文体への考察

 あるいは 影響されてきた本/作家の歴史

 

 

 イギリスの小説家サキの有名な短編に、その時々で飼っているペットに性格が似てしまう男の話がある。勿論、いくら私が影響されやすい性格だとしても、そこまで極端だとは思わないが、それにしても文体とは、どこまでが自分のもので、どこまでが読んだ物の影響なのか、考えれば考えるほど分からなくなってくるものの一つではある。

 生まれて初めて書いた文章は、そして今こうして書きつつある文章は、一体どこまでが「自分の文章」なのだろうか? とりあえず、今まで影響を受けた(と思われる)作品/作家を振り返ってみることで、自分の文体について少し考えてみよう、というかなり個人的な動機が、このページの趣旨。


1968〜1974

 私は特定の絵本を繰り返し読んで貰いたがる幼児だったようで、つまり、初めて「耳にした」文章はそれら絵本のものだった筈なのだが、流石に今に至るまで覚えているフレーズはなく、その影響もよく分からない。あくまで、無意識の領域、なのだと思う。「しろいうさぎとくろいうさぎ」などを今読み返してみると、その文章のシンプルな美しさに感動するが、当時の私にとって魅力だったのはあくまで絵の方だったと思うし。

 

1975〜1976 小1〜2

 「さよう、親愛なるスタビンズ君」 (ヒュー・ロフティング 訳・井伏鱒二「ドリトル先生航海記」)

 私にとって最初の物語の世界といえば、何と言ってもこのヒュー・ロフティングのドリトル先生シリーズ。とはいえ、この辺は体でいえばもはや血肉となってしまっているので、具体的な影響は示せないが。

 それと当時の教室では昼の給食の後、本を朗読するということが行われていたのだが、私はそこで松谷みよ子の「ちいさいモモちゃん」を担当し、文中の会話を感情を込めて読んで(熱唱?)、クラス全員と担任の教師に非常に受けた記憶がある。

 「にんじんさん、きらーい」

とか、なんとか(笑) 当時の私の声は当然ボーイソプラノで、そのセリフも可愛らしかったのだろう、多分。

 

1977〜1978 小3〜4

 「ジュンが、遠くに目をやると、何もない蜂山の丘が、かすんで見えました。」 (佐藤さとる/「ジュンと秘密の友だち」)

 これは確信を持って言えるのだが、私の思い描いている日本語の文章はおよそこの時代に読んだ佐藤さとるの文章がベースである。中学生の頃、佐藤さとるの小説を読み返して、つくづくそう思った。穏やかで分かり易く、理知的で自然。もっとも、自分の書いている文章がそうであるとはなかなか言えないのが悲しいところではあるが…

 

1979 小5

 この頃から文章を書くということが楽しくなってきて、学芸会みたいなイベントでは紙芝居を作って演じてみたりしていた。そういった当時の物語や、作文を中学になってから再読すると、接続詞の大半が、が、しかし、でも、とはいえ、といった逆接ばかりなのには苦笑した。素直に繋げられない、というか、幸せは長くは続かなかった的な展開が多いのだ(^^;;; こういうネガティブ・シンキングな文章は誰かの影響というよりは、きっと生来のもので、だから今でもそれは変わっていない。

 

1980 小6

 突発的に、文章に目覚めた一年。この年に亡くなっていたら、もしかしたら、豊かな可能性を秘めて夭折した少年と言われたかもしれない(笑) その暴走ぶりは、卒業に当たって友人3人に対してそれぞれの性格をモチーフにした短編小説?を書いて贈るというところまで行った(^^; 勿論、贈られた方はいい迷惑である。その暴走に当たっては多分、当時読んだ太宰治の短編が元凶なのではないかと思う。一人称小説の魅力と毒に染まった私はだから、先の小説?の一つも一人称の告白体で書いたのだが、熱が引くと、文章は人を傷付けることを知り、元凶の太宰を読むこともなくなった。

 「申し上げます。申し上げます。だんなさま。あの人は、ひどい。ひどい。はい。いやなやつです。悪い人です。ああ。がまんならない。生かしておけねえ。」 (太宰治/「駆け込み訴え」)

 ……ところで、小学生の時代までで、こんなに長く書いていて最後まで辿り着くのだろうか?(^^;;;

 

1981 中1

 思い返せば、中学の頃は忙しかったので余り本など読んでいないような気もする。というわけで、この年に読んだかどうかはともかく、この頃までに読んで文体上、大きな影響を与えたのは、團伊玖磨のエッセイ「パイプのけむり」シリーズ。今ではもう何十冊出ているのかは定かではないが、当時既に続だとか又とかいう領域を遙かに越えた冊数が出ていたことは確か。

