空の蒼さを 見つめていると


2002年2月

2/28

 帰りの機上、読んでいた新聞の片隅に、成田亨氏の訃報が。…私にとっての神様が、また一人、この世を去ってしまった、という寂寥感。

 

  朝の連続TV小説。土曜の昼くらいしか目にする機会もないが、現在のシリーズが「ほんまもん」で、料理人としての夢を追うヒロインの話で、NHK大阪が制作している、くらいのことは知っている。

 先週の出張時、朝、ホテルの部屋で、何とはなしに見ていたのだが。

 ヒロインの女の子が、「今度独立して、故郷の熊野にある廃校となった小学校を改装して、自分の料理店を開店したい」などと、いきなり言い出したので驚く。

 大阪から車で4時間掛かる場所に、無名の新人が店開いて、一体、誰が来るというのだろうか。…誰か、止めてやれよ、と言いたくなる。しかし、一番止めるべき旦那が「彼女の夢を叶えさせてやって下さい」と一緒に皆にお願いする有様。多少揉めたが、なしくずし的に開店の方向へと進んでいくのを、悪夢を見るような思いで眺める他無かった。

 再びホテル泊の今朝、続きがどうなったのか見てみると。開店したは良いものの、果たしてお客が全く来ない状況に、もう止めてしまえと、追いつめられていた。そりゃ、そうだろう。

 しかし、あくまでも、あの朝の連続TV小説。お定まりのサクセス・ストーリーである。従って、どうしようもなくなった時に救いの手が都合良く差し伸べられ、最終的に、めでたしめでたし、になるのは、目に見えている。いずれ、この店を目指して続々と押し寄せる車のライトが列となって長々と続く夜景が登場する日も近い。

 ……「ココロ図書館」? というか、繁盛して客が来るようになれば、それはそれで熊野の環境破壊でしかないわけで、すごくイヤなんですけど。

 

 「TR」は、富野由悠季。「Z」を、「ガンダムを金儲けとしか見ない人達の意向で作ったことで、自分でも屈折してしまった嫌な作品だ」のようなことを述べていたが、当時、そんな作品に一年間我慢して付き合った者としては、今更、その言い方は無いだろう、と思わないでも。過去を否定することで新作を作り続けようとするタイプの人なのは分かりますけど。

 

2/27

 熊本への出張。3回目となると、さして新規な出来事もなく。夜、いつものように、城の北側の温泉へ、歩いて入りに行く。濃い霧の奥に、ライトアップ用のオレンジ色の照明によって、城の石垣がどこか幻想的に浮かび上がっていた。

 しかし、その時、「五里霧中」という言葉が浮かんだのは良いとして、一緒に「宇宙猿人ゴリ」という単語と、「霧の中からアイアンキング…」という歌詞まで出てきてしまったのには、我ながら、あんまりだと思った。

 

2/26

 どこにも見当たらないので、近所のヨドバシカメラに注文していた「プリズナーNo,6」が、ようやく入荷。3週間くらい待たされた気がするが、手に入れば文句はない。

 洋書のようなパッケージは割と良い感じ。強引に6枚組になっているのが、ちょっと笑える。

 とりあえず、オープニングだけ再生してみる。パパッパー♪ と久々に聴くテーマ曲に萌え、というか燃え。全17話ある、というより、17話しかないので、毎週1話くらいのペースでゆっくり見ていくつもりだが、字幕版と吹き替え版のどっちで最初に見るべきか、ちょっと悩み中。

 

 ついでに、ATOK15も購入。まぁ、関西弁モードはどうでもええんですが、職場ではATOKで、家ではIMEだと、変換の際に混乱することが多かったので。

 ところで、今週は熊本行きの週なのだけど、訪問先の状況が急変(^^;;したため、キャンセル料を払ってまで、一日繰り上げて明日、出張。

 

2/25

 落とした定期券ケースが見つかったらしく、警察から連絡が。

 名刺を1枚、中に挟んで置いたのが、良かったらしい。捨てる神有れば、拾う神有り。←意味が違います。もっとも郵送して貰うまでには、書類のやり取りが必要とのことで、10日ほどは結局、自前で通勤しないといけないのだけど。

 そういえば、「捨てる」で辞書を引いてみたら、隣に「ステる」という言葉が。(ドイツ語の「sterben」から来た)死ぬことを言う医師の隠語、と有る。今でもまだ使われているのだろうか。こういうのを見てしまうと、病院で、医師が看護婦に小声で「…を捨てるように」などと話すのを聞いただけでも、ドキッとしてしまいそうだ。

 漱石の修善寺吐血を後から語ったエッセーの一つに、診察に来た医師達が、漱石に分からないようにドイツ語で「もう駄目だろう」と語り合っているのが、寝たままの漱石に聞こえてきてしまった、という話があったのを ふと思い出した。

  (後記)その後、頂いた情報によると、医療関係者の間では、今でも割と使われている言葉だそうです。

 

 漆原友紀「蟲師」2巻。相変わらず、肌触りの良い、(手に取った時に気持ちの良い)単行本。内容についても、同様。

 

