えているのに、だから何故、春信なのか、という肝心な理由については聞いたのか、聞かなかったのか、全く思い出せないまま、今や彼の消息自体、音信不通。春信というと、それ以来、ずっと気に はなっている画家だったわけで、今回、千葉であっても見に行ったのは、そういう経緯から。

 で、実際に見てみると。なるほど!分かりましたよ、彼が思い入れしたわけが。春信の作品は、「日本的な」浮世絵なのだ。浮世絵が日本的なのは当たり前だと言われるでしょうが、浮世絵というとどうしても、後の世の写楽だとか北斎だかいった人の、ケレン味溢れる、誇張に満ちたものを想像 するのが、普通。しかし、春信の画面はあくまで、優美で繊細、上品にして可憐。日本的な美意識による上品なデザインと色彩。

 例えば、非常に上質の紙を使っていることで初めて可能となる、型押しして出来る画面の凹凸だけで雪の白さを表現するというような表現の美しさ。

 それだけでなく、非常に興味深いのが、(1)春信の絵は、「見立て」の趣向を凝らした、知的な楽しみを与えてくれるものであること。(2)「見立て」るのが、どんな内容であろうと、描かれる人物達は、若い恋人達(女性に関しては、娘と呼んで良いような)であるのが大半であること。

 つまりですね、春信には、言ってみれば、今の萌え絵的なセンスと非常に共通したものがあるのですよ。勿論、オタクのパロディ好きは「見立て」の伝統だ、という程度の思い付きは、まさに思い付きで誰にでも言えることでしかないので、感心するには及ばないのだけど、しかし、春信がそういう知的娯楽を表現するに当たり、あくまでも「娘」姿で表現したこと、それを当時の富裕層が競って買ったことについては、やはり注目すべきなのではないかと。

 信長に仕えたルイス・フロイスの文章に、『日本人は、玄人の芸より、素人、子供といった未熟な存在 の方を好む』といった趣旨の記述があるのを読んで以来、そういう未成熟好きは、実はかなり筋金入りの、日本人の根本的な性格なのではないかという仮説を、私は密かに抱いている。身も蓋もない言い方をすれば、日本人は歴史的に、ロリコンであることからは逃れられない、というか。

 春信は、そういう日本人の性向を、上手く商品化してみせた最初期の画家ではないかと思う。繰り返しになるが、市中のアイドルのグラビアを商品化した画家なのだ。だから、春信の絵は、今の私達が見ても、よく分かる。可愛い娘を可愛く描く、というだけの目的で描いた絵だから。そして、それに知的な意匠というフィルターを掛けてみせる。まさに今の私達ではないか。

 とりあえず、私も(画集くらいは)少し集めよう、と思った。

 展示されている中で、とりわけ良い品は皆アメリカの美術館蔵になっていて愕然とするとか、春信から錦絵の素晴らしさを江戸の人達は知った筈(今どきの端麗なCGを見るようなものだったかと) だとか、他にも色々話題はあるのだけど、ここまでで充分長いので、私もかつての友人のように、春信の名前だけでも定着させることが出来れば、それで良いやと。

 図譜によると(この図譜は、厚さ3cm、重さ1.6キロという超力作!)、千葉の後は、山口で展示するそうなので、どちらかお近くの方は見に行ってみては? 上のような話は置いておいて、日本の版画はこんなにも優美なのかということを堪能出来ると思うので。

 あと、千葉では、同時期に収蔵品展として、応挙の襖絵を公開しているので、応挙好きな方も足を運んでおいた方が吉。

 

Art 英国ロマン主義絵画展  千葉県立美術館 2002.8.24〜2002.10.6

 ↑を見に出掛けようとして、家人から声が掛かった。「県立でも、何かやってるらしいよ。日曜美術館で紹介してた」「何かって言われても。何?」「えーと、ビクトリア…」「ポター?」