 で、影響というのは、漢字の使い方で、この人は兎に角、漢字が多い。というように、普通の人は絶対使わないような「兎に角」とかの副詞まで可能な限り漢字なのだ。勿論、もちろんも漢字。そう、私が、勿論、とか書くのは実はこの人の影響なのだった。普通の文章を読む前に、先にこういう文章を読んだため染みついてしまったのだ… 尤も、この文体だと、文字数を圧縮出来るというメリットがあり、今の日記でも割と自覚的に多用している。

 

1982 中2

 むしろ中高生の時代の私に圧倒的な影響を与えた作品というと、それはコミックスでしかも高橋留美子、ということになるのだと思う。当時は「うる星やつら」と「めぞん一刻」の全ページのカットとセリフは大体、頭に入っていたといっても過言ではない。とはいえ、文体それ自体への影響というとそんなにはないとは思うのだが。「…」の多用は数少ない直接的な影響だが、それは地の文章としては良いことなのかは疑問(でも時々、やりたくなる)。

 「つまり あの… そのセーターはヤキモチの罰で…… そう、罰なんですわ… あたしは……… 罰を受けなくちゃいけないから………」 (高橋留美子/「めぞん一刻」)

 

1983 中3

 この頃(もしかしたらもう1、2年後?)の文体上の事件といえば、やはり新井素子の登場だろう。私は、それほど正面から影響を受けたというほどではなくて、ストレートに填っている知り合いを横目で見ていた、という印象なのだけど、私含めて、これでいいのだ(or いいのか!?)、と目から鱗が落ちた人は多かったのではないかと思う。少なくとも、その後、隆盛を見たコバルト文庫も、そして今元気な電撃文庫も新井素子の作品が売れたことの延長線上にあることは確かだ。私自身が読んだのは「絶句…」と「二分割幽霊奇談」くらい。ちなみに両方借りて読んだので、表記は自信なし(^^;;;

 

1984 高1

 ご多分に洩れず、というわけで、高校時代は村上春樹にはまる。私の場合、長編は「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」辺りまでで大学生になってから出た「ノルウェイの森」辺りで冷めてしまったのだが。本人がいうところの、台風が通り過ぎた後の浜辺に落ちていた漂流物を綺麗に磨き上げてから、ガラス棚に大きさ順に整理して置いておくような、言葉の選び方は好きだったし、悪くない、と思っていた。

 ところで今、村上春樹の本を本棚に探してみて、一冊も無いことに気付いた(笑) いや、未読の「ねじまき鳥」はどこかに埋まってはいる筈だけど。そういえば、図書館で借りて読んだのがほとんどだったような… やれやれ。

 ともあれ、この時期と言えば、他にも庄司薫の「赤頭巾ちゃん気を付けて」とか、「僕」による一人称小説を読むことが多かった気がする。だから、高校時代まではその影響を受けて、一人称はいつも僕を使用していた。

 

1985 高2

 文化祭でクラスの題目として演劇をすることになり、その脚本に半年悩む(^^; その間読み耽ったのが、別役実の作品。そのせいか、出来上がった作品は不条理風のものになったのだが、それはさておき、別役実の文章というのは、非常に面白くて、ある時期まではほとんど読破したと思う。普通とは違う確度から、あるテーゼを提示し、あくまで論理的にそれを演繹することでとんでもない結論を導き出すというスタイル。要するに、ひねくれている、だけなのだが(笑)、そういう曲がりくねった見方を通してしか、本質に迫れないことがあるのも事実。

 あの笑わない喜劇俳優バスター・キートンのように、本人は真面目くさって滔々と述べるのが、非常に可笑しい。そう、吉本系の、芸人自身がひっくり返ってみせる笑いより、あくまで本人は真面目、という笑いの方が私は好きで、マンガ家でいえば、とり・みきの笑いだといえばいいか。

 自分の日記でも、真面目に書いていて、内容はとほほというのが理想なのだが… 最近は余り、可笑しくないかもと自分でも思う。

 「私の家の小さな庭に、時々すずめがやってきていた。家内がパンくずをまいていたせいである。(略)そのころ私は、やはりパンくずをまいて、(略)ベランダにすずめを集めている人のエッセイを読んだことがあるが、彼によると、「暫くそうしていると、すずめの家族関係がわかる」と言うのである。(略)これを読んで刺激され、対抗上私もその域に達したいと考え、暫く努力をしてみた。(略)しかし結局、私の努力は実らなかった。そこにすずめが集まるという情報を、どうにかして得たのであろう。近所の野良猫が集まってきて、すずめを追い散らしてしまったのである。しょうがないから、最近は猫を見ている。(略)もちろん私のやり方が、全く駄目ということはない。そのうちにそこに野良猫が集まるという情報を、どうにかして得たもっと大きくてもっとのろい動物が、猫を食べにやってくるに違いない。そいつについては、猫についてよりももっと詳しく、私は観察してみせる自信があるからである」 (別役実/「鳥づくし」あとがき)