2/24

 思い立って、Artのインデックスを作り直す。ついでに、Cinemaも更新。

 よりシンプルに、という趣旨。この際、今後見たい展覧会を整理しておく。…こんなに見に行く暇が、有るかはともかく。それにしても、これだけ感想を書いているとは、我ながら驚き。もはや展覧会感想サイトと言っても 良いような。少なくとも書評サイトと言うよりは絶対、正しい気がする昨今。

 

 「新日曜美術館」は、田中一村。奄美大島で独自の絵を描き続けた、あの孤高の日本画家だ。

 極貧の中、南洋の自然を描き続けて、無名の内に亡くなった彼が、かつて突如、脚光を浴びたのは 、この番組がきっかけだった。NHKの地方ディレクターが、彼の絵に感動して、「日曜美術館」で取り上げたことで、有名になったのだ。

 田中一村は、実はあの東山魁夷と、芸大の同期入学だったらしい。しかし、二人の人生は、特に社会的な成功という点で、同じスタートを切った者とはとても思えないほどの違いが生じている。片や、日本画市場で頂点に立ち、どんな小品でも百万円単位が当たり前となった画家、片や、島の工場で超低賃金で働いては、それを画材費に絵を描き続け、誰にも見取られることなくこの世を去った画家。恐らくは、田中一村の方が、遥かに才能が有り、また絵を描くことだけに憑かれた画家だったからなのだろう。

 綺麗なだけの絵は多くの人が描けるが、迫真の描写力の余り、幻想的にさえ見える南国の木々と鳥達は、彼にしか描けなかった。世界が「見え過ぎる」人だったのかもしれない。

 彼の美術館が、奄美大島に出来ているらしい。相応しい場所だとは思うが、…遠いよな。もう一度見る機会は、もう無いかも。

 

 「幻想美術館」は、アンリ・ルソー。田中一村の絵にルソーを連想していただけに、不思議な巡り合わせだ。あのルソーの絵は、植物園の温室を非常に好んでいた彼の心の中で 生み出された「幻想の楽園」だった、という話。ちなみに、ルソーは、フランスから出たことは一度もないという。

 そういえば、あの距離感を欠いた密林には、背景に山が聳えていた記憶が無い。あれは、温室の中に立っているからだったのか。出てくる植物や動物も、現実の植生や姿を無視して、言ってみればルソーの好きなものが色々描き込まれているらしい。

 ルソーの絵の秘密に一歩近付いた気がしたが、当時、酷評を浴びせられ続けた彼の密林が、どうして今も見る者を惹き付けるのかは、やはり謎のまま。

 

2/23

 ああっ。昨日、コートを脱いだり着たりを繰り返している内に、定期を落としてしまったらしい。Suicaだったら、ダメージも軽かったのに、地下鉄との共用だから、そう も出来なくて。まだ一ヶ月以上残っていたのに。しくしく。

 

Art 旅のシンフォニー パウル・クレー展  神奈川県立近代美術館 2002.2.9〜2002.3.31

 ここでクレー展を見るのは、これで3度目。

 クレーの絵をイタリア、チュニジア、エジプトといった各地への旅の影響という点から見直す、テーマ設定型の展覧会。意外にも、結構、面白かった。但し、いきなり応用問題だけ出されるようなもので、基礎となる作品は 余り出てこないので、「クレー?それ美味しいの?」くらい縁の無い人には向かないかも。クレー好きのための展覧会。まぁ、来る人は、普通、そうか。

 クレーの場合、実際の旅の他に、いわば想像の旅としての中国があったわけだが、彼が実際に中国や日本を訪ねたとしたら、絵にどういう影響を与えたのだろうか。

 それにしても、前回、大規模な回顧展を、Bunkamuraでやったのが既に9年前とは。職場の同期の女の子と見に行った記憶が。あの頃は、私もまだまだ若かったよな… しみじみ。

 

2/22

 半年振りの神戸への出張。今回は余った時間は、全て美術館めぐりへ。…それにしても多過ぎるだろう、という気がしないでもないけど、まぁ気にしないことにして。ちなみに、仕事の方も、ちゃんとやっていますので。一応。

 

Art さくらに見る日本の美展  大丸ミュージアムKOBE 2002.2.14〜2002.2.26

 さくら、となれば行かないわけにはいかないでしょ、ということで。待っていれば、東京・大丸にも、3月には回ってくるようですが。

 主に現代の日本画家による、桜の絵を集めた展覧会。題材が題材だけに、会場は華やか。見ているだけで、とりあえず楽しい。

 しかし、改めて見てみると、桜を描くというのは難しいものだと思う。一端の日本画家であれば、当然ながら、誰でも桜くらい綺麗に描ける。しかし、他の誰にも描けないような傑作を描くのは、極めて困難でもある。富士山 を描くのと、ちょうど似ているかも。

