おまけ

過去のある時点の、自己紹介

 

 実家で部屋の片づけをしていたら、大学時代のサークルの名簿が出てきたので、その時の自己紹介を載せてみました。
 そんなわけで、全く前向きでない&役に立たないこのPage、すごく暇な方だけ読んで頂ければ結構です(^^;

 ちなみにこれらの文章から、読み取るべき教訓は、ただ一つ。十年経っても、人間、全然進歩しないです(笑)

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1987年/1988年/1989年/1990年/1991年


1987年

 何から書き始めたら良いかわからないので、マンガの話から始めてしまいますが、私は高橋留美子がとてもとても好きです。一応、全部持っています。但し、下宿にあるのは、高橋留美子ではなく、ゆうきまさみだったりします。基本的に好きなマンガ家はサンデー系が多いです。ジャンプは嫌いです。もっとも読まず嫌いです。大体においてNo.1を誇るものは嫌いです。ジャイアンツとか自民党とかアメリカとか。〜(略)〜 まぁ、京都に来たのは修学旅行以来の「あなたとなら京都」の寺社をゆっくり見て回りたいという極めてミーハーな願望をずっと貫いてしまったというあたりが、理由の核心に触れているような気がします。

 そのように私は理性より感性という人間なのであって、小学生以来割に多くの本を読んできたつもりでも実際によく読んだといえるのは、ルイス・キャロルからエンデに到るファンタジーの分野くらいであって、もう少し広く言っても文学だけなわけです。従って、新書のような社会についての本は皆無に等しかったりするわけで、おかげで一般常識が「あぱぱっ」だったりします。困ったものです。

 えー、私の趣味はそういう性格を反映して、かどうかはよくわかりませんが、挙げてみると、見るor観るものばっかりです。寺を見て回ったりする他、展覧会を観に行ったり、映画を観に行ったり。ちなみに、こちらには余り映画館がないので残念です。それを補おうと最近思い切ってvideoを買いました。但し、TVを私は持っていません。まったく、困ったものです。

 まぁ、そんなような人間です。ということで、よろしくお願いしますと。

 

 どうでもいいけど、いきなりマンガの話から、始めるなよな(笑)という感じ。高橋留美子というのは、当時の私にとっては大きな意味を持っていました。ちょうど「めぞん一刻」の連載が終了したばかりでしたし。ゆうきまさみというのは「究極超人あ〜る」。

 というわけで、この文章の上には「あ〜る」から2カットを張り込んでいて「時々、私はこのR君のように何か考えているような顔をしていますが、中身はこんなもんです」(カットは「本当はなにも考えてないんでしょう」「うん」ほかほか(笑)の奴です)というコメントを付けています。な、懐かしい。TVが無いのにVideoを買ったというのは、本当の話でした(^^;;; ま、隣人の部屋に持ち込んでいたわけですが。

 それにしても、このサイトの自己紹介(10年、間があるのに)とあんまり変わっていないような気がするのは…気のせい?(笑)


1988年

 自己紹介というからには、やはり、例えば

  (好きなもの) 澄み切った空(青い空も夕焼けも好きです)
  (嫌いなもの) 連名で来る年賀状

 とでも書こうかと思いましたが、止めました。なぜかと言うと、好き/嫌いという2分法で語ろうとするのは余りにも単純すぎるのでは、という気がしたからです。別に自分は複雑な人間だと言うつもりは毛頭ありませんけど「好きだから嫌い」という事だって、世の中にはある。

 何でこういう、いわば「どーでもいいこと」にこだわるかと言うと、気を付けないと言葉は世界を狭くすると思うからです。桜の花も蘭の花も「きれい」と言う人は、実はそれぞれの美しさを本当には分かっていない恐れがある。「きれい」という言葉をあてはめることが、それ以上の微妙な何かを感じることを妨げてしまう。つまり、言葉による感性の画一化が一番怖いのです。

 近頃、一番危ないと思っているのは「かわいい」という言葉。数年前から文化が「かわいい」に染まりつつあります。例えば観光地の土産物が全国共通的にかわいいグッズになってしまったように。それは幼稚だからイケナイとか言うのではなく、何だかあいまいなもの、そして差異を許さないような雰囲気をこの「かわいい文化(カルチャー)」が保っている気がするのが、怖いのです。まぁ、こんなことをいじいじと考えている私は、確かに「かわいくない」と思いますけど。

 ……わっ、久し振りに文章を書いたら、つい「しりあす」してしまった。左図の通りです。でも、まぁ、普段、頭の中を漂っていることと言えば、このようなものであったりするわけですね。(もっとも、何も考えていない時の方が多いようですが)