 というわけで、こちらにも足を伸ばしてみる。それにしても、閉館時間16:30って早過ぎ。やる気なさ過ぎだ。必死の思いで、16時2分前に何とか到着。

 ちなみに、正解は、ピーター・ラビットでは無くて、「ヴィクトリア&アルバート美術館」所蔵の「英国ロマン主義絵画」の展覧会。

 見ていて、英国というのは、美術的な国では無いなぁ、と改めて思う。昔、ルーブル美術館で、フランスのアカデミックな絵画の大半は退屈極まりないという感想を持ったことがあるけど、英国の絵画は退屈ですらない、というか。そりゃ、確かに、ターナー、コンスタブル、ブレイクと名を並べれば、それなりに有名ではある けれど、例えばターナーはそういう不毛の国で描いていたから、飛び抜けて見えるだけなのでは?というのが、前々から思っている疑問なわけで。

 よっぽど英国絵画大好き人間でない限り、他県からわざわざ見に行くほどの展覧会とは思えず。ただ、ラファエル前派の中で、バーン・ジョーンズについては、いかにも「らしい」作品が来ているので、ファンなら行く価値はあるかも。私個人としては、ビアズリーの細かく緻密なペン画を2枚見たことで、まぁ良いかな、と。

 

9/21

 久々に天気の良い、暑くない週末なので、少し長めのwalking。根岸線の山手駅から、京浜急行の上大岡まで、2つの公園を越え、3時間掛けて歩いてみる(ローカルな話題)。家から駅までも含めてだけど、15キロ以上歩いたのは、久々かも。

 などと個人的なことを何故書いているかというと、昼間のせいか、どうしようもなく眠いので、旅行記は8/10分までの更新、という言い訳。

 この中途半端な状態で言うのもどうかとは思うけど、ここまで読んで頂いた方は、以前に一度、挙げさせて頂いた風野春樹さんの読冊日記でのアイルランド旅行 編ともう一度比較されてみると、興味深い発見が色々あって面白いのではないかと。

 同じモノを見ても見ているものが違う、とかいった当たり前の話以前に、あの時のあれがここにもまた!みたいな驚きが随所に。中でも、(私の方での)最後のあれには、私も驚いたので(帰ってきてから再読して、初めて気付いた)。

 

9/20

 CDを買いに行った筈なのに、ふと見掛けた「Beautiful Dreamer」のDVDをつい買ってしまう。発売日もすっかり忘れてたぐらいで、急いで買う必要など全くないのだが。LDなら2枚有るわけだし。まぁ、久々に観てみるのも悪くないか…と思ったところで、そういえば、昨年のレトロスペクティブの際、映画館で観たのを思い出した。

 …あとは、コメンタリー音声くらい?気になるのは。付録のパンフレット復刻版は、当時のパンフレットがまだ有る者にとっては、別にどうでも良いし。

 

Art 小倉遊亀展  東京国立近代美術館 2002.8.20〜2002.10.6

 モダンな構成の「浴女」で知られる小倉遊亀の回顧展。明治28年生まれの女性だけど、つい数年前まで現役の画家だった(105歳で亡くなるまで絵を描き続けた)というのが凄いところ。それだけ長い生涯だっただけに、画風は時代毎に、結構、ガラガラ変わっているのが、面白い。

 初期は上品な写実描写の「昔風の日本画」なのだが、戦後、マティスに影響を受けたとかで、平面的で対象を大胆に捉えるような画風に変貌し、70歳ぐらいになるとまた昔風に回帰、更に晩年は体力の兼ね合いからか、目の前の静物に専念していた様子。

 正直言って、絵が天才的に上手い人とかではなかったらしい。だから、晩年の静物画には余り惹かれず。静物画、特に花の場合、上手いことは絵として最低限の前提だと思うので。花だけは、ウマヘタ絵では駄目なのですよ。しかし、初期と、回帰した時代の人物画はすごく良かった。見ていて、のほほんとした穏やかな気持ちになれる絵。「途」の一枚だけでも見に行ったかいはあったと思う。

 ところで、名前は「おぐら ゆき」と読むので、念のため。「ゆうがめ」ではないです。

 

9/19

 恩田陸「木曜組曲」読了。恩田陸にしては珍しく、最後まで安定した(一定のトーンの)作品のような。というほど、他の作品を読んでないのだけど。

 旅行記、8/9分

 