 この展覧会でも、決定的な一枚というのは見当たらず。図録を見た限りでは、加山又造の屏風絵が圧倒的に素晴らしかったが、残念ながら、展示していなかった。絵葉書を買った画家は、稗田一穂、高山辰夫、林潤一。ちなみに、一番駄目 だった絵は、平山郁夫。

 

Art 館蔵品による 日本・東洋の古陶磁  出光美術館(大阪) 2001.10.27〜2002.3.24

 日本・東洋、ということだけど、主に中国の陶磁器についての展示。時代毎の焼き方の説明が具体的にされていたりと、地味ながら、中国の陶磁器の歴史を学ぶのには良い展示で、割と得るところも多かった。

 また、休憩室で、紅茶が(ティーパックだけど)自由に淹れられるのにも、高感度up。当館に対する、私の心のスタンプカードに、一度にまとめて4個のハンコが押されました。

 

Art 「   -----   」  萬野美術館

 ………休館中、でした。

 

Art 日本陶磁五千年の至宝  大阪市立東洋陶磁美術館 2002.2.9〜2002.3.24

 こちらは、日本の陶磁器の歴史を、愛知県陶磁資料館のコレクションから厳選された124点で辿る企画。見応え有り。多少なりと興味のある人なら、見に行って損はない。

 新鮮なのは、現代の作家の作品まで含んでいる点。現代の作家の作品も素晴らしいものは確かに素晴らしいことが、歴史的な流れの中で眺めることで、却ってよく分かる。個人的には、平安時代の素朴な壺の美しさが段々分かってきた、という気が。勿論、日本陶磁器史上、最も洗練された鍋島も、何度見ても素晴らしいと思う けど。

 なお、出光の中国の陶磁器展と、ここの日本の陶磁器展で、お腹?一杯になってしまったので、併陳されていた韓国陶磁器のコレクション(当館所蔵)を丁寧に見る集中力が無くなってしまったのが、残念。近所であれば、繰り返し通いたいところ。

 

Art (常設展示)  京都国立博物館

 学生時代、京都に住んでいながら、入ったことが無かった。桜の季節に、庭の桜を見に行ったことはあるのだが。一つには、下宿から割と不便な場所だったからだが、当時、博物館なんかより、どこかの寺でぼーっと庭でも見ていた方が良いと思っていたせいもある。今にして思えば、勿体無い話だ。

 そんなわけで、今回初めて、常設展示を一通り全部眺める。…面白いじゃん。日本(と中国)の美術史を理解する上で最低限必要なものなら、全て見ることが出来る。

 もし、「日本ノ美術、見タイデース」とか妖しげな日本語で、東洋かぶれの外国人が頼んでくるようなことがあったら、ここに連れてくるのが一番では? 少なくとも、全然まとまりなく、歩いて疲れるばかりの上野の国立博物館よりずっと上。展示品の解説も、こちらの方が丁寧だし。勿論、 「外国人以上に日本の文化に疎い」私達が見ても、充分に面白い。

 

 興味深かったのは、特別陳列の「獅子・狛犬」。

 狛犬のデザインの変化を、鎌倉時代の仏師と関連付けて展示している。一般に言う狛犬が、実は、獅子と狛犬の2体セットだったこと自体、初めて知った。元々現地(インド)では 1対の獅子だったのが、日本で、片方だけ狛犬に化けた、ということらしい 。

 ちなみに、口を閉じて(つまり「吽」)頭に角を生やしている方が狛犬で、開いて(「阿」)、鬣を生やしている方が獅子なのだが、どこの神社でもそうなっていたっけ? 1体が角を生やしているなんて今まで、全然気が付かなかったなぁ… もっとも、日本で 何故そういう変化を遂げたのかは、特に説明は無く、いつか狛犬の歴史について調べなくては、と思う。

 

 更に面白かったのは、もう一つの特別陳列「雛まつりとお人形」。

 館蔵の様々な雛飾りや、人形を展示しているのだけど、中でも圧巻なのが、当時の職人が5年の歳月を掛けて製作したという明治雛。8段くらいの飾りで、 棚を置くのに6畳は占める壮麗さ。どう見ても、私の部屋には入りません。人形も、例えば雅楽の奏者も五人囃子どころではなくて、7人もいる。細部に渡って、丁寧な作り。一体、どんな「お子様」がこれで雛まつりを祝われたんでしょうか?

 こういうものまで収蔵しているのが、やはり国立博物館の凄さでもあり、面白さでもある。というか、この雛人形は本当に、一見の価値あり。近所の方は、ぜひご覧になってみては? 雛まつりの人形なので、3月中までの展示。絵画好きの方なら、今年最大の展覧会、3月12日からの「雪舟」展と併せて見ることをお勧め。

 

 ところで、この「雪舟」展、既に本館入り口に、「雪舟展」と入った大きな布を張り出すなど、やる気満々な当館だが、「もし見逃せば、次は五十年後。それまであなたは待てますか?」と 人を脅迫するようなチラシは、どうかと思う。

 せっかくここまで来たので、あの伝説的な展覧会の「没後200年 若冲」展の図録をお土産に買って帰る。…ううっ、重い。400ページもあるよ、これ。

 