 

 さて。

 2枚目にとりかかったのはいいけれど、特に書くこともなく、少しばかり後悔する私。

 というわけ、で。

 昨年に引き続き、しょうこりもなく又、Comicsの話から始めます。昨年は寂しい一年でした。「めぞん」は終わっちゃうし、高橋留美子の単行本は9ヶ月以上出ないし。まぁ、今年になって、なんとか一息、という感じですけど。近頃面白いものがありません。何か面白いものを知っている人はぜひ教えて下さい。貸して下されば更にいいのですが。

 面白いといえば、昨年一番面白かった小説は「ユリシーズ」いや、やはり「失われた時を求めて」だった、というのはで、実際のところは「帝都物語」であったりします。これは一つ一つのエピソードは荒唐無稽なのに、全体としては「東京」を描くことにかなり成功した極めて珍しい小説と言っていいでしょう。とにかく、ファンタジー=別世界での剣と魔法とお姫様、のように思われている現在、大切なのは物の見方なのだ、ということを教えてくれるだけでも貴重な小説です。

 

 ……………ここで改めて振り返ってみると、全然、自己紹介になっていないような… まぁ、いいか。今年に関してですが、基本的には役に立たない事を心ゆくまでする、というディレッタントな精神で臨みたいと思います。

 例えば。まずは古代史をある程度やりたい。いささかブームに乗り遅れの感がありますが、やはり今一番面白いものの一つであることは確かですし。そして、それと関連しますが、昨年、割に京都は廻ったことだし、今年は奈良(大和路)を歩きたいと。それから路上観察にも手を出したいし、もう少し純粋な写真も撮りたい。絵も昨年余り見れなかったから(印象に残っているのはカンディンスキー位)今年はもっと見たいし、映画に至ってはビデオを含めると尽きることのないだけ見たいものがあるし、本も長いのに挑めるのは今の内かなと思う。

 ……うーん、いくら、金と暇があっても足りないという気がしないでもない。それに、このままではルードヴィヒII世になってしまうような。(勿論、私はどうあがいても貴族的にはなれず、いか京にはまってしまうのが又、悲しいところですけど)

 ともあれ、一年間で何が出来るのかわかりませんけど、私なりに自分の良心に誠実に(?)にやっていきたいと思っているところです。

 

 長えよ。この年も今読むと、突っ込みどころ満載のイタさだったりしますが、80年代後半(の学生)は誰でも、多かれ少なかれウカレポンチな学生生活を送っていたのです(…本当か?)。

 「左図の通り」のところで貼り込まれているのは、「らんま1/2」の「こ、これは失礼」というカット。右ページには遠足に出掛ける、まる子のカットが。当時は まだ、単行本が出たばかりで、本来の読者を除けば、知る人ぞ知る、みたいな位置付けでした>「ちびまる子ちゃん」。

 ちなみに、冒頭の「連名で 」とは、(この時、近親者と同じ住所にいたのだけど)こちらからは別個に出しているのに、まとめて1通の年賀状で帰ってくることへの不快感。「私」が個人として扱われていないということなので。こういう省力化がいかに無神経なことか、想像出来ない人が多かったです。


1989年

 前のページだけで今年は終わろうと思ったのですが、自己紹介としては不親切すぎる気もするので大学に入ってからのことを少し書いておきます。

1回生(1987)

つい、(ここの)法学部に入学、思えばこれが不幸の続きだった。とは当時は気付かず、京都の寺社仏閣を歩き回る。映画に本格的に目覚める。秋、京都の紅葉に魅了され、写真を撮りまくる。以後、桜・紅葉etcのシーズンにはフィルムをやたら消費するクセが付く。この頃、自分は女性的ではないかという疑問から性差ということに興味を覚え、(特に両性具有の文化的可能性とか)手始めにM.フーコーの「性の歴史」に取り掛かるが、やはり少しばかりムツカシくて1冊目でもろくも挫折する。

2回生(1988)

エロスの問題は棚上げにしたまま、いつしか空いた本棚にはタナトス、死に関する本が多くなる。日常的には寺を見に奈良へ、映画を観に大阪へと行動範囲がわずかばかり伸びる。尚、中高とよく行った鎌倉の映画館、1回のとき小津を観た京一会館がいずれもこの年の春に潰れ、諸行無常の悲しみを覚える。などといっていたら、
 