9/18

 読書リハビリ中。

 倉阪鬼一郎「活字狂想曲」、川上弘美「溺レる」読了。現在は、恩田陸「木曜組曲」(そういえば「月の裏側」も読み掛けたまま)、澁澤龍彦「うつろ舟」辺り。しかし、感想を書けるところまではまだ復活していないのだった。

 

9/17

 「橘いずみ Vivid Style 2002」 in 渋谷 club Quattro。彼女のライブに参加すると元気になる、いつもながらそんな感じ。

 特に今回はチケットを先行予約したこともあって、ほぼ最前列(正確には2列目)という至近距離で聴けたので、ステージとの距離感0という幸福を得る。

 ところで、開演前の待ち時間、一列後ろの男女の会話。彼らの会社の近況に、話題が移ってきたところで、昔聞いたことのあるような商品名が続々と。うわっ、私(の出向元)と同じ会社の人間や… しかも、詳しくは説明しにくいが、その中でも「最初から」同じの。

 思わず、背中で聞き耳を立ててしまう私。結果、現場の今の状況を少し把握出来たりしたが、こんな場所で、そんな(芳しくない)話を聞かされることになるとはつゆ思わず。中でも、「出向から戻ってきた人が最初えらく張り切っていたんだけど、付いていけなくて、皆からどうしようもなく駄目人間扱いされちゃって」とかいう話、何だか非常に他人事でないような気がするのだけど、気のせい? …まぁ、私の場合、戻っても、えらく張り切るつもりなど元より無いけど(余計悪いような)。

 でも、橘いずみのライブに参加するような人間が、この会社に他にもいた、ということ自体は、少し嬉しかったかも。

 

9/16

 雨の中、世田谷美術館まで。若い時のミロ展。ちなみに、小さい頃のミロは内気で病弱な少年だったそうです。なんだ、強い子のミロじゃなかったのか。

 

Art ミロ展 1918-1945  世田谷美術館 2002.7.27〜2002.9.23

 若き日のミロは、色々試行錯誤していたんだな、というのが、よく分かる展覧会。セザンヌ風とか。キュビズム風とか。モダンアート見本市みたい。ただし、そこからいわゆるミロ的な作品にどうやって移っていったのかは、見ていてもよく分からず。シームレスに、気が付けばそうなっていたというような感じ。

 若い頃ということで、てっきり代表作の「農場」が来ていると勘違いしていた、ということもあるのだけど、個人的には、物足りなさが残った展覧会。全体的な点数も中途半端だし、いわゆる「ここからミロの時代が始まる」というところで出口になってしまう構成には、そりゃないぜ、セニョリータ!と嘆きたくなる。…セニョリータって誰よ?

 いや、そこまでの時代を見せる展覧会だというのは、分かるのだけど。学芸員が頭で並べてみせた、という感じが強くて。

 ただ、子供の落書きみたいな版画群は良かった。画面全体に「かいじゅう」としか言いようのないものが描かれている絵とか。普通、描けません(^^;; 何だかんだ言って、ミロの絵は楽しいのだけど、それだけに、感覚的に心地良い展示に徹するか、分析と考察を前面に押し出した展示にするか、もっと思い切りの良い見せ方をして欲しかった。

 

9/15

 ところで、来週の「課外授業 ようこそ先輩」は、奈良美智らしいです。忘れないようにしなくては。

 連休中、私のやっていることは結局、これだけなのかと思いつつ、旅行記、8/8分。 

 

9/14

 せっかくの連休ではあるけれど、こう寒いと、何もする気力も沸かない。BSの桂林中継を見るぐらいで、終わってしまいそうな予感。

 せめて、これぐらい進めておこう、と旅行記、8/7分

 

9/13

 ハイヴィジョンでやっている中国特集を、毎日見ていました。こういうのは、さすがNHK、という気はしますね。

 