2/20

 職場の近所のノリタケがとうとう閉店するとのことで、今週は、閉店セール。いつもは閑古鳥が鳴いていたから無理も無いとは思うけど、さすがに、今週の昼休み時の店内は、大変混み合ってい た。

 私は、2階の大倉陶園で、あの青の薔薇柄のミルク入れを一つ購入することに。デミタスカップにも惹かれたのだけど、あのカップでちびちびコーヒーを飲むことなんて、まずないので(飲む時は、もう少し大きなカップだ)、止めておく。 一方、ミルク入れは、前から欲しいと思っていた。お湯入れとしても使えるし、有ると色々便利なので。

 ちなみに価格は6,000円の2割引で4,800円。ちょっとだけ思い切って、という感じ。でも、ずっと使えるものなので、多分、お買い得。

 

Book 東浩紀 動物化するポストモダン  講談社現代新書

 まぁ、こんなものかなぁ… ある種の思い付きを、とりあえず説得力があるように語ってみせるという、「芸」ないし「エンターテインメント」としては、かなり良く出来ている。講談社現代新書とはとても思えない程 。

 ただし。このモデルの有効射程というか、賞味期限はごく限られているように、あくまで感覚的にだが、思った。その限界を指摘したり、もっと適切なモデルを提示する気力は(というか、元々そんなことを考える気は) 今の私にはないので、まぁ、こんなものかなぁ、と曖昧に呟くほか無いけど。

 しかし、これを読んで、真剣に感動するとか、何かが「分かった」ような気になれてしまう、というのは、ちょっとどうかと。それは余りにも、本書が言うところの「動物」的な、安易な受け止め方なのでは? …でも、この本によれば、オタクこそ動物化した人間の典型例らしいので、(例えばSF方面な)皆が皆、そういう反応でもおかしくはないのかも。

 

2/19

  冬目景「イエスタデイをうたって」3巻、購入。とりあえず、今月はこれさえあればもう大丈夫。…一体、何が大丈夫なんだか。

 

Fruits 「パール柑

 前に、熊本で見掛けた柑橘類。スーパーで売っていたので買ってみた。来週また熊本に行くのに何故、という気もするけど。

 大きさはグレープフルーツ大。ちょっと酸っぱいかな。種は多い。1個300円。やっぱり、ちょっと高いような。

 ところで、「パール」という名前の由来を調べていて、「文旦博物館」というページに辿り着いたのだが、ここで、衝撃の事実を発見! これって実は、この前の「サワーポメロ」と全く同じだ(^^;; 「大橘」という種類を、熊本では「パール柑」、鹿児島では「サワーポメロ」と呼んで販売しているらしい。せっかく、経験値が一つ上がったと思ったのに…

 なお、酸っぱさは置いておくと抜けるのが、文旦の性質らしい。食べるのがやや早かった? 問題のパールとは外見の印象から。それにしてはデカ過ぎると思うが。

 ちなみに、空港で買った「ぼんたん」とは、この内、「本田文旦」かと。文旦一つ取っても色々有るものです。

 

2/18

 「千と千尋の神隠し」が「金の熊賞」を受賞、という話を機に、データベースなサイトで、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンのいわゆる三大映画祭の歴代受賞作品を振り返ってみたりする。

 この中では、ヴェネチアが私の趣味に一番近いかな。「緑の光線」とか選んでいるあたり。ちなみに、「金の熊賞」で最初に思い出したのは、川原由美子「観用少女」 に出てくる映画監督が受賞する「金のトド賞」…

 

Book 植松黎 毒草を食べてみた  文春新書

 何となく。身近に何とか?してしまいたい人がいるとか、そういう実用目的では決してないので念のため。

 44種類の植物について、その毒となる成分と発生する症状、そして歴史的なエピソードをそれぞれ要領よくまとめた初心向け?解説書。植物によっては、表題通り、筆者が食べてみた経験談も。スイトピーとか身近で意外な植物も登場するが、やはり、アサ、コカ、ケシ、マオウといった麻薬となる 植物の話が、そうそう実体験出来ないだけに興味深い。マンドレーク(マンドラゴラ)に「根を引き抜くと死ぬ」といった迷信がどうして付いて回るようになったのか、とか言った話も。

 ところで、この本は2年くらい前に出た本なので、読む人は既に読んでいるような。少なくとも、駒井悠の仕事場の本棚には、間違いなく常備されている筈。

 

2/17

 ……。「荒野聖」って、何やねん。と昨日書いた文章を読み返して思った(直しました)。

 やっぱり、あれかな、西部開拓時代の末期、ならず者達に占領されているとある町に、流れ者としてふらりと現れる異国の僧の話かと。盲目なのに、身のこなしが素早いその僧が、色々あって町の衆に加担することとなり、ならず者達と決闘するのがクライマックス。ピストルの弾丸を、心眼で見抜き、杖に仕込んだ刀で 打ち落とすのが、最大の見どころと。