  6月12日、20歳になり、とうとう「ただの人」になってしまった。10代での華麗なデビュー(しかし何で?)の夢が消える。
 
夏、「トニオ・クレーゲル症候群」に罹っていることに気付く。(何のことかわかんない人はぜひ1回読んでみて下さい) 秋は又、少女は終わるけど少年は終わらないんだと言い出して周囲の白い目を浴びる。こともあったような気もするが、全体としてはインディアン・サマー、ぼうっとした日々を送る。ただ多くの人が亡くなり、なかでも、2月9日、手塚治虫死去、この衝撃からはまだ立ち直っていない。それと、3月8日、南座で野田秀樹の「贋作・桜の森の満開の下」を観てかなり感動し、この後しばらく野田秀樹と坂口安吾と桜それぞれにのめり込む。お芝居に興味を持ち始める。

3回生(1989)

今まで遊んでいた人もいい加減社会復帰する頃。そうなんだよな、そろそろ先のこと考えなきゃ、とは思うのだが、考えてみるといよいよこの際在学中は高等遊民で走り通すっきゃないと開き直ったかの如く、逸脱の程度がひどくなる。(手塚治虫全集を読むなどという無謀なこと始めちゃったし)
 
  ともあれ、まもなく21歳になってしまう。かくなるうえは次善の策として、大器晩成を目指し、現在、研鑽中。
 
ということにしようと思ったのだが、そんな先のことはわかんないからとりあえずいつでもstartできるよう努力しておく、ことにしよう。

 

 読んでみるとまるで僕のことのようですが、同時に、そうとはとても思えないという気もします。

 1回生の人に(あるいは自分自身に)望むのは、色々なことに感動できる心の柔らかさを持って欲しいということ。つまり、どんなことにたいしても、初めて見る時のようなまなざしを持てるということ。そのためには無駄を楽しむ技術=Artに出来るだけふれてほしいと思います。偉そうなことを言っていますが、要は人生楽しまなきゃ損ですものね。

 

 この書き方、今と変わりませんね(^^;;; 「前のページ」がどうなっていたかというと映画「ミツバチのささやき」での姉妹が地平線を眺めているカットと線路に耳を押し当てているカットが使われていて、自分のページとは思えない(笑)、お洒落な感じでした。色々注釈を付けるべき気もしますが、まぁそういう生活だったということで、そのままにしておきます。

 ところで、20歳になった時、「ただの人」になってしまったと、思いますよね、普通?(笑)


1990年

 

「われわれは、己について最も深く関わることについてのみ、はっきりと確信を持って誤るのだろう」
 
  私は、このように暗い考え方も結構好きなのですが、逆に、
 
「わたしは、そんなに悲観的なことばかり考えてはいけない、と言いました。人生は、訪れては去ってゆく夏休みの繰り返しなのだ、とさえ言いました(どんな意味なのか、それをしゃべったわたしにもよくわかりませんが)」
 
  とも思います(どんな意味なのか、引用した私にもよく分かりませんが)。また、
 
「当たり前の話だろうね。幻さ、全ての時間が。」
 
  といった安吾的な思い切りの良さに憧れつつも、
 
「…長閑で、麗で、美しくッて、それでいて寂しくッて、…心の内が言いたくッて、言われなくッて、焦ッたくッて、口惜しくッて、いらいらして、じりじりして、そのくせぼッとして、うっとり地の底に引き込まれると申しますより、空に抱き上げられる塩梅の、何とも言えない心持ちがして…」
 
  といった、一言で言えば「優柔不断」な世界が性に似合っているとも思います。
  それはともすれば、
 
「むろん、赤の王様はわたしの夢の一部だったわ──でも、わたしだって、赤の王様の夢の一部だったのよ!」
 
  というあの世界にも近く、ある意味では、今もわたしはそこに立っているのだとも思いますが、
  最近では、むしろごく素直に、
 
「明るく笑って のんびり暮らした方が この世は楽しいといっておるだけじゃよ!」
 
  という、某マンガの中のセリフのように考えるようになっています。
  そして、次のようなことが言えたら、とも思っているのですが…
 
「私がこれまでにしてきたことは無にすぎません。たいしたものじゃない。まあ無と言っていいのです。これからは、もう少しましなことをやるでしょう。」

 

 何の断りもなく、引用で始まっています。回を増す毎に、暴走しているような(^^;;; あ、元は当然、黒一色ですけど。

 で、引用元は上から、M.ムアコックのエルリック・サーガ(の多分一冊目)、高橋源一郎「ペンギン村に陽は落ちて」、坂口安吾の奈良についてのエッセー(名前忘れた)、泉鏡花「春昼後刻」、ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」、鳥山明「ドラゴンボール」(割と最初の頃)、トーマス・マン「トニオ・クレーゲル」、となっています。

 …確かに「己について最も深く関わることについて」誤っているかも、私(^^;;;