Novel 竹岡葉月 「東方ウイッチクラフト −彼女は永遠の森で−  集英社 コバルト文庫

Novel 竹岡葉月 「東方ウイッチクラフト −人の望みの喜びを−  集英社 コバルト文庫

 このシリーズに関しては、完成度とか、エンターテイメントとしての洗練さとか、正直言って、割と微妙な線上にあって(垣根の上を歩くように!)、手放しで絶賛はし難いのだけど、今までとは違う作者の良さも新たに出てきた、総体としてはここまで続けて良かったと思える作品だったかと。

 次は、このシリーズで多分学んだと思う「無駄な力を抜いた」楽しさに満ちた作品を出して貰えれば、というのが、デビュー作以来の読者からの希望。世界に対する、その まっすぐな眼差しの方は、どんな作品においても持ち続けてくれると思うので。

 

9/12

Scenario 會川昇 「十二国記 アニメ脚本集1&2  講談社X文庫

 なるほど、脚本の段階では、それなりに一貫していたのだな、ということは、読んで納得。ただし、これを忠実に?アニメ化したら、もっと面白かったかというと、疑問。やはり、杉本さん+浅野君というキャラを追加するというアイデア自体が間違っていたのでは? 発想自体は良いとしても、結果として上手く構成出来なければ、そう評価されても仕方ないかと。

 ところで、「終章」の2ヴァージョンについては、どっちでも大して変わらないと思うのだけど(なげやり)、放送バージョンの杉本さんのナレーションだけは駄目。

 大体、話法の係り結びとしても間違っているし(「第1話」もそう始まらないとおかしい)、「真実」として聞こえてしまうことを恐れて、陽子の一人称を排したのに、ここでいきなり杉本さんの「声」が、「真実」(彼女から見た真実だとしても)のナレーションとして響くのは、視聴者に混乱を招くだけ。

 登場人物の「語り」で終わる場合、それは「主役」であるか、(世界を見る枠組みとしての)視聴者が感情移入出来る「脇役」以外ない筈だけど、彼女は今まで、少なくとも後者としては描かれていない。…じゃあ、主役の方だ(笑)  一番楽に状況を説明する形がこれだった、というのは容易に想像が付くけれど、ナレーションに頼ってしまった時点で、演出以前に、脚本の不戦敗。今後の話については、こういうのは止めて欲しいなぁ。

 

9/11

 最近、映像関係のチェックが全然出来ていなくて、BSで何の映画をやっているかすら知らない有様。なので、先週BSで、ロバート・アルドリッチの「キッスで殺せ」を放送したとか、濱マイクの監督が今週はアレックス・コックスだったとか、後から知る度に、ショックを隠せない私。いや、見る暇自体は無いのだけど。

 ええと、アイルランド旅行8/6分

 

9/10

 秋山瑞人「イリヤの空 UFOの夏」その3、読了。ようやくこれで、安心して他の人の日記も読めるように。半ば恐れている事柄ほど(「お友達でいましょう」とか)却って、直接言って欲しい、という気持ちって、あるじゃないですか。人聞きで知りたくないというか。

 

 ところで、「ゴーメンガースト」のDVDが今月、パイオニアからの字幕版で出るようですね(9/10付け「RougeLike雑記」で知りました)。 喜ばしい限り(向こうで、買わないで良かった)。それでふと気付いたのだけど。前から欲しいと叫んでいた、マーヴィン・ピーク挿絵の「アリス」等は、挿絵が目的なのだから、洋書で購入しても何の問題もないじゃん。

 よし、この際、両アリスと宝島を、「ゴーメンガースト」のDVDとまとめて注文してしまえ! …何か、何ヴァージョンも有るようだけど、今現在、在庫が有る奴で良いのかなぁ。

 

9/8

 ふと思い立って、今まで漫画系やSF系のアンテナを利用させて頂いていた分も含め、はてなアンテナに集約作業。未だ途中 だけど、あとはまた思い付いた時にでも。

 

Art 「 横須賀市所蔵による 珠玉の日本画展」 横須賀市はまゆう会館 展示ギャラリー  2002.9.1〜2002.9.23

 ニュースというのは、地元の話がやはり一番面白いので、神奈川新聞のWeb版を日頃、愛読?しているのだけど、先日目にしたのが、この地域情報

 2007年の美術館開館に向けてのPR活動の一環ということで、11Pとはいえ今回の全作品をオールカラーで掲載した小冊子を訪問者全員に呉れる辺り、気合いとお金が掛かってい る。良いなぁ、横須賀市、余裕が有って。