 おお、何だか、すごく観たいんですが>「荒野聖」。俳優は、勿論、勝新太郎しか有り得ないけど、この際、スクウェアのCG技術で何とかすることにして。監督は例えば岡本喜八、って既に似たような映画撮っているじゃん、しかも失敗作。

 ついでに言うと、「荒野」という言葉を聞いて最初に浮かぶのは、「の少年イサム」。…古い。

 

 今日の幻想美術館は、ギュスターヴ・モロー。私が最も好きな画家の一人。小雨降る中、S-VHSのテープを保存用にわざわざ買いに行く程、期待して観たと言うのに。

 闇の、孤独の、魔の、死の…とネガティブワードでモローの人生を形容しまくるこの演出は何? まるで、世間に全く受けない、孤独で不幸な画家だったと断定したいみたいだけど、サロンで評判を取り、アカデミーに叙せられた 生涯をそう言い張るのは、どうみても強弁。晩年、彼が美術学校の教師として、生徒の個性を寛大に認め、若きルオーやマティスを育てたというのは有名な話だけど、孤独のうちに死んでいったみたいな説明だし。おまけに、絵画それ自体に関する話の内容が薄すぎる辺り、本末転倒。

 大体、モロー美術館となっているアトリエを、夜中に、ローソク1本だけで、おどろおどろしく撮っていたけど、本当は、日が良く差し込む、気持ちの良い明るい部屋なんだってば。好きな画家だけに、こうも偏向して語られると、苛々してしょうがない。で、こういう回の時は決まって、田口トモロヲ… ああっ、もう!

 

Fruits 「ボンタン

 空港の土産物屋で、3個1200円で売っていて、つい買ってしまったもの。

 大きい。重い。というのは持ってくる時の感想で、切ってみると予想通り、皮が厚くて、実の部分が少ない… 味は酸味、苦味、共に強くなくて、グレープフルーツより、ある意味、食べ易いとは思うのだけど、このコストパフォーマンスではやはり、観光用がせいぜいかと。

 

2/16

 梅と桜を求めて、熱海、伊豆へ。

 梅とは、光琳の紅白梅図であり、桜とは、早咲きの桜である河津桜。どちらも前から、一度見てみたい、と思っていたのだ。河津桜は、既にほぼ満開だった。ややピンクの濃い、華やかな桜。下に植えられた菜の花とよく合う。ソメイヨシノや、枝垂れ桜の、魂に響くような美しさでは無く、小学生が歌う春の歌みたいに、あくまでも明るくキレイな花だけど。

 桜が植えられた川に沿って散策。一足早く春を感じることが出来て、それなりに幸せな体験だった。でも、まぁ、一回見ればそれで充分かもしれないな。

 

Art 開館20周年記念特別名品展  MOA美術館 2002.2.1〜2002.3.6

 さすがお金のあるところは違うな、と思わせられる収蔵品。光琳以外にも、牧谿の水墨画は有る、レンブラントの自画像は有る、仁清の壺は有る、鍋島の皿は有る、と何だかやたらと色々有るのですよ。館内には、長いエスカレーターが5つも動いているし。その割に、コインロッカーが有料なのは、ケチだと思う。入館料で1600円も取っているんだから、それ位、無料にすべきじゃないの?

 「紅白梅図」は屏風なので、当然大きくて、実物ならではの迫力があった。実は私は、琳派の中では、光琳が一番つまらないと思っているのだが、これだけは素直に面白いと思う。絵画というより、あくまでもデザインとして、だけど。この絵の成功は、左の白梅を現実には存在しないV字型の枝ぶりにしたところだな、などと思いながら見ていたら、隣で見ていた人が、友人に「この梅って剪定した方が良いな」と話していた。いや、それはそうだろうけどさ…

 ところで、この美術館の最大の謎、創設者岡田茂吉の名前を取ったというのなら、何故、+Aなのか?について、思い切って受付のお姉さんに聞くと、associationですと即答が返ってきた。同じようなことを聞く物好きが沢山いるのかと思ったが、職員なら知っていて当然か。答えについては、予想通り過ぎて、ややがっかり(^^;;

 いや、『NHKとは、実は「日本ひきこもり協会」の略だった』、ほど驚愕すべき答えを期待していたわけではないんですけど。

 ちなみに館名は、「えむおーえー美術館」と読むらしい。「もあ」と読んでは、どこかと似ているためか、いけないようです。

 

2/15

 JRの「古都」観光ポスター2題。

 毎冬恒例の「冬の京都キャンペーン」のポスターの文章の中に、「京都の冬は、腹が立つほど寒いという」との言葉が。上手いことを言う、と一瞬、感心したが、そこまで分かっていて、この時期に観光客を呼ぼうとするのは、何か間違っていないか、JR東海? 

 桜木町で見掛けた、鎌倉行きの「フリー切符」のポスター。「いにしえの都、古都、鎌倉へ」と題されていたが、地元民としては、鎌倉が「古都」であるというのは言い過ぎだ、と前から思っている。せいぜい、「元・古都」という程度。それに、いにしえの都? そういうのは、ほら、ゴンドールにおけるオスギリアスとか、それ位の大昔に、初めて言う言葉なのでは?

 

Art チャルトリスキ・コレクション展  横浜美術館 2002.1.19〜2002.4.7

 ほとんど、レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」一点勝負の展覧会。でも、ダ・ヴィンチなら勿論、文句はないわけで。

 もっと人が来ていておかしくない気がするけど、かなり空いていた。お陰で、10分くらい眺めていたのだが、「モナリザ」ほどでは無いにしろ、見れば見るほど、立ち去り難く思えてくるというのはどうしてか。見切った気になれないというか。永遠の名画と言ってしまえば、その通りなのだが。

 とりあえず、気付くこととしては、描かれた手の力強さ。「モナリザ」にも言えることだけど。ダ・ヴィンチの他の作品では、手はどう表現されていたっけ?

 

 他の工芸品の中では、ポーランド騎兵隊の甲冑が、面白かった。背中に羽を生やしていて、まるでどこかの国のロボットアニメのデザインみたい。

 収蔵展の方では、鏑木清方の美人画が目を引いた。この人の絵って、時々、妖艶というか、色気有り過ぎで、やや人外の女怪めいた印象が。鏡花の「高野聖」みたいに。体の輪郭を描くに当たって、余りにも曲線が強調されているから?

 グッズ売り場では、「お腹を押すとキュウと鳴く」白てんのぬいぐるみ(1000円)が大量に置かれていた。売れ行きが、少し気になった。

 

 

Fruits 「タンカン

 鹿児島の柑橘類といえば、やっぱり、これでしょ。

 さっぱりとした、飽きの来ない味。ポンカンと似ているけど、ずっとあっさり。ただ、手で剥けるとはいえ、ポンカンみたいに綺麗に剥けずに、ボロボロ崩れちゃうのが難点なので、ナイフで素直に切った方が賢明かも。1個100円強というのも、ポンカンに比べると、ちょっと高い。デコポンよりは安いけど。

 

2/14

 「丘ミキ」7巻を読みながら、「京浜逗子」という懐かしい駅名に涙。「逗子海岸」と統合されて「新逗子」駅になってしまったのは、いつの年だったかなぁ…

 

Fruits 「サワーポメロ

 南国といえば、柑橘類の宝庫。というわけで、鹿児島出張の折り、デパートの果物コーナーをチェックしに行った私。とりあえずお値段が手頃な辺りからトライ。

 グレープフルーツとよく似た大きさ、色、形のブンタン系の柑橘類。サワーというからには、かなり酸っぱいのかと思ったが、ちょうど八朔のような食感、酸っぱさで、爽やかな味。とはいうもの、1個300円。グレープフルーツを買った方が、どう考えてもお買い得だよな。

 

2/13

 三度目の訪問ともなると、新鮮味も薄れるというか、特筆すべきこともなく。山の上の美術館まで歩いて登ったりと、全体に健康的な?出張。帰りに「NHKにようこそ!」を読む。

 

Art 常設展  長島美術館館(鹿児島)

 館名の個人が収集したコレクション。高台に聳え、眺望は最高だが、交通は不便。訪れる人も稀と見え、展示室の照明は、人が入ってきた時だけ点灯する仕掛けになっていた。じゃん、電気を大切にね。

 展示品は、郷土出身の画家と、「学校の教科書でも馴染みのある国外の」画家と、何故か新大陸の土器や布、そして薩摩焼。何だかバラバラな内容だが、個人のコレクションとはそういうものかも。郷土出身の画家では黒田清輝の「夏草」という優品があったが、国外の絵画は、日本の個人・法人の洋画コレクションの例に漏れず、質、見識ともに、その程度ならわざわざ集めなくても…という内容 。

 多分、メインは薩摩焼のコレクション。溢れるばかりに金襴手の白薩摩の巨大な壺が並べられている部屋。黒薩摩の部屋も別にある。その絢爛さには、わっ、すげえ、と確かに驚く。しかし、手間は掛かっているけど、ダサい、というのが現代から見た素直な感想。「田舎の屋敷の床の間に置いてあるような、中国風の趣味の悪い大きな壺」の凄く贅沢な奴、といえば分かる ? 地もクリーム色で有田焼の白さと比べると垢抜けないし、ごちゃごちゃとした装飾は、はっきり言ってやり過ぎだし。

 

2/11

 今日も散歩。途中、林の下の地面に、コジュケイを数羽、見掛ける。チョットコーイという声は良く聞くが、姿を見たのは初めてで、ちょっと得した気分。

 明日から、また出張週間。とりあえず、明日の夜は、鹿児島。

 

2/10

 近所を散歩。久々に宅間谷戸(「竹の寺」の報国寺があるところ)を通ると、昔からずっと「謎の洋館」だったところが、いつの間にか一般公開していた。旧華頂宮別邸。そうか、どうりで。宮家の洋館だったのか。一般公開といっても外観のみ。次回の建物の公開は、3/22、23と。