ボツversion(笑)

 今年になって変わったことと言えば、住むところが4m程南下したこと位で(元の部屋は空いたまま。困ったなぁ)、すっかり「いのちをだいじに」(=ルーティーン)の生活。ここはひとつ「いろいろやろうぜ」に「さくせん」(=生活パターン)を練り直したいと思ったりもするのですが、そう思うのも既に日課のような…
 
 いい加減、自分自身に対する判断をとりあえず下すべき時が来ているのでしょうが、なかなか納得できる「将来」を思い浮かべることが出来ません。今まで「なるようになる」と「なってしまったものはしょうがない」という極めて意志薄弱な2大モットーに則って生きてきたツケがさすがにたまったかなという感じがして、同じ「明日は明日の風邪が吹く」と言っても、大根を囓りながら大地(タラ)に誓うヴィヴィアン・リーとはえらい違いだと我ながら思います。(だからどうしたと言われると困ってしまいます。私も何となく書いてみただけですしね。)
 
 まぁ、どういう生き方(なんか大袈裟な言葉ですけど)をするにせよ、坂口安吾の精神を忘れずにいたい。もちろん、私は彼ほど絶対の孤独に耐えられるわけでも、逆に人を信頼できるわけでもないのですが、人間は駄目な存在だからこそ、生きていく価値があるという彼の文章はとても素敵で、そのように生きていけたらと思うのです。
 
 うーん、「お説教」だけはやめようと思って書いたら、こうなってしまいました。ま、いいか。私の趣味というのは、基本的にVisualなものが多く(前にも書いたな)、映画やComics、あるいは庭などを見ること位で、一日がそういえば過ぎてしまったということも多いのですが、一人で発見できることは、たかが知れています。面白いものがあったら、私にも分けて下さいね。

 上のを書く前に実は普通の?奴を書いていたのでした。が、読み直してみると何か恥ずかしいので、ボツに(なら、ここに載せるな(^^;;;) どうでもいいけど、当時どういうGameをやっていたのか、バレバレな文章ですね。


1991年(…何故、5年目が(笑))

 最近、TVで1989年の映像を見ていて、何だか随分昔のことのような気がしました。それは、あの年に年号が代わったからというわけではなく、時の流れ──当時はトレンドとか言われていた、その一切合切です──が、あの頃確かに大きく代わったような気がするということときっと深く関係しているのでしょう。
 
 たった2年前なのに、もう手が届かない過去。しかし、私がここに入学したのはその更に2年前、1987年だと言うことを考えると、正直、信じられない思いです。4年間というと大したことないけれど(そうでもないか)、その間に(京都の町並みなんか特に)大きく変わってしまったのですね。
 
 ところで、私はその間一体何をやって来たのかと問うてみると、大変心もとない感じがします、勿論、京都の寺々が4度紅葉に染まり、5度桜の花に埋まるのを眺め、4年間で少なくとも3つの映画館が閉館していったこの街でそれでも何百かの映画を見、その二つでかなりの時間を使ってしまったような気もしますが、他にも多くの物事や人々に色々影響を受けたりして過ごしてきたこの4年間が無駄だとか、無意味なものだったとは思いません。
 
 ただ、自分自身がそれによって、どれだけ成長したかというと?という感じで、結局年だけ取った」ということなのかな、と思ったりもするのです(上手くなったのは紅茶の淹れ方くらい?)。恐らくこんなことを考えるのも、実は今まで自分というものに対する判断をどこか避けてきたそのツケが今や累積債務となって重くのし掛かっているというということからなのでしょう。近日中に払わなくてはいけないことは分かっているのですが、KBS京都のようになかなか難しいという感じです。果たして、どうなることやら。
 
 う〜ん、何だか新歓の時と同じような話になって済みませんでした。こんな具合ですので新入生の方々に言えることなど別にありませんが、まあ敢えて言えば、せっかく何の因果か京都の学校に通っているのですから、春や秋の天気の良い日に、たまにはどこかの寺の縁台に腰掛けて庭(枯山水じゃないほうがいいと思うけど)をぼーっと眺めて無為に一日を過ごしてみてもよいのではないでしょうか。
 
 ……長々と書いてしまったのは修行が足りないと深く反省しています。

 

 累積債務は払いきれなかったというか、ツケの払い方に問題があったかも(^^;;; KBS京都も当時は大変でした。
 しかし、もうこの時から7年… もはや、何と言ったら良いやら、です。


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 そういえば、何のサークルか書いていませんでした(^^;;; が、内容とは関係ないんで、良いか。(ちょっと説明しにくいので(^^;)