 今回の展示数は20点で、簡単に見終わる程度の規模だが、竹内栖鳳の「狐」は流石に、日本画の神髄というべき、無駄のない描線が堪能出来る作品で、これ一点でかなりの満足感。あと、水中の魚の群れを描いた、前田青邨「をぼこ」という絵も面白い作品 。

 JR衣笠駅からすぐ近くなので、そう聞いて、そんなに遠くないかな、という思える人なら、行ってみても良いのでは? ちなみに、私の場合、高校時代、通学で毎日乗り降りしていたのが衣笠駅なので、はまゆう会館も結構、馴染みがあるのです(非常にローカルな話題)。

 

9/7

 「イリヤの空 UFOの夏」その3を未読のままでは、人の日記をうかつに読めないので、散歩のついでに回収してこようと隣街へ。…しまった、鎌倉って、こういう小説に関しては不毛地帯だったっけ。明日、どこか普通の街まで、買いに出掛けよう。

 アイルランド旅行8/5分。自分で言うのも何ですが、余計なことを書き過ぎです。

 

9/6

 鹿児島まで出張。夏の鹿児島はさすがに暑くて、確かにかき氷でも食べなきゃやってられないな、という日差しの強さ。というわけで、「むじゃき」の「白熊」を食べてきたので(凄いボリュームなので半分ほど)、これでもう、鹿児島に対する心残りは無いかなぁ。…いや、決してかき氷食べに行ってきたわけではな くて(言い訳口調)。

 不在の間に教えて頂いた、ソノラマ文庫の新刊ページ。何と! 「トリガーマン!」が復刊ですかっ! しかも、未収録分+書き下ろし付きとは! …それにしても「1 2/7」って何? 「1と7分の2」ということ?

 驚いたことといえば、この前、本を読んでいて「目から鱗が落ちる」くらい驚いた(というか、納得した)ことがあったのだけど、それについては、長くなるので、週記の方で。「空の飛び方」についての話 。

 

9/4

 アイルランド旅行、8/4分。

 

9/3

 今さら、という話もありますが、ADSLにようやく移行。

 最大で2.2M程度だけど、距離が2.8キロなので、まぁ、こんなものかと。昨日まで実はダイアルアップ回線だったので、これでもかなり早くなった印象。むしろ、常時接続になって、接続時に電話が鳴らなくなった(今までは分岐させていた別の階の電話が接続の度に、ジリンジリンと鳴り響いていた)ことが、精神的には最大のメリット。

 

 さて、先月のアイルランド行きから、ちょうど一ヶ月(早いものです)ということで、遅ればせながら、旅行記を開始しようかと。 とりあえず、今日は、8/3分をup。旅行した本人以外には、かなりどうでも良い内容ですが、よろしければ、どうぞ。

 本人以外どうでも良いといえば、学生時代に撮った写真は約2400枚じゃなくて、約4800枚でした。どうも少ない気がしたんだよな。これだけあれば、そこから厳選した画像のサイトくらい別に作っても良いかも。京都の桜とか紅葉とか。もはや十数年前のものだけど、地元民でもない限り、見ている人にはそんなことは分かりゃしないので。

 

9/1

 渋谷公会堂の「アルタン祭り2002」に参加。音楽とは、文字通り「音・楽」なんだと改めて気付かせてくれる、非常に楽しい公演でした。売店で、マーフィーズ(ギネスに次ぐアイルランドの黒ビール)も飲めたし。あと、マレーネの歌声は直に聴くと、背筋が震えるくらい、やはり美しいです。

 冬の「ケルティック・クリスマス」も楽しそうなので、出来るだけ多くのイベントに参加しようと思いながら、帰宅。

 その途中、本屋に寄って、「クロノクルセイド」や「ジオブリ」等の新刊を購入。その他、「エマ」とか「軽シン」の「スプラウト」とかも。