 帰って調べると、昭和4年に建てられたが、華頂家が所有したのは数年で、戦後は占領軍が使用、その後も所有者が転々とした挙句、近年の所有者が破産宣告を受け、取り壊される懸念も有ったので、市が借地権を購入し(建物は寄贈を受け)、修復に乗り出した 、ということらしい。

 少し前、木塀に何か貼ってあったのは、差し押さえの札だったのか。当時は、まさにお化け屋敷の妖しさに満ちていたものだが。その木塀も、見通しの良いフェンスに取り替えられてしまい、もはや、神秘性の欠片もない。建物の保存公開は結構なことだが、小さい頃からの大切な場所がまた一つ、姿を変えてしまったのは悲しい。

 なお、華頂宮は大正15年に臣籍降下していて、建築時には、既に侯爵なので、旧華頂侯爵別邸と呼ぶのが正しいようだ。もっとも、華頂宮家自体、今回、初めて知った有様。四大宮家 である伏見宮の分家、とか言われても、伏見宮すら知らないし。

 

 幻想美術館は、デ・キリコ。彼については、「ギャラリー・フェイク」くらいの知識しか無いが、どうやら、あのまとめ方は不正確で、古典画法に転向した後も「不安なヴィーナス」という絵を何回も描き続けた画家らしい。その数、少なくとも60枚。なぜ、全く同じ絵を 画家は、生涯に渡って繰り返し描き続けたのか。

 その疑問に、番組では、「時間の流れ」に拘った彼が、同じ絵を長い年月、繰り返し描くことで、その間に流れた時間を、芸術の中に取り込もうとしたのではないかという仮説を提示していた。毎回、出鱈目な製作年をサインしている(1974年に描いた絵に、1924年とサインしたり)のも、その一環ではないかと。非常に面白い仮説だとは思ったが、画家に好意的に解釈し過ぎ、という気がしないでも。古賀亮一の漫画によくある、「お母様は深読みしすぎです」みたい な。

 

2/9

 鴨鍋、再び。

 今度は、鴨肉専門のお店に注文。品薄ということで暫く待ったが、ようやく来た配達日が、今日。今回は冷凍でない生肉なので、その鮮度を活かすべく、早速、食べることに。

 はふはふ…。おおっ。やっぱり、美味しいっ! 肉は油が乗っていて味わい深く、それでいて少しもしつこくない。と思わず、「美味しんぼ」会話が飛び出してしまう程。何と言っても、鴨と非常に合っているスープがものすごく美味。決して濃い味ではないけれど、素材の美味しさを引き立てていて、幾らでも鴨と野菜が入りそう。「特選素材」の世界、と言って過言ではないかも。

 食べたのは、「鴨重」というところの「鴨鍋うどんセット」。鴨鍋好きな方には、マジにお奨め。私自身、この冬、もう一度、食べたい気もするけど、3月上旬までは、既に予約が一杯…

 

2/8

 「指輪物語」映画化の便乗企画の一冊として、評論社から出ている、「中つ国」の各時代の地図集(勿論、指輪の仲間の旅に関しての地図が中心)、地図好きでもある私としては、非常に惹かれるものがあるのだけど。そのために3800円となると… う〜ん、どうしようかなぁ。

 

Art ウィーン分離派 1898-1918  Bunkamura 2002.1.2〜2002.2.24

 19世紀末から20世紀前半に、ウィーンで繰り広げられた、新芸術を目指す運動の「分離派」。それを本格的に紹介する初めての展覧会、らしいのだけど。

 まぁ、「雰囲気」は多少は伝わるというか。ただし見終わっても、では分離派が何を生み出し、後世にどういう影響を与えたのかとか、その内容はよく分からないまま。シーレは多少有ったけど、クリムトは全然来てなかった、とか個々の画家しか印象に残らない。絵や椅子を並べるだけではなくて、もっと踏みこんだ解説を含めて展示しないと、こういう企画なら駄目だと思う。一言で言えば、学芸員の自己満足に終わっている、中途半端な展覧会。

 もっとも、百貨店としては、出口でクリムトの複製画さえ売れれば、中身はどうでも良いのかも。

 でも、予想外にシャヴァンヌの作品を1点(島根県立美術館所蔵らしい)見ることが出来たので、まぁ良いかと。

 

2/7

 「TR」。ゲストは京極夏彦。狭い部屋に本を収納するコツは?との質問に、「愛と執念」との答え。それでもって修行を積めば、通常の5倍は入る、とのことだが、う〜む、どちらも足りないかも。

 

2/6

 先日の推測については、予想通りだったことが判明。

 覚悟はしていたが、ショックでなかったといえば嘘になる。ただ、自分の今後の人生を考える上では、良いきっかけになると言えるのかも。これから少なくとも半年くらい、日々の最重要課題として向き合っていくわけで、それについて、今後、ここで書いていくことも考えたが、読みに来られている方が期待する話でもないし、元より、私の趣味にも反するので、特には触れないことに。「それはそれ、これはこれ」という方針で。

 ただ、暫く時間が経ち、状況が変わった後には(改善の方向で変化して欲しい、というか改善させないといけないのだが)、それまでの経過を報告するかもしれない。

 

2/5

 「万札サブレ」

 と呼ばれる、お札の形のお菓子が財務省の売店で売られているというのを、最近知った。「東京の隠れた名物」とも呼ばれているらしい。これはぜひ一度、実物を見てみなくては。

 というわけで、昼休みに、財務省に潜入。初めて入る建物だけに、色々と新鮮。幾つもの「仮眠室」という表示に、これが俗に言う「ホテル・オークラ」、別名「霊安室」 かと感心したり。聞いたところでは、建物のどこかに風呂の部屋もあるという話なので、一度入ってみたいと密かに思っているのだが、今日の所は発見出来ず。

 暫くして、正面入り口のすぐ右手に、売店を発見。売店、といっても今はコンビニ。ampmの「財務省本庁舎店」である。当然、省内の利用が大半だと思うのだが、陳列棚には多種多様なモノが。缶詰なども沢山。コンビーフなどは夜食用 としても、小豆煮の缶詰なんか買ってどうするというのだ? この上では、一体何が行われているのか謎である。

 目的の「名物」は、ポスターで宣伝されている。「お札サブレ」が正しい名称のようだ。レジに声を掛けて買う形だが、いかにも「おのぼりさん」ライクな感じで、かなり恥かしい。よっぽどそのまま帰ろうかと思うが、勇気を振り絞って?注文 すると、店員が、袋入りの箱を店の奥から持ってきた。

 袋は、東京風月堂。そう、実はあのゴーフルの洋菓子屋の製造なのだ。値段は、6枚入りが千円、12枚入りが二千円。

 それにしてもこのサブレ、誰が何のために買うのやら。先方に謝罪をしに行く際の菓子折りとかに良さそうなので、財務省の人がそういう時に買って行くのかと一瞬思ったが、「財務省の役人が、外部の人に頭を下げる」 なんて、「世の中で最も有り得ないことの一つ」かと。となると、やはり、 来省者のお土産用、なのだろうが、ここまで来てお土産を買って帰る人ってどういう人? 地方からの陳情者? 地方出身の国会議員? よく分からない。

 帰って箱を開ける。千円、二千円、五千円、一万円の四種類の図柄。確かに「お札サブレ」。バターと卵の風味が強い。カロリー高そう。もう少しサクッとした仕上げのほうが今風だと思うのだが。やっぱり地方向けのお菓子なのか。ゴーフルの方が、個人的には好み。

 

2/4

 昨日の「幻想美術館」は、ロセッティ。苦悩する芸術家の人生像を殊更に強調する、時代遅れな演出。芸術家といえば、ゴッホでありベートーベンであるみたいな。飄々と作品を生み出した人 も幾らでもいるだろうし、芸術としての価値は、本人の苦悩とは何の関係も無く、ただ作品それ自体にある、と思うのだが。

 で、こういう深刻めいた回に限って、ナレーションが田口トモロヲ。……。

 

 「グローリアーナ」を読み始める。平行世界での大英帝国に相当するアルビオンの女王グローリアーナの物語。ジョン・ディーが登場したりする。権謀術数渦巻く宮廷。ところで、こういう宮廷内の悪役といえば、ついジュラルミン大公とかナイロン卿を思い浮かべてしまう私 。

 

2/2

 観る前に読むか?読む前に観るか? 割と難問。

 観るのは「ロード オブ・ザ リング」であり、読むのは「指輪物語」の話である。勿論、読んでから観て、その後、再度読むのが、一番確かだと思うのだが、あの小説を、年に二回も読むのはちょっとどうかと。どちらかとなると、やはり観てから読んだ方が楽しそうだ。しかし、新訳の文庫を読んでからでさえ、気が付けばもう十年。

 最初の文庫は、目の健康を考えれば、再読を繰り返すのはためらわれたし(それ位小さい活字だった)、新訳の文庫が出たのは社会人になってからで、再読する暇はなかったために、そんなに何回も読んでいるわけでもなく、…つまり、細かいところ をよく覚えていないのだ。

 これは困った。というわけで、妥協案として「追補編」という名の虎の巻に頼ることに。しかし、この「追補編」だけ文庫化しなかったのは、商売としては分かるが、出版社としての良心に欠ける気が>評論社。今回は映画特需なんでしょうから、それ位やれば良いのに。 このために2200円というのは高過ぎ。

 中の「西方諸国年代記」を読んで、大体のところはおさらい。結局、小説も読みたくなってきたけど、今月は「屍鬼」も再読しないといけないし…

 

2/1

 …今のところ推測でしかないのだが、今日という日は、これからの長い「戦い」の始まりの起点として一生、記憶に残る日になるような気がする。自分に対する「戦い」の。とはいうもの、日々の生活が大きく変わるわけではないのだが、例えば今後、この日記の更新頻度を落とす必要も出てきたりするかもしれない。

 杞憂であれば、勿論、その方が有り難いのだけど。恐らく、そうではないことを直視しないといけないようだ。とりあえず、現状で書けるのはこれくらい。