 ちなみに別役実の歴史上の先達というと兼好法師かもと、当時、「徒然草」を読んでいて思った。152段〜154段に登場する、ひねくれていてしかもニヒリスティックな意識を感じさせる、資朝卿(当時の高僧が眉まで白いさまを尊いと拝める世間に対し、毛むくじゃらのむく犬を「尊く見える」と当てこすって見せた人)への共感とかに。

 

1986 高3

 珍しく、全作品を読んだことがある作家といえば、それは漱石で、当時、受験への現実逃避から、ずっと(受験の時、泊まった宿でまで)読み続けていた。そんなわけで、漱石的な文章は割と馴染みがあるのだが、outputされるものとしては余り、出てこない。今、読み直してみると、もしかしたら結構、大きな影響を受けているのかもしれないが… 流石に、とかくらいかな、直接的な影響としては。

 

1987 大1

 他の所にも書いたのだが、この頃、一時的にはまったのが久美沙織「丘の家のミッキー」というコバルト文庫の、かなりクラクラくる(笑)シリーズ。その一節を引用しようと思ったけど、私にも世間体というものがあるので?思いとどまる(^^;;; でも、それからの学生時代、あたしの一人称小説の可能性を色々考えていたので、その意味で大きな影響を与えているのは確かかも。

 それから、大学に入って、一人暮らしを始めたこともあり、手紙を友人に送りつけることが結構あった。実は、いまの日記の文体は、その手紙が基本フォーマットになっているのだと思う。つまり、自分のためにだけ書く日記、というのとは少しずれているというか。結構、感情表現(愚痴?)が多いのはそのせいに違いない。

 

1988 大2

 「これみよがしにあたりの光景を浸しつくしているわけではなく、むしろ季節の推移を語り目前に拡がる風景を描写する筆のもとに慎ましく身を隠しているかにみえる漱石の「水」は、しかし、いかにもそれが自分の生きる言葉の地場にふさわしい事態だというか気取りのなさで、不意に、無数のこまやかな水滴としてところかまわず形成されてしまう」 (蓮實重彦/「夏目漱石論」)

 というわけで、どれでも良かったのだが、手近な文庫本から引用。映画を観に行くようになると、意識せざるを得ないのが蓮實重彦だった。というか、当時の現代思想の基本中の基本だったので、普通の大学生としては当然ながら、読みました。あの長文には、独特のリズムというか、後を引く面白さがあると思うのだけど、真似すると確実に失敗する文体。それは、同じく長文の金井美恵子の文章もそうなんだけど。

 時々、必要以上に回りくどい文章とかに、その影響はまだ残っているかもしれない。

 

1989 大3

 泉鏡花を読む。騙された、と思う。つまり、それまでの現国で教わってきたことといえば、簡潔にして明確な文章をいかにして書くか、あるいは読むか、ということであり、こういう、音読してリズム的にただひたすら心地よい文章を教わることはなかった。しかし、これこそが、本来の日本語の響き、なのではあるまいか? 日本の言語教育は間違っているのではないか? というわけで、その世界に耽溺する。

 が、しかし。悲しいかな、あの文体は私のようなものにはとても再現出来ない。である以上、影響を受けている、とは言えないのだろうか。

 

1990 大4

 …やはり途中で、力尽きた(笑) ええと、大学時代で他に書いておかないといけない気がする作家というと、坂口安吾と高橋源一郎と火浦功(笑) 海外だと、レイモンド・チャンドラーとジョナサン・キャロル。という気はするのだが、以下略。

 

1991〜

 ミステリの作家を読むのは社会人になってからなのだが、文体的にどうこうというのは、特にないかも。多分、文体ということで、影響を受けているのは漫画家の方で、特にお世話になっているのは、川原泉とか。…するです。とかそういう文体。それにしても、川原泉は言葉が上手いですよね。「そーして、そして、そしてだな」とか、当たり前の言葉を並べているだけなのに、物語の中で読むと泣かずにはいられないような。

 他にも色々あるような気はするのだが、とりあえず、この辺で。ネットで日記を書くようになってからは、他の人の文章から割と影響を受けているような気もする。その時々で。

 

 ……だから何なんだ、と自分で突っ込みたくなるくらい、まとまりが無いページだ(^^